第54話 六体の引き渡し先は未定なのに、俺を外す手続きだけ進んでいた
百年前の王立神獣育成所では、六体を別々の施設へ移す計画が検討されていた。
しかも、移管の候補日は育成所が襲撃された翌日だったという。
その事実が分かった翌朝、我が家では予定外の家族会議が開かれていた。
もっとも、俺が会議を開こうと言い出したわけではない。朝食の準備を終えて食卓へ向かったところ、すでにライカが昨日の資料を机へ並べ、ミコが日付を書き出し、フェニアが全員分の茶を用意していたのだ。
ルビィは珍しく果物へ手を伸ばしていない。シロも日向へ移動せず、俺の椅子の隣でじっと待っている。
リヴィだけは普段通り水路に浮かんでいたが、顔をこちらへ向けているところを見ると、一応参加する気はあるらしい。
「……お前ら、昨日の話がそんなに気になるの?」
俺が尋ねると、ライカが資料から顔を上げた。
「気にならないはずがない。私たち六体の移管が、襲撃の翌日に予定されていたのだぞ」
「実施が決まっていたわけじゃないからな。そこは間違えないようにしよう」
「分かっている。だが、候補日が重なっている以上、確認する必要はある」
ライカの意見はもっともだった。
ただ、以前の彼女なら、もう雷帝国の調査機関を総動員していたかもしれない。今は資料を読むだけに留めているのだから、それなりに成長したのだろう。
俺は椅子へ座り、全員の顔を見回した。
「それで、何を調べたいんだ?」
「誰が私たちを別々にしようとしたのか!」
ルビィが勢いよく答える。
「それは最終的に知りたいことだな。でも今は、誰か一人が決めたことなのかも分からないだろ」
「じゃあ、レオンは何から調べるの?」
「本当に移せる準備があったのか、かな」
意外だったらしく、ルビィが首を傾げた。
「準備?」
「そう。六体をそれぞれ違う施設へ運ぶなら、それなりに大変だったはずだから」
俺は昨日の資料を一枚手に取った。
書かれているのは移管の候補日と、施設の安全確保を理由とした再審査の記録だ。ところが、実際に六体をどうやって運ぶつもりだったのか、その詳細は分からない。
「ルビィを移すなら温度管理が必要だったし、リヴィには大量の水がいる。シロは知らない場所で急に一人になると食欲が落ちやすかった。ほかの三体も、それぞれ注意することがあったんだよ」
「レオン、よく覚えてるね」
「自分の仕事だったからな。特にお前らは、普通の輸送箱へ入れて運べば済むような仔じゃなかった」
フェニアが懐かしそうに微笑んだ。
「そういえば、私たちを移動させる際には、レオンがいつも随分と時間をかけて準備しておられましたね」
「お前は輸送箱の中でも羽繕いするから、羽根が引っかからないようにする必要があったんだよ」
「……そこまで覚えておいででしたか」
「忘れるわけないだろ。一回、布を引っかけて大騒ぎしたじゃん」
フェニアの頬がわずかに赤くなる。
「その件は、現在の私の評価とは切り離していただけますと幸いです」
「何の評価だよ」
ルビィが笑った。
少しだけ空気が柔らかくなる。
「じゃあ、準備があったかどうか分かれば、何か分かる?」
今度はミコが尋ねた。
「少なくとも、計画がどこまで進んでいたかは分かるんじゃないかな」
俺は紙の余白へ、確認したいことを書き出した。
受け入れ先は本当に了承していたのか。
六体を安全に運ぶ設備が用意されていたのか。
誰が移送に付き添う予定だったのか。
「この三つくらいからでいいと思う」
「なるほど」
ミコは俺の書いた文字を見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「では、まず王立文書院へその三点を確認していただきましょう」
「そうだな」
「私は必要な費用を――」
「普通の調査費用だけな」
「まだ金額を申し上げておりません」
「そこが怖いんだよ」
九本の尻尾が少し不満そうに揺れた。
その横でシロが俺の袖を引いた。
「レオン」
「どうした?」
「昔、私たちが離れる時も、一緒に来るつもりだった?」
意外な質問だった。
「移管の話?」
「うん」
「どうだろうな。正式に決まってたら、少なくとも引き継ぎには行きたかったと思うよ」
「全部?」
「できればな」
六体それぞれに健康上の注意点がある。
どんなに優秀な飼育員へ引き継ぐとしても、記録を渡して終わりにはしたくなかっただろう。
実際に現地へ行き、環境を確認し、相手が落ち着くまで様子を見る。少なくとも当時の俺なら、そう考えたはずだ。
「でも、ずっと一緒にはいられなかったと思うぞ」
「……うん」
シロの耳が少し伏せられる。
俺は頭へ手を伸ばした。
「だからこそ、急に離すのは嫌だったんだよ」
銀色の尻尾が一度だけ動いた。
それで納得したのか、シロは俺の椅子へ身体を寄せたまま、静かに目を閉じた。
◇
文書院への問い合わせを済ませたあと、俺はいつも通り《もふもふ魔獣店ポッケ》へ出勤した。
百年前の調査は気になる。
ただ、だからといって今日の仕事を休む理由にはならない。
店ではちょうど、小型魔獣を別の施設へ移送するための準備が進められていた。
「レオンさん、こちらを少し見ていただけますか?」
店長に呼ばれ、飼育室の奥へ向かう。
床には新しい輸送箱が置かれていた。内側には柔らかい布が敷かれ、揺れを抑えるための固定具も取り付けられている。
「どこかおかしいですか?」
「いや、まだ何も見てないですよ」
俺は笑いながらしゃがみ込んだ。
今回移動するのは、近隣の保護施設から一時的に預かっていた小型魔獣らしい。身体の状態が落ち着いたため、設備の整った施設へ戻すのだという。
店長から現代の輸送基準を教えてもらい、箱の構造を確認する。
通気口の位置。
寝床の材質。
水をこぼさないための工夫。
固定具の留め方。
百年前にはなかった便利な仕組みも多い。
「今の箱、よくできてるなあ」
「そう言ってもらえると嬉しいですね」
「でも、この仔にはもう少し隅へ隠れられる場所があった方がいいかもしれない」
俺は輸送予定の魔獣を見る。
普段は人懐っこい仔だが、知らない物へ入れられると身体を低くする癖がある。箱そのものを嫌がっているというより、周囲が開けすぎて落ち着かないようだった。
「布を一枚追加してみますか?」
「うん。先に入れて反応を見てみたい」
店長が柔らかい布を用意してくれた。
輸送箱の片側へ垂らし、視線を遮れる場所を作ってみる。
すると魔獣は慎重に近づき、何度か匂いを嗅いだあと、自分から箱の中へ入った。
身体を丸める。
先ほどまで小刻みに動いていた耳も落ち着いている。
「……ああ、こっちの方が良さそうですね」
「みたいですね」
俺は箱の扉をまだ閉めず、しばらく様子を見た。
新しい場所へ移ることが悪いとは限らない。
設備が良くなる場合もあるし、今より安全に暮らせることだってある。
ただ、移動させる側が十分に準備したつもりでも、本人にとって安心できるとは限らない。
「レオンさん、何か考え事ですか?」
店長に尋ねられ、俺は顔を上げた。
「ああ。百年前にも似たようなことがあったなと思って」
「また百年前ですか」
「すみません。最近、昔の記録が色々出てきて」
「いえ、面白いですよ。現代の飼育方法と比べられる機会なんて、そうありませんから」
店長は輸送箱を見ながら続けた。
「昔も、移動する時はこういう準備を?」
「もちろん。むしろ昔は今ほど設備が良くなかったので、飼育員が個別に調整することも多かったですね」
「六大神獣も?」
「仔の頃は大変でしたよ」
思わず笑ってしまう。
ルビィは気温が低いと機嫌が悪くなる。
リヴィは水場の環境が変わると動かなくなる。
ライカは知らない音に警戒し、シロは慣れた匂いがないと落ち着かなかった。
フェニアは羽根を傷つけない工夫が必要だったし、ミコは周囲の様子を理解できないと、勝手に出口を調べ始める。
「……今考えても、六体を同時に移すのは相当な仕事だな」
「でしょうね」
店長が苦笑した。
「普通の魔獣でも大変なのに、六大神獣ですから」
「当時はまだ小さかったんですけどね」
俺は箱の中で眠り始めた魔獣を見る。
そこで、少しだけ引っかかった。
百年前の移管計画。
本当に六体を別々の施設へ運ぶつもりだったなら。
誰が準備をしたのだろう。
少なくとも、担当だった俺は何も覚えていない。
忘れているだけなのかもしれない。
ただ、六体もの神獣幼体を安全に移す準備が進んでいたのなら、何も気づかなかったというのも不思議だった。
「……やっぱり輸送の記録が必要だな」
「何か?」
「いえ。こっちの話です」
俺は店長へ笑い、箱の最終確認に戻った。
百年前のことは、今日の仕事が終わってから考えよう。
◇
三日後。
王立文書院から返答が届いた。
今回はエドガー本人が来たわけではなく、正式な写しと説明書が封筒にまとめられていた。
俺が帰宅すると、ミコがそれを机へ置いて待っていた。
「レオン。先日お願いした調査の結果です」
「早かったな」
「すべてが分かったわけではございません。ただ、確認できた部分について先に知らせてくださいました」
ありがたい話だ。
夕食まで少し時間があったので、居間で内容を見ることにした。
ライカも同席する。
ほかの四人はそれぞれ好きなことをしていたが、話が始まると自然に近くへ集まってきた。
最初の確認項目は、受け入れ先についてだった。
《移管候補施設への受け入れ照会は、一部で実施されていたと考えられる》
俺は続きを読む。
六体の移管先として挙げられていた施設のうち、複数の施設について、当時の照会記録が見つかったらしい。
ただし、いずれも正式な受け入れ承諾ではなかった。
施設の収容能力や必要設備について問い合わせた段階で、個体ごとの移管決定通知は確認できていないという。
「……つまり、受け入れ先もまだ決まってなかった?」
「そう考えるのが自然でしょう」
ミコが答える。
「ですが、百年前の記録です。すべての文書が残っているわけではございませんから、最終的にどこまで話が進んでいたかは断定できません」
「なるほど」
次は輸送設備。
こちらも似たような結果だった。
王宮側には、移管に必要な設備の概算を求めた記録が残っていた。
しかし、専用の輸送箱や環境維持設備について、実際に製作が完了した記録は見つかっていない。
「何だ」
ルビィが口を挟んだ。
「じゃあ、まだ全然準備できてなかったんじゃない?」
「可能性はあるな」
「だったら心配することなかった?」
「いや、そこまでは言えない」
俺は資料を指さした。
「計画が本当に進んでたかどうかと、誰かが進めようとしてたかどうかは別だろ」
実際に移せる準備が整っていなかったとしても、移管を考えていた人たちがいたのは事実らしい。
ただ、それが通常の管理上の検討だったのか、別の意図があったのかはまだ分からない。
「それに、六体とも自分で歩けたからな。無理に運ぼうと思えば、準備不足でも移動自体は不可能じゃなかったと思う」
「でも嫌だったら逃げるよ!」
ルビィが胸を張る。
「そうだな。お前は間違いなく逃げただろうな」
「シロも!」
「逃げる」
「フェニアも!」
「私はまず事情を確認いたします」
「じゃあ最後に逃げる!」
「勝手に決めないでくださいませ」
フェニアが困ったように笑った。
そんなやり取りを聞きながら、ライカは最後の資料を手に取っていた。
「レオン」
「何?」
「三つ目の確認項目だ」
移送に誰が付き添う予定だったのか。
俺が一番知りたかった部分だ。
「何か残ってた?」
「ああ。ただし、これは少々妙だ」
ライカが紙を俺へ渡した。
表題には、
《神獣幼体分散移管に伴う職員配置変更申請》
と書かれていた。
「職員配置?」
「移管を実施する場合、現在の担当者をどう扱うかについての書類です」
ミコが説明する。
俺は続きを読んだ。
移管先での飼育担当者は、各施設が選任する。
移送に必要な専門職員についても、受け入れ側から人員を派遣する。
ここまでは普通だった。
ところが、その次の欄を見て手が止まった。
《現担当飼育管理官 レオン・ハルト》
自分の名前がある。
さらに横の欄。
《移管実施時、担当任務を解除》
「……俺、担当外されることになってたの?」
ミコが静かに頷いた。
「そのようです」
「でも移管するなら、いつか担当は終わるだろ」
「問題は、その下です」
俺は視線を落とした。
《現担当者の移送立会いは不要とする》
《移管に関する個別説明は、実施後に行う》
そこまで読んだところで、何となく嫌な気分になった。
「……実施後?」
「はい」
「俺に説明する前に六体を移すってこと?」
「少なくとも、この案ではそのような手順が想定されています」
ライカの声が硬くなる。
「受け入れ先すら確定していない段階で、現担当者を外す準備が進んでいたということか」
「そうなりますね」
ミコも眉を寄せた。
俺はさらに読み進めた。
書類には、俺が以前提出した移管反対意見についての記載もあった。
《現担当者より、個体の健康状態に基づく移管延期意見が提出されている》
これは覚えている。
六体を急に引き離せば、健康状態が悪くなるかもしれない。
だから反対した。
だが、その次の文章には覚えがなかった。
《当該意見については審査資料として保管し、移管実施時の現場判断とは切り離す》
「……切り離す?」
思わず声に出した。
俺は自分の字で書いた意見書を思い出した。
六体は管理資産である以前に、生きている神獣幼体だ。
食欲や睡眠状態が悪くなるなら、急な分離は避けるべきだ。
当時、俺はそう書いた。
その意見が採用されるかどうかは別として、少なくとも考慮してもらえると思っていた。
実際、最初の移管案は保留されていた。
「……これ、俺の意見を無視するって意味なのかな」
「そこまでは断定できません」
ミコが答える。
「審査資料としては残されています。ただ、実施時の現場判断から外すという記載がある以上、当日のレオンの意見が手続きへ反映されない可能性は高かったでしょう」
「何で?」
ルビィが怒った声を上げた。
「レオンが一番私たちのこと知ってたのに!」
「ルビィ」
「だって本当でしょ!? 私たちが何食べるかも、どうしたら落ち着くかも、レオンが一番知ってたんだよ!」
俺は返事をしなかった。
ルビィが怒る理由は分かる。
ただ、当時の王国側にも何か事情があったのかもしれない。
現場の判断と管理上の判断が一致しないことはあるだろうし、俺が反対したからといって、計画そのものがすべて間違いだったと決めつけることもできない。
それでも。
「……せめて相談くらいしてほしかったな」
思わず本音が出た。
六体がどんな場所なら落ち着くのか。
何が苦手なのか。
どんな順序で環境を変えれば負担が少ないのか。
そういうことなら、いくらでも話せたはずだ。
俺が六体と離れるのを嫌がると思われたとしても、仔たちのためになると納得できれば協力しただろう。
「何で俺に聞かなかったんだろうな」
その疑問には、誰もすぐに答えられなかった。
◇
しばらくして、ミコが書類の日付を確認した。
「この配置変更申請が作成されたのは、襲撃の三日前です」
「三日前?」
「はい。移管再審査の二日後ですね」
俺は頭の中で時系列を並べた。
襲撃の五日前。
六体の分散移管が再審査された。
四日前。
緊急保存結界の外部解除系統に、強制解除を止める試作品が取り付けられた。
三日前。
俺を移送立会いから外す配置変更申請が作成された。
そして襲撃当日。
俺は六体を逃がし、自分も緊急保存結界へ入った。
本来なら最長七日で出られるはずだった。
だが、百年間出られなかった。
「……何だかなあ」
資料を机へ戻す。
「偶然にしては、気になることが多いな」
「私もそう思う」
ライカが頷いた。
「だが、今ある情報だけで一つの計画だったと判断することはできん」
「そこは大事だな」
俺はライカを見る。
「お前、前よりずっと慎重になったな」
「元々慎重だ」
「三千人がついてきた時も?」
「それは私の判断ではない!」
「分かってるよ」
ちょっと笑う。
ライカも不満そうにしながら、口元だけ緩めた。
だが、ミコはまだ資料を見ていた。
「レオン。こちらの申請には承認欄がございます」
「うん」
「職員配置を変更する手続きそのものは、王宮側で承認されていたようです」
「移管はまだ決まってないのに?」
「はい。ただし、実際に移管が実施されることを条件とした承認だった可能性があります」
なるほど。
計画が実行されなければ、俺の担当が解除されることもない。
少なくとも書類上は、そういう扱いなのだろう。
「それでも変だな」
俺は呟いた。
「受け入れ先も決まってない。輸送設備の準備も確認できない。なのに、俺を外す書類だけ先に進んでる」
偶然かもしれない。
普通の手続きだったのかもしれない。
ただ、当時の俺は六体の移管へ反対意見を出していた。
そして移管を進めようとしていた誰かにとって、俺が邪魔に見えた可能性はある。
「……俺、結構嫌われてたのかな」
「そんなわけない!」
ルビィが即座に否定した。
「いや、仕事で意見ぶつかったら嫌われることくらいあるだろ」
「でもレオン、私たちのために言ったんでしょ!」
「そうだけど」
「だったら悪くない!」
真っ直ぐな答えだった。
シロも俺の隣から顔を上げた。
「レオン、悪くない」
「分かってるよ」
「嫌われても、私たちは好き」
「……それはありがとう」
シロの頭を撫でる。
銀色の耳が嬉しそうに伏せられた。
そこへリヴィが水路から顔を出した。
『レオンー』
「何?」
『嫌われるの面倒だねー』
「そうだな」
『私なら逃げるー』
「お前は嫌なこと大体逃げるだろ」
『うんー』
「自信満々に言うな」
リヴィは少し考えたあと、いつもの気楽な声で続けた。
『でも、レオンは逃げなかったんでしょー?』
「何から?」
『私たちの世話ー』
その言葉に、少しだけ手が止まった。
『面倒なこといっぱいあったのにー。逃げなかったー』
「仕事だったからな」
『うんー』
リヴィはそれ以上何も言わなかった。
ただ満足そうに水へ潜っていく。
俺は水面を見ながら、しばらく考えた。
確かに、六体の世話は大変だった。
普通の仔より力が強く、食べるものも環境も違う。
それぞれの機嫌や健康状態まで考えれば、毎日何かしら問題が起きていた。
それでも辞めようと思わなかったのは、単純に仕事が好きだったからだ。
六体が少しずつ大きくなるのを見るのも楽しかった。
昨日できなかったことが今日できるようになる。
苦手だったものを食べられるようになる。
怖がっていたことを、少しだけ平気になる。
そんな変化を一番近くで見られるのが、飼育員の特権だった。
「……まあ、嫌われてたとしても仕方ないか」
俺は笑った。
「六体のために必要だと思ったなら、たぶん当時の俺はまた同じ意見を書くよ」
ミコが静かに微笑んだ。
「ええ。私もそう思います」
◇
その日の夕食は、いつもより少し遅くなった。
書類の話が長引いたせいもあるが、途中から六人が百年前の移管計画に対して、それぞれ好き勝手に意見を言い始めたからだ。
「私、絶対行かなかったと思う!」
ルビィが言う。
「まあ、お前は最初に逃げただろうな」
「レオンのところへ帰る!」
「それじゃ移管先の人が困るだろ」
「知らない!」
隣ではシロが静かに頷いている。
この二人を別々の施設へ移すのは、当時かなり難しかったはずだ。
フェニアはもう少し冷静だった。
「私は、移動先の環境について説明があれば、少なくとも話は聞いたと思います」
「そうだろうな」
「ただし、レオンが同行しないのであれば、理由を尋ねたでしょう」
フェニアは少しだけ目を伏せた。
「そして、何も教えていただけなかったら……おそらく私も拒否したと思います」
「お前もか」
「百年前の私にとって、レオンがいない場所へ突然連れていかれることは、それほど簡単ではありませんでしたから」
ライカは資料を畳みながら、別の意見を出した。
「私は移管先の警備状況と退避経路を確認する。安全性が確保できないなら移動すべきではない」
「お前は仔の頃からそんなこと考えてた?」
「……今の私なら、だ」
「だよな」
少し安心した。
百年前の小さなライカが、退避経路の調査を始めたらさすがに驚く。
ミコはというと、すでに何か考えている顔だった。
「私は移管先の責任者と直接交渉いたします」
「何を?」
「レオンを同行させる条件についてです」
「結局そこなの?」
「当然ではございませんか」
九本の尻尾が優雅に揺れる。
「百年前の私には、まだ現在ほどの資産も人脈もございませんでした。ですが、できる範囲で交渉したと思います」
「木の実に利子をつけてた仔狐が?」
「レオン。それは交渉能力の高さを示す良い例です」
「反省したんじゃなかったの?」
「反省と能力評価は別です」
そういうことにしておこう。
最後にリヴィを見る。
「お前は?」
『行かなーい』
「何で?」
『水、移すの面倒ー』
「まあ、そうだろうな」
『レオンもいないなら、もっと嫌ー』
さらっと言われた。
思わず笑う。
「結局、全員嫌がったってことか」
「そういうこと!」
ルビィが嬉しそうに胸を張る。
「だったら、やっぱり移管できなかったと思うよ」
「そうかもな」
俺は皿を片付けながら答えた。
百年前の六体は、今ほど強くなかった。
国を動かす力も、神殿を従える力もない。
ただ、怖い時には俺のところへ来て、嫌なことには嫌だと鳴き、知らない場所へ連れていかれれば不安になる、ごく普通の仔たちだった。
その普通の仔たちを、六体まとめて別々の施設へ移そうとしていた。
もし本当に実行されていたら、何が起きたのだろう。
今となっては分からない。
ただ、少なくとも簡単にはいかなかっただろうなと思った。
◇
夜。
六人がそれぞれの時間を過ごし始めたあと、俺はもう一度書類を確認していた。
調査のためというより、少しだけ自分の記憶を整理したかった。
百年前の俺は、六体を引き離すことに反対していた。
それは覚えている。
でも、誰とどんな話をしたのか。
どこまで説明したのか。
そのあたりは、まだ曖昧だった。
「レオン」
ミコが隣へ座った。
「まだ読んでおられるのですね」
「ちょっと気になってさ」
「無理をなさらないでくださいませ」
「お前がそれ言う?」
「最近は私も学んでおります」
「そうだったな」
ミコは机の上の書類を一枚手に取った。
例の職員配置変更申請だ。
「実は、もう一つ確認したいことがございます」
「何?」
「この申請書には、担当を解除されたレオンの代わりに、誰が六体の移送を管理するのかについても記載されております」
「そうなの?」
俺は改めて見る。
確かに下の方に欄があった。
《移管実施時の臨時管理担当》
その横には、個人名ではなく組織名が書かれている。
「……これ」
読んだ瞬間、手が止まった。
《王立魔導研究院》
「同じ名前だな」
「はい」
百年前、保存結界の長時間化研究を行っていた組織。
そして、本来なら七日後に結界を解除する安全機構を無効化できる、試作補助鍵を製造した組織。
その王立魔導研究院が、六体の移管計画にも関わっていたらしい。
「何で研究院が飼育の管理をするんだ?」
「そこが疑問です」
ミコは静かに答えた。
「ただし、研究院にも生体魔導の専門部署が存在していた可能性はございます。研究院という名称だけで不適切とは判断できません」
「うん。それはそうだ」
俺は頷いた。
同じ組織が出てきたからといって、同じ人物が関わったとは限らない。
保存結界の試作品を取り付けた人間と、移管計画を考えた人間が別々だった可能性だってある。
それでも、初めて調べるべき場所がはっきりした気がした。
「エドガーさんに聞いてみようか」
「私もそう考えております」
「ただし、勝手に研究院の施設を買ったりするなよ」
「百年前の施設など、今では残っていない可能性もございます」
「残ってたら?」
「……購入は最終手段といたします」
「選択肢から消せ!」
ミコが小さく笑った。
俺も笑う。
けれど、そのあと。
ミコは少し真面目な顔になった。
「レオン」
「何?」
「百年前、私たちが何も知らない間に、レオンは私たちを守ろうとしてくださっていたのですね」
「守るってほどじゃないよ」
「移管へ反対し、健康状態について報告し、必要な環境を整えようとしてくださった」
「飼育員だからな」
「はい」
ミコはその言葉を否定しなかった。
「ですが今は、私たちもレオンを守れます」
「……そうだな」
「だからといって、すべてを私たちに任せてほしいと申し上げるつもりはございません」
少し意外だった。
以前のミコなら、問題をすべて解決する計画を立て、俺が知らない間に準備を終わらせようとしていたかもしれない。
「今度は一緒に考えるのでしょう?」
そう言って、ミコが微笑んだ。
「だったら、レオンだけで抱える必要もございません」
俺は少し考えてから頷いた。
「分かったよ」
「ありがとうございます」
「でも、俺の知らないところで勝手に大きなことするなよ」
「……努力いたします」
「約束しろよ」
「はい」
九本の尻尾が楽しそうに揺れた。
信用していいのか少し迷うが、少なくとも以前よりは任せられる気がした。
◇
寝る前。
俺は居間の明かりを消そうとして、ふと足を止めた。
ルビィはソファで果物の本を読んでいる。
シロはその隣で丸くなって眠っていた。
フェニアは明日の予定を確認し、ライカは本を閉じて伸びをしている。以前ならこの時間でも仕事をしていたが、最近はちゃんと休むようになった。
リヴィは水路から時々鼻先だけ出し、俺がまだ起きているかを確認しているらしい。
ミコは隣の椅子で静かに茶を飲んでいた。
百年前の俺が見たら、きっと驚くだろう。
あれほど小さかった六体が、世界で神と呼ばれるほど大きくなった。
それぞれの場所を持ち、百年間を生きてきた。
そして、なぜか全員が俺の家へ住み着いた。
「……本当に変な生活だな」
思わず呟く。
「何が?」
ルビィが顔を上げた。
「いや。百年前の俺は、お前らがこんなに大きくなるなんて思ってなかったからさ」
「大きくなったよ!」
「知ってる」
「レオンより強いよ!」
「それも知ってる」
「でもレオンの仔だよ!」
その言葉には、少しだけ返事が遅れた。
ルビィは当たり前みたいな顔をしている。
シロも目を開け、静かに頷いた。
「みんな、レオンの仔」
フェニアは何も言わず微笑み、ライカも否定しない。
ミコの九本の尻尾がゆっくり広がった。
水路からリヴィが顔を出す。
『私もー』
「……お前ら、もう仔じゃないだろ」
「大きくなった仔!」
「そういう分類ある?」
「今作った!」
ルビィが得意そうに言った。
俺は笑ってしまった。
百年前。
六体を別々に移そうとした人間がいた。
俺を担当から外そうとした手続きまで存在していた。
その理由は、まだ分からない。
でも。
仮にあの日、俺が六体の飼育員を辞めさせられていたとしても。
いつかまた会えたなら、きっと同じことをしただろう。
頭を撫でる。
飯を食わせる。
具合が悪ければ心配する。
困っていたら話を聞く。
そして、変なことをしたら普通に叱る。
それはもう、仕事だからではない。
「レオン?」
ルビィが首を傾げる。
「何笑ってるの?」
「いや」
俺は近づき、ルビィの頭を撫でた。
「本当にお前ら、昔と変わらないなと思って」
「レオンもだよ!」
「そうかな」
「うん!」
ルビィは嬉しそうに笑い、ソファの隣をぽんぽんと叩いた。
「じゃあ座って!」
「何で?」
「もう少し一緒にいる!」
「もう寝る時間だぞ」
「あとちょっと!」
シロまで起き上がり、反対側へ場所を空けた。
「レオン、こっち」
「お前まで?」
「一緒」
まったく。
百年経って世界最強になったくせに、こういうところだけは本当に昔のままだ。
結局、俺は二人の間へ座ることになった。
するとフェニアが茶を持ってきて、ライカまで少し離れた椅子へ腰を下ろす。
ミコは最初から動く気がなかったらしく、楽しそうにその様子を眺めていた。
リヴィは水路の縁へ顎を乗せている。
気づけば全員が居間に集まっていた。
「……寝る時間なんだけどな」
「あとちょっと!」
ルビィが笑う。
俺は時計を見る。
まあ、たまにはいいか。
百年前の謎は、明日も調べられる。
王立魔導研究院が何をしていたのか。
誰が保存結界の試作品を取り付けたのか。
どうして移管計画から俺を外そうとしていたのか。
知りたいことは増えるばかりだ。
それでも今夜は、六人と同じ部屋で過ごしている。
百年前には当たり前だったこと。
百年間、六人にとっては当たり前ではなくなっていたこと。
そして今、もう一度当たり前になりつつあること。
「レオン」
シロが俺の肩へ頭を預ける。
「何?」
「明日も帰る?」
「仕事から?」
「うん」
「帰るよ。いつも通り」
銀色の尻尾が一度だけ揺れた。
「じゃあ、待ってる」
「うん」
今度はちゃんと帰る。
そう言おうとして、やめた。
未来のことを絶対だと約束することはできない。
でも、できる限り帰ろうとは思う。
こいつらが待っているのだから。
俺はシロの頭を撫で、ルビィが差し出してきた果物を一切れ受け取った。
甘い。
少し酸っぱい。
百年前にも、似たような夜があった気がした。
あの頃は六体を寝かしつけるのが俺の仕事だった。
今は全員が大人になって、自分で眠れる。
なのに、俺が座っていると誰も部屋へ戻ろうとしない。
「……お前ら、本当に寝る気ある?」
「あるよ!」
ルビィが答える。
「いつ?」
「もうちょっとしたら!」
たぶん、まだしばらく寝られない。
まあいいか。
百年前の誰かが、六体を別々の場所へ連れていこうとしていた。
その計画が何のためだったのかは、いつか確かめるつもりだ。
でも少なくとも今夜。
六人の行き先について、もう誰かが勝手に決める必要はない。
六人とも、自分の意思でここにいるのだから。
そして俺も。
自分の意思で、ここにいる。




