かけそばと野菜定食、そして小さな笑み
午前中の英語の講義が終わったあと、午後の講義まで少し時間が空いたため、僕はキャンパス内の学食へと足を入れた。
高校までは学食なんてものは存在しなかったから、大学に入って初めて目の当たりにした時はちょっとした感動を覚えたものだ。
周囲を見渡せば、友人同士で賑やかにワイワイ食べているグループもいれば、黙々と一人でスマホを眺めながら席につく人もいる。だが、僕にはまだ大学で一緒にお昼を食べるような友達はおらず、誰かと約束しているわけでもないので、当然のごとく一人で食べることに。
注文口でかけそばを注文し、楽しそうに盛り上がるグループから自ずと離れ、僕は食堂の奥にある、窓に面した目立たないカウンター風の席に陣取った。
ここなら人目を気にせずゆっくりと食べることができる。
¥子供の頃から、僕は無類のそば好きなのだ。出汁の匂いを楽しもうと、ズズッと一口すすった、その時だった。
「……あの、ここ、いいですか?」
背後から声をかけられるとは思ってもいなかったので、僕は驚き、すすっていたそばを喉に詰まらせてゲホゲホと盛大に咳き込んだ。
ようやく咳き込むのが落ち着いて声がかけられた方を見てみると、そこに立っていたのは、午前中に『旅行同好会』の部室で出会ったばかりの女の子——道草喜多乃だった。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
僕があまりにオーバーに驚いてしまったせいか、彼女は心配そうに声をかけてくれた。
「あ、ああ、大丈夫……」
その後、彼女がそのまま立っていたため、僕たちの間にしんとした沈黙が流れる。
「あの、それで隣でご飯食べてもいいですか?」
「え、僕と?」
「はい」
何かの間違いかと思って彼女に聞き返してみたが、どうやら間違いではないらしい。
女の子と一緒に食事。そんなビッグイベントが自分の身に起こるなんて。小学校から高校まで彼女を作ったことも、そんな甘酸っぱい体験も一切なかった自分には縁遠いことだと思っていたから、脳が自分の現状を飲み込むのにしばしの時間を要した。
少しの時間が経ってから、僕は慌てて隣の椅子を引いて促した。
「もちろん、いいよ。どうぞ」
「ありがとうございます」
感謝の言葉を告げて、彼女は静かに隣の席へと腰を下ろした。まさか彼女の方から声をかけてくるとは夢にも思っていなかったので、正直かなり驚いていた。
「声かけるか迷ったんですけど……お見かけしましたし、声かけないのも失礼かなと思って」
「そんな気にしなくてもいいのに……」
律儀というか、真面目というか。知り合ってまだ間もないけれど、勝手な偏見で言わせてもらえば、彼女ほど整った容姿と佇まいをしていれば、放っておいても誰かしらが周囲に集まり、華やかなグループで食事をしていそうなものなのに。
「道草さんは、誰かと約束とかじゃなかったの?」
「特には。私、あまり人付き合いが得意な方じゃないですし。今日も特に誰からも食事には誘われませんでしたから」
トレイをテーブルに置きながら、彼女は淡々と答える。
「意外だな。道草さんなら、もうサークルか講義の友達と賑やかに食べてるものだと思ってた」
「意外……ですか?」
「うん、なんとなく」
「……私自身、自分から声をかけるタイプじゃないですし。そうなると、必然的に一人で食べることも多くなって。普段はアパートが近いので、一度部屋に戻って自分で作っているんですけど、今日はちょっと時間がなくて」
道草さんはそれをけろりとした様子で語る。一人でいることに対して、変な強がりも引け目も感じていない素の態度だった。
「じゃあ、僕と食べるのは良かったの?」
「先ほどお話ししましたし、お名前も知っていますから」
だからと言って、正直まだそれほど話をしたこともない男性と一緒にご飯を食べようと思うものだろうか。僕にとっては嬉しいことだけれど。
ちなみに、彼女のトレイに載っていたのはヘルシーな『野菜定食』だ。
「……八標先輩、今日はどこに連れて行ってくれるんでしょうね」
定食の小鉢の蓋を開けながら、道草さんが午後の約束に触れてきた。
「どこだろうね……」
僕自身もその答えはさっぱり分からず、ただ一杯のかけそばをすすりながら、午後の「寄り道」に密かな胸騒ぎを覚えるのだった——。




