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年末特有の切りつけるような冬風が舞う日に、蔦葉アトリエ荘の忘年会が行われた。
すき焼き鍋を囲んで寛いだあと、薫さんの穏やかな声がアトリエに響く。
「さあみんな座って~クリスマスっぽいおやつにするわよ」
彼の声を皮切りに、子どもたちが盛り上がる。
「雛子、クリスマスもサンタもだーいすき!」
「おやつ何かなー?」
お絵描きコーナーのマットに座る芽生くんと雛子ちゃんが顔を見合わせて笑う隣には、珍しいお客さんがいた。
犬沢巌さんのお孫さんの、悠里くんだ。
三人は食後から、模造紙に絵の具でカラフルな絵を描いていた。
「芽生、もっと描こうぜ」
「うん、いいよ! でも先におやつ食べようよ」
「えーオレは今描きた……いけど、おっけー」
芽生くんと悠里くんは先日の諍いのあと、二人で話をして、互いにごめんねと言い合ったそうだ。
お説教でも受けたのか、悠里くんからは言葉を慎重に選ぼうとする姿勢が見える。そんな悠里くんの変化を感じた芽生くんが、彼をアトリエに招いた。という事の次第を、薫さんが自慢げに教えてくれた。
マッシュヘアの悠里くんは、やや声量が大きい。
「オレはマシュマロ食べたい!」
「少年、マシュマロは焚火で焼くのが一番おいしいと思うよ?」
悠里くんの肩にぽんと手を置いて、爽やかに笑ったのは葵さんだ。
「アトリエの中で焚火はやめてね、葵くん!」
「しませんよ、薫さ~ん。キャンパーはルール順守です!」
薫さんが葵さんの焚火マニアをからかうと、朗らかな空気が満ちる。
テーブルの周りで交わされる会話を耳に入れつつ、私はキッチンで大人用の紅茶を蒸らしていた。隣で千春さんは子どもたちのジュースの準備をしている。
「今日は賑やかですね」
千春さんに笑いかける。
「葵の声は野外で聞いてちょうどいいんだよね。室内だとうるさい」
あったかいアトリエで、千春さんの声だけがひんやりしている。
今日の忘年会は薫さんが企画してくれて、各自呼びたい人がいれば招いてもいいと言われた。
私はルミナスでお世話になった小野田さんと、営業の林さんに声をかけた。
だが、どちらも都合が合わなかったのだ。千春さんはうるさいと言いつつ、葵さんを誘っている。カップに紅茶を注ぎながら、つい笑ってしまう。
「お二人は仲良しですね」
「付き合いが長いだけだよ」
「何なに? 俺の話?」
葵さんがやってきて、千春さんの肩を親し気に抱こうとした。だが、千春さんはするりと避ける。
「千春はつれないなぁ! 今年の年末は俺が遊んであげられないから拗ねてるんだ?!」
「そんなわけないでしょ。普段はキャンプに憑りつかれてるんだから、年末くらい実家に帰りなよ」
千春さんは的確に嫌味を残して、ジュースを子どもたちのもとへ運んでいく。
「千春ー! 年末、寂しかったら電話してね! 俺、心配してるから!」
葵さんは千春さんの背中にそう言い放ったが、彼は無視した。
頬を膨らませる葵さんの隣で、私は紅茶を注ぎながら微笑んだ。
「千春さんって、葵さんのことを大事にしているのですね」
葵さんは度肝を抜かれたように、一歩後ずさって目をぱちくりした。
「え、彩葉ちゃん今のわかった?! どんなに見かけがよかろうと、あの態度で全ての縁を遠ざけてきた千春に、そんなこと言ってくれる子が現れるなんて俺はもうどうしたら」
「えっと……?」
葵さんの早口に戸惑っていると、千春さんが戻ってきた。
「彩葉、紅茶運ぶよ。葵、邪魔」
「千春、もう俺、嬉しくて泣きそう~」
「葵って酔ってたっけ?」
素っ気ない千春さんが盆に乗せた紅茶を運んでいくと、葵さんが電車ごっこのように連なっていった。私も笑いながらついていく。
紅茶が運ばれた胡桃のテーブルの上には、薫さん特製のシュトーレンがお披露目されていた。こんもりした小さな雪山のような塊に、薫さんがさっくり包丁を入れる。
「クリスマス過ぎちゃったけど、おいしいからいいわよね」
薫さんが切り口を見せてくれる。
シュトーレンは焼き菓子のように見えるが、ナッツやドライフルーツがたっぷり入った発酵菓子パンだ。
日がたつほどにドライフルーツの風味が生地に移って、芳醇な味わいが深まる。日持ちがするので、ドイツではクリスマスを待ち遠しいと思いながら一切れずつ食べる伝統がある。
しかし薫さんが言うように、いつ食べたっておいしい。
私のお母さんは、クリスマスに限らずよく作っていた。
薫さんが一切れずつ小皿に盛りつけたシュトーレンを、子どもたちがぱくぱく口へ運ぶ。
「うわ! なにこれうま! 芽生のパパが作ったの? すげぇー」
「パパはすごいでしょ~!」
「雛子もこれ好き!」
席に座り、私も一口シュトーレンをいただく。すると口の中はうっとりするほど芳醇なクリスマスの香りに満たされる。
「ドライフルーツが染みていて、しっとりしていておいしいです。何日目くらいですか?」
尋ねると薫さんが胸を張って答えた。
「七日目よ。ちょうどおいしい時期だと思わない?」
「思います! 薫さん、そんなに前から準備されてたのですね」
「みんなで食べるのを楽しみにしてたのよ。んー、紅茶も合う!」
私たちは柑橘系のアールグレイとシュトーレンの上品な甘さを堪能する。シュトーレンからラム酒の香りはほぼせず、子どもたちが食べられるようアルコールを飛ばした配慮が伝わってくる。
私はまだまったり食べていたのだが、子どもたちはすぐ食べ終わり、ジュースも飲み干した。
「見て! 雪!」
雛子ちゃんが外を指さして言う。
「ほんとだ!」
「ヤバ! 芽生、雛子! 外に行こうぜ!」
子どもたちはお絵描きの予定を放って、小雪がちらつき始めた庭へと駆けていく。千春さんの隣に座る葵さんがそわそわしていた。
「俺も行かないと……!」
「完全に子どもと思考が一緒なんだけど」
千春さんは紅茶を口に運んでから、葵さんをじとりと見た。立ち上がった葵さんは薫さんに尋ねる。
「薫さん、蔦葉荘の庭は……焚火台を使った焚火が可能ですか」
葵さんの真剣な声に、薫さんもきりりと答える。
「可能よ。小さい火ならOK」
「いってきます!」
葵さんも子どもたちと同じ勢いで外へ飛び出していく。
彼は自分の車から小さな焚火台を持ってきて、小雪の庭で火を焚き始めた。マシュマロも常備しているのか、子どもたちは串に刺したマシュマロを炙って盛り上がっている。
「葵さん、モテますね」
私がそう言うと、千春さんが同意する。
「子どもには絶大な人気だよね」
「葵くんの熱意に負けない、気立てのいい彼女が現れるといいんだけどねぇ」
薫さんが子どもたちと遊ぶ葵さんを見つめて微笑んだ。
アトリエに残った私と千春さんと薫さんで、室内ののんびり紅茶タイムを満喫する。
庭で葵さんと芽生くんが戯れるのを見ながら、私はずっと喉の奥にひっかかっていたことを問いかけた。
「あの薫さん、前に芽生くんが病院に行っていると教えてくれたのですが」
穏やかだった薫さんの表情が、急に強張る。
「あ、あー……そうなの、ちょっとね」
彼の口が重くなり、訊いてはいけないことを言ってしまった雰囲気が漂う。そうですかと流そうかと思ったが、千春さんが言った。
「芽生が『頭が変かも』と言ってたので、僕も気になってました」
芽生くんは千春さんにも同じ話をしていたようだ。薫さんは手元の紅茶へと視線を下げる。
「芽生、そんなこと言ってた?」
「もしかして、ディスレクシアの検査ですか?」
千春さんがまっすぐ問いを放つ。
「ディスレクシア」は文字の読み書きに大きな困難がある、という学習障害だ。
私もその可能性を少し感じていた。
芽生くんは普段のコミュニケーションそのものに、問題は見られない。年齢に対して著しい知能の低さも感じない。
なのに、文字が読めず、テストがゼロ点。
それは何かおかしいと思っていたのだ。
薫さんは目を見開いてから、小さく頷いた。
「そんなはずないのよ? でも、学校の先生がその、久保先生っていうんだけど。先生が熱心に勧めるから、一応ね。また年明けに結果を聞きに病院に行く予定なのよ」
薫さんが細い声で事情を語ってくれる。
「あ、今度はコーヒーでも飲む? アタシが淹れるから二人は座ってて」
薫さんは話を切り上げて立ちあがり、キッチンへ向かう。
残された私と千春さんはふと視線を交わしたが、お互いに何も言わなかった。繊細な問題だ。文字をつかさどる部分の発達が、遅れ気味なだけの可能性だってある。
薫さんがコーヒーを運んできて座り、いつものようににこりと笑う。
「二人とも、年末の予定は?」
話を切り替える薫さんに合わせて、千春さんが淡々と答える。
「祖母に会いに行ったあとは、蔦葉荘で年越しします。薫さんと芽生は去年と同じですか」
「ええ、この忘年会が終わったら、皐月ちゃんのご両親の家に泊まりに行くわ」
亡くなった芽生くんのお母さん、皐月さんのご両親は健在のようだ。
孫の芽生くんが来るのを毎年楽しみにしていると、薫さんは朗らかに語った。
年が明けたら今度は、蔦葉荘から車で三十分ほどの距離にある、薫さんのご両親の家に行くという。
「予定がたくさんあって楽しそうです」
「彩葉ちゃんは? 帰省するの?」
「帰省、ですか」
コーヒーの黒い水面を見つめて考え込む。
夏の日に実家を飛び出して蔦葉荘へやってきた。「家から出ます」とラインを一本打ってから、両親からの連絡をブロックしたままだ。
お母さんやお父さんは、どうしているだろうか。
「彩葉ちゃん、会えるうちはたくさん会った方がいいわ」
薫さんの優しい声が、沈んでいた思考から私を引き上げる。妻を亡くした彼の言葉には重みがある。
「彩葉ちゃんがどうして家を出てきたかは知らないけど。親はそんなことより、顔さえ見せてくれればそれでいいんだから」
薫さんが外に目をやる。
彼の視線は、小雪の中で鬼ごっこをしながら鼻先を真っ赤にして笑う芽生くんにまっすぐ向いていた。
愛情が滲み出るような親のやわらかい視線だ。千春さんがけろっと言う。
「帰省って言うと仰々しいけど、お土産を持ってお茶をしに行くってくらいにしたら?」
「それはいい考えね。アタシも大家の挨拶としてシュトーレンをお土産に……ってもう食べちゃったわ!」
薫さんの慌てぶりにみんなで笑った。久しぶりに両親の顔が頭に浮かんだ。
「今まで自分のことに必死だったのですが……よく考えてみれば、お母さんとお父さんは大好きな私がいなくなって、泣き暮らしていたかもしれません」
千春さんと薫さんは、顔を見合わせてしばらく黙ったあと、くすくす笑い始めた。
「彩葉ちゃん、帰った方がいいわ、絶対」
「どうやって育てば、そこまで自分が愛されてる自信を持てるか、教えてほしいくらいだけど」
「きっと、すんごいのよ」
薫さんと千春さんはずっと笑っていたが、私は首を傾げてしまう。
何か、間違っていただろうか。
忘年会は終わりを迎え、アトリエの片づけを終えてから各自解散となった。
薫さんと芽生くんは大荷物を持って出発し、千春さんは葵さんと一緒に出かけた。社長と三人で居酒屋に集合するそうだ。
楽しかった忘年会の余韻があるアトリエで、私はひとり、キッチンの前に立つ。自室のキッチンは小さいので、機材が揃ったアトリエのキッチンを選んだ。
「では、やってみましょうか」
薫さんに教えてもらったレシピで、お母さんの好物、シュトーレンを作ることにした。
できあがったシュトーレンをお土産にして、私も家に帰ろうと思う。




