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蔦葉荘のいろは  作者: ミラ
第一章 彩葉(いろは)とAIとお隣さん

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 ロコモコ丼をご馳走になった数日後、私は夕方のアトリエで胡桃材のテーブルに向かっていた。

 蔦葉荘の住人全員がアトリエの鍵を持っていて、誰でも好きな時に入って作業してもよいルールだ。アトリエが使いたい放題なのに、家賃も共益費も安いのが不思議だ。

 私は黄緑色のクレパスで、画用紙に絵を描いていた。私の隣でほっぺの揺れが可愛い芽生くんが私の絵を覗き込む。

「カマキリかっこいい」

「ありがとうございます、芽生くん。カマキリの体は構造美の極致でして、まずなぜカマキリの鎌がこういう形かと」

「カマが強そう! ぼくも描こうっと、カマキリ!」

 父譲りのうんちくを披露する前に、芽生くんはお絵描きコーナーへ向かい、絵の具を出し始めた。私の描いたカマキリを見つめる。芽生くんはかっこいいと言ってくれたが、このカマキリは全く構造美を表現できていない。

「まあ、まずは完成させることを目標に」

 自分に言い聞かせながら、黄緑色のクレパスで線をつないでいく。我ながら安直だが、先日の千春さんの感想を聞いて、芽生くんにも私の物語を聞いてもらいたくなったのだ。

 小説で伝わらないのなら、絵をメインにして紙芝居を作ってみようと思い立った。私の絵は下手だ。

 しかし、千春さんのぐにゃり皿の存在に勇気をもらって、描き始めた。

 今まで、上手にできることしか自分に許さなかった。でも、パソコンを壊して家から飛び出したのだから、今までと違うことをしよう。

 下手かどうかは置いておいて、やってみたいことをまずやってみよう。

「彩葉ちゃん、芽生と遊んでくれてありがとうね~」

 やわらかいお姉さん言葉に顔を上げると、薫さんが微笑んでいた。

「いえ、こちらが絵を見てもらって、お世話をかけたくらいです」

「本当? 芽生ね、家で彩葉ちゃんとお絵描きしたって、喜んでるのよ」

 アトリエで絵を描き始めると、すぐに芽生くんが覗きに来てくれた。

 芽生くんは学校から帰るとほぼアトリエにいるので、一緒に過ごすことになるのだ。芽生くんが私のことを邪魔に思っていないと聞いて安堵する。

「彩葉ちゃん、豆腐ドーナツを作ったんだけど、おやつに一緒にどうかしら?」

「いいのですか?! ぜひ!」

 先週は千春さん、今度は薫さん。またご馳走になるのもどうか、とも思った。だが、せっかくなのでいただきたい。私はふと思いついて立ち上がる。

「私、紅茶を淹れるのが好きなのですが、薫さんと芽生くんにも披露してもよろしいでしょうか」

「あら、いいの?! 嬉しいわ! じゃあお茶会にしちゃいましょうか」

 それぞれ用意したものをアトリエに持ち寄って、お茶会が始まった。

 私が淹れたアッサムティーと、薫さんの豆腐ドーナツがテーブルに並ぶ。すると、芽生くんがすぐに豆腐ドーナツにかぶりついた。

「おいしー! ふっかふかのお豆腐味!」

 芽生くんのふわふわな笑顔を見て笑いながら、私も小ぶりのドーナツを口に運ぶ。

 ふんわりした食感で、噛むたびに豆腐の甘みが口に広がる。素朴な甘さが軽くて、いくつでも食べられそうだ。ドーナツを飲み込んでから、アッサムティーを飲む。

 アッサムティーの後味にはカラメルのような風味があり、豆腐ドーナツとのフードペアリングは大成功だ。私はカップを手にして感極まった。

「すっごくおいしいです、薫さん」

「ありがとう、食べてもらえて嬉しいわ。つい作りすぎちゃうのよ。それにこの紅茶、良い香り。淹れ方が上手なのね」

 互いに賛辞を贈り合い、芽生くんは黙々とドーナツを平らげ、紅茶を飲み干した。

「ドーナツ描く!」

 お腹いっぱいになった芽生くんは、一目散にお絵描きコーナーへ向かう。

 私もドーナツを二ついただき、紅茶も二杯飲んだ。満ち足りた気持ちで大きく息をすると、力が抜けた。

「お茶に誘ってもらって、ありがとうございました。お茶会が久しぶりで、なおさら沁みました」

 薫さんは二杯目の紅茶を飲みながら、細い目をさらに細くして微笑む。

「いつでも誘ってね。こんなにおいしい紅茶はなかなか飲めないから、アタシも楽しみにしてるから」

 千春さんには引かれたお茶を淹れる技術が、薫さんには歓迎されているようで良かった。

「もし困ったことがあったら、いつでも相談してちょうだい。お世話係は千春くんだけど、言いにくいこともあるかもしれないから」

「あ……お気遣い痛み入ります」

 薫さんは千春さんとの付き合いが長いのだろう。彼の偏屈も知るところのようだ。せっかくの機会なので、薫さんに相談を持ちかける。

「実は薫さん、ご相談があって」

「あら、何かしら」

 薫さんがぐいと、私の方に身を乗り出す。聞く姿勢が嬉しい。私はスマホを取り出して、夜のお店の求人広告を見せた。

「仕事を探していて。でも働いた経験がないのです。このお店で面接をお願いしようかと思っているのですが、私にもできると思いますか」

「あら、お仕事の相談ね。任せて。アタシは美容師として何百人もの人とお話をしたことが……」

 私のスマホを受け取って画面を見つめる彼の顔が強張っていく。彼はそっと私のスマホの画面をオフにしてしまった。

「ダメー! この仕事ダメー!」

「え、どうしてでしょうか、やはり私の社会人経験のなさが」

 薫さんが前のめりになる。

「彩葉ちゃん、このお仕事は男性の横に座ってお酒の相手をしながら、触られたりするのよ?」

「そ、そういう接触はないと書いていますよ?」

「そんなの建前なの! ちょっと肩抱いたり、膝に手を置いたり、ラインでやり取りしたりは普通のお仕事のうちなの! こういうのは!」

「記載しておいてもらいたいです、そういうことは……」

 驚いて口元を手で覆う。

「職業に上下があると言うのではないのよ? でも彩葉ちゃんには向いてないと思うわ」

「そうですか……」

 小説をたくさん読んでいるので、夜のお店で酔っぱらいに絡まれるシーンを知っている。けれど私は、そういうものこそがフィクションだと思っていた。

 いつの間にか立ち上がり、熱弁していた薫さんがすとんと席に座る。

「とにかく、これはやめましょう。仕事ね、知り合いのツテを頼るのが安全で良いのだけれど……アタシの店は、今ちょうど新しい子を雇ったところで」

 薫さんは美容師で、カラーリング専門店を経営する店長だ。まずツテを頼るという手があったのか。私は自分の無知とタイミングの悪さに肩をすくめる。

「ご心配をおかけしてしまったみたいで、ごめんなさい」

「むしろ相談してくれてよかったわ。アタシ、知り合いに声をかけてみるから」

 薫さんは私の背中を軽く叩いて、落ち着くように言いながらも、自分自身を落ち着けているようだった。私は相当、危うかったようだ。


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