↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/11

真面目という名の呪いと、夕暮れの図書館

——道草喜多乃の視点——

「喜多乃って、本当に真面目だよね」

その言葉が、いつしか私を縛り付ける『呪い』のようになっていたのは、一体いつ頃からだっただろう。

私自身は特別、自分が真面目だと思ったことなんて一度もない。けれど周囲にとってはそれが当たり前のように、私が何かを発言したり行動したりするたびに、決まってその言葉がついて回った。

『真面目』なんて、辞書を引けば前向きな言葉として載っている。なのに、実際の人の口から放たれるその言葉には、どこか冷ややかなマイナスのニュアンスが混ざっている気がするのは、きっと私の気のせいじゃない。

私はその言葉を向けられるたびに、「……そうかな?」と誤魔化すように曖昧に微笑むことしかできなかった。

授業を真剣に聞き、分からないところがあればそのままにせず先生に質問する。予習や復習を欠かさず、部活動でも、どうすれば上達できるのかを一つずつ考えながら努力を重ねる。友達の言葉をそのまま受け取り、まっすぐに頷く。

私にとっては、どれも至極当たり前のことを続けているだけに過ぎなかった。

そうやって、親が勧めてくれた習い事も大抵はある程度まで上達できたし、テストの成績もそれなりの順位をキープできた。部活だって、それなりの成果を出すところまではいけた。それが私にとっての普通だった。

でも——いつのタイミングだっただろう。偶然通りかかった廊下で、自分の名前が聞こえてふと耳を傾けた時に響いてきた、あの声。

『喜多乃ってさ、真面目すぎてつまらないよね』

たぶん、言った相手は何気ない雑談のつもりだったのだと思う。でも、私に聞こえていないと思って吐き出されたその言葉こそが、彼女たちの本心だった。

その一言は、私の心に鋭利で冷たい刃物のように突き刺さった。

「そのくらい、どうってことないよ」と笑い飛ばせる人もいるのかもしれない。けれど、当時の私にとって、それは息ができなくなるほど重く胸にのしかかる言葉だった。

それ以来、私は友達と一緒にいても、それまでの自分でいることができなくなってしまった。今までどんな顔をして友達の輪に入り、どんな表情で彼女たちと過ごしていたのか。何もかも分からなくなり、ただぎこちなく会話を合わせ、機械のように笑顔と頷きを繰り返すだけの存在になっていた。

進路選択の時期になり、周りの友達は当たり前のように進学を選び、そのほとんどが関東や関西の有名な大学へ行く話で盛り上がっていた。

「喜多乃はどうするの?」と聞かれても、「まだ迷ってて……」とはぐらかし続けた。彼女たちには絶対に言わなかったけれど、大学生になってまで彼女たちと顔を合わせたいとは、どうしても思えなかったのだ。

誰も私を知らない、全く違う場所へ行きたい——。そう強く願った時、ふと母方の祖父母が暮らす福島の風景が頭に浮かんだ。

中学校に入ってからは忙しくて行く機会もなくなってしまったけれど、小学生の頃、夏休みに家族で訪れた祖父母の家。あのみずみずしい空気と、のどかな景色の中で過ごした時間は、私にとって宝石箱のようにキラキラとした大切な記憶だった。

(……東北に行くのも、ありなのかもしれない)

そう思えたことが、私が今の大学を選んだ小さなきっかけだった。

*

四月の初め。高校の卒業式が終わり、慌ただしく引っ越しの準備を済ませ、大学の入学式を終えた。アパートの自室でシラバスを広げ、今年度の履修計画を一通り組み終えると、私はふぅと小さく息をつき、自分で淹れた紅茶を一口すすった。

明日から、また新しい環境で、たくさんの人たちと一緒に講義を受ける生活が始まる。私を深く傷つけた「あの子たち」とは違う人たちだと頭では分かっていても、どうしても心がすくんでしまう。自分が人にどう見られているのかが、こんなにも怖いと思うなんて。一年前の私だったら、考えもしなかったことだ。

「シラバスに登録した通りに授業を受ければいいだけ」

私は、まるで自分を縛る呪文を唱えるように、ぽつりと声に出してみる。

「別に、無理に友達を作らなくてもいい。授業に出て、勉強をするだけ」

言葉を重ねて自分に言い聞かせる。それでいいんだ。そうすれば、これ以上傷つくこともないのだから。

*

翌日。私は大学の近くに借りたアパートを出て、キャンパスへと向かった。最初の講義は、確かT棟だったはず。頭の中でマップを反芻しながら、他の学生たちの波と同じ方向へ歩いていく。こっそりと左右に視線を向けてみるが、私の方を見ている人なんて一人もいない。そう、ここには私の過去を知る人なんて誰もいないのだから、何も気にする必要はないんだ。自分にそう言い聞かせながら、私はただ静かに足を進めた。

*

けれど——今日予定されていたすべての講義を受け終えた時、私の心と体はどこかズシリと重くなっていた。

初めての講義をいくつか受ける中で、講義が始まる前の席で、携帯ゲーム機に夢中になっている多分同級生の男の子の姿を見かけた。

周りの目なんて一切気にする様子もなく、ただ自分の世界に入り込んでゲームを楽しんでいる彼の姿。それを見て、純粋にゲームが好きなんだろうなということと同時に、私もあんな風に、周りなんか気にせず自分の「好き」に素直になれたらいいのにと、親や同級生たちからどう見られるかが呪いのように私を縛りつけている中で、心のどこかで羨ましく思ってしまったのだ。

講義が終わったら、このまま真っ直ぐアパートに帰ればいい。でも、どこかへ少しだけ立ち寄りたいような、どこにも帰りたくないような落ち着かない気持ちが胸を焦がしていた。ふと頭に浮かんだのは、高校三年生になってから、逃げ込むように通うようになった図書室のことだった。

(……大学にも、図書館ってあるよね?)

散歩も兼ねて広いキャンパス内を歩いていくと、敷地の奥まった場所に、独立した立派な建物が佇んでいた。キャンパス全体のワイワイとした賑やかさとは完全に切り離された、深く静かな雰囲気が保たれている空間。利用している学生や教員の姿はあったけれど、誰もが資料を探したり、黙々と本を読んだりと自身の活動に没頭していて、こちらに余計な視線を向ける者は誰一人としていなかった。

(……なんだか、すごく落ち着く)

誰も座っていない席を探し、静かに腰を下ろす。高校三年生の頃、教室にいづらくなった私は、逃げるように図書室へ通うようになった。ただそこに座っているだけなのも手持無沙汰で、自然と本を読むことが小さな習慣になっていたのだ。

高校の図書室よりも遥かに広く、多種多様なジャンルの本が並ぶ本棚。また明日もここに来よう。部屋で一人きりで過ごしていると、嫌な思い出や思考がぐるぐると悪い方向へ回ってしまうけれど、こうして静かな場所に身を置いていれば、余計な考えも少しは紛れてくれるから。

*

それから二週間ほど、私は講義が終わると毎日図書館に通い詰めた。次第に、部屋の奥側にある長机のスペースが自分の定位置のようになっていった。そこは周囲を高い本棚に囲まれた奥まった場所で、わざわざ奥まで来て座る人もいなかったため、人に気を遣わずに済む私にとって最高の避難場所だったのだ。

けれど——その日は違っていた。

いつもの席に向かうと、先客がいた。その人物は、テーブルの上に十冊近くの分厚い本をうずたかく積み上げ、右頬をノートに乗せたまま「すやすや」と気持ちよさそうに眠っていた。何かを熱心に調べていた最中だったらしく、手元のノートにはびっしりと文字が書き殴られている。

(……どうしよう)

今日は図書館の閉館時間ギリギリに来ていたため、間もなく閉館を告げるアナウンスが流れる頃だった。声をかけた方がいいのだろうか。迷っている間にも刻一刻と時間が過ぎていく。意を決して、私はその人の肩をそっと揺すった。

「あの……そろそろ、図書館が閉まりますよ?」

二、三度肩を揺らすと、その人は「ん……」と小さな声を漏らし、ゆっくりと目を開けた。一瞬、何が起きているのか分からないといった風に顔を左右に振っていたが、やがてその視線が真っ直ぐ私へと向けられた。

「もしかして……起こしてくれたの?」

「……はい」

「ふあぁ、ありがとう〜!」

色落ちしたジーンズに白Tシャツを着たその女性は、豪快にあくびをすると、私の顔をじっと覗き込んできた。

「もしかして、君って新入生?」

「……はい」

なんで分かったんだろう?心の中で疑問に思って。

「そっか! じゃあさ、もしよかったらこれ、どうぞ!」

そう言って、彼女は私に向かって一枚の紙を差し出してきた。受け取って見てみると、それはサークルの部員募集チラシだった。でかでかと『旅行同好会』と書かれている。

「私が部長をやってるサークルなんだけどね、普段もゆるーくやってる場所だから、もしよかったら遊びに来てよ! ……あ、やばっ! 私、用事があったんだ! 起こしてくれて本当にありがとうね〜!」

女性は慌ただしく積み上げられた本を両腕で抱えると、風のように入り口の方へと走り去っていった。

静まり返った館内で、私は手元に残された一枚のチラシに再び目を落とした。

『新しい自分に出会える』

鮮烈なキャッチフレーズが躍るチラシを見つめながら、胸の奥がキュッと強く締め付けられた。

こんな真面目で、つまらなくて、上手く人と関われない私でも……本当に、新しい自分になれるのだろうか。

講義室の片隅で、周りの目を気にせずゲームに夢中になっていたあの男の子。図書館で豪快にあくびをして、眩しい笑顔でこのチラシを押し付けてきた不思議な先輩。

『真面目』という呪いに縛られて動けずにいた私の世界に、彼らは風のように、あるいは光のように飛び込んできたのだ。

ほんの少しだけ勇気を出して、あの部屋の扉を叩いてみよう。そこで私を待っていたのは、想像よりもずっと破天荒で、あたたかくて……そして、少しだけ不器用な「出会い」だった。

——これが、私が自分の足で歩き出すための、最初の旅の始まりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。