表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蔦葉荘のいろは  作者: ミラ
第三章 彩葉とAIと道具

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/41

9

 犬沢さんとのお話に一定の前進を得ることができた週末、十二月の蔦のアトリエデーがやってきた。今日は先日ついに完成したカマキリの紙芝居を披露する予定だ。

 急に冬らしく冷え込んで、暖房のありがたみを感じるアトリエで、私は千春さんに深く頭を下げていた。

「金曜日は大変お手数おかけいたしました」

「べっろべろに酔った彩葉を連れて帰るの、大変だったんですけど」

「本当に申し訳ございません」

「あんな状態になったら、知らない人間にどっか連れていかれても文句言えないのもわかんない? あー、ごめん。危機感って言葉は、彩葉にはまだわかんないよね?」

 冷え込んだ外より寒い彼の笑顔に震えながら、私はぺこぺこ頭を下げる。

 胡桃のテーブルのそばに座った薫さんが眉をハの字にしながら、私たちの間を取り持ってくれる。

「まあまあ千春くん、彩葉ちゃんはまだいろいろ初めてだから勘弁してあげてよ」

「未経験だからってやりようがありますよ。彩葉のは、考えナシって言うんです」

 千春さんの正論に刺された私は、頭を上げられない。

 あの日、犬沢さん宅からの帰り道。

 千春さんへ報告を済ませると、「お疲れ、帰っていいよ」とだけ言われた。隣で聞いていた林さんと「皮肉が一つもなかった!」と大いに盛り上がった。

 お祝いだと林さんに誘われ、その流れで私は初めて居酒屋に行って、ビールで乾杯をした。

 これがいけなかった。

 達成感と開放感と、初めてのお酒が全部混ざりあい、何杯飲んだかも覚えていない。

 林さんに飲酒未経験だと伝えていなかったので、彼女が私を止めることはない。居酒屋で泥酔した私は住所も言えなかったそうだ。

 困った林さんが千春さんに連絡して、彼が居酒屋まで私を迎えに来てくれたらしい。

 気が付いたら部屋で寝ていたので、起きた瞬間に血の気が引いた。

 その経緯を全部、後から林さんに聞き、今ここで平謝りしている。

「もう外で飲むの止めたら? 世間知らずもここまでいくとそろそろ芸術じゃない?」

「もう飲みません! 約束します!」

 千春さんは何度も大ため息をついてからやっと椅子に座る。所在なく立ち尽くしていると、ぽすんと後ろからやわらかいものが抱きついてきた。

「彩葉ちゃん、また千春くんとケンカ?」

 振り向くともっちりほっぺの芽生くんが私を見上げていて、情けなさでいっぱいだった胸が緩む。

「いえ、私が失敗しただけです。千春さんは何も悪くありません」

「でも彩葉ちゃん、しょんぼりしてるよ? 千春くんはもっと優しく言ってあげて!」

 芽生くんが胸を張りながら私の前に立って、千春さんを指さした。

「お友だちには優しく! だよ!」

「そうよね芽生、パパはそう教えているものね」

 薫さんはうんうんと満足そうに微笑む。千春さんはわざとらしく肩をすくめて見せる。

「芽生、よく言われるけど、僕ってそんなにキツい?」

「ぼくには優しいよ? でも彩葉ちゃんにはこわかった!」

 芽生くんはすぱっと感じたままを話す。芽生くんが千春さんの腕を引っ張って顔を下げさせ、耳元で囁いた。静かなアトリエにこそこそ話は筒抜けだ。

「千春くん、ありがとうと、ごめんねはプレゼントをするといいんだよ」

 芽生くんは以前私にも言ったことを、そのまま千春さんにも伝える。千春さんも芽生くんにひそひそし返す。

「芽生、プレゼントしたら彩葉は許してくれる?」

「うん!」

「じゃあ、やってみようか」

 二人は顔を見合わせて、悪戯を確認し合うようににっと笑った。

 千春さんは立ち上がり、突っ立ったままの私の前にやってきた。

 声が出ないように両手で口を押えた薫さんと、きらきら期待した目をする芽生くんが私たちを見守っている。

 千春さんはポケットから、何かを取り出して私の方に差し出した。

「十二月のアトリエデーの発表は、僕からね」

 千春さんが私の手の平に置いたのは、つるつるの空豆くらいの大きさの陶器だ。

 中央部分がへこんだ饅頭みたいな形で、おそらく箸置きだろう。

 ビスケット色の箸置きには、シナモン色で顔と耳が描かれている。私は箸置きをじっくり眺めて、その顔の正体を口にした。

「タヌキ、ですか?」

「正解」

 薫さんと芽生くんが近寄ってきて、タヌキの箸置きを全員でじっくり観察する。

「タヌキの穏やかな笑顔がほのぼの~って感じで素敵ね」

「タヌキのマクラだ! ぐにってなってるとこにお箸が寝るんだよね!」

 二人が一言ずつ感想を述べたあと、私に視線が集まる。私は手のひらに乗ったタヌキと見つめ合ってから言った。

「何とも言えず愛嬌のある顔で可愛いです。毎日お箸を寝かせて癒されたいです!」

 タヌキの箸置きが可愛くて、元気に声を上げてしまう。するとみんなが声を揃えて笑った。千春さんが私の手の中のタヌキを指さした。

「それ、彩葉にあげる」

「よろしいのですか?」

「この前、コースターもらったお返しと、あと……彩葉が悪いと僕は思ってるんだけど」

 彼は首を傾げながら、これで満足ですかと皮肉を込めたように綺麗に微笑んだ。

「怖く言ったらしくて、ごめんね?」

 全く反省した声色ではない。

 しかし、千春さんの「ごめんね」が思ったより胸に衝撃だった。箸置きを思わず手の中にぎゅっと閉じ込めてしまう。

 彼は芽生くんの提案に、遊び半分に乗っただけだ。でもなぜか、彼のからかうような笑みがどうにも目の裏に焼きついた。冷たい笑顔で叱られるよりずっと、動揺してしまった。

「千春くん、ごめんねできてえらいー!」

 芽生くんがはしゃぐ横で、私と同じように放心していた薫さんがぱんと時間を取り戻すように拍手し始める。

「そうね、そうよね、偉いわ。それになんかすごいものを見ちゃったわ!」

「すごいものって何がですか? 芽生の言う通りしただけですよ?」

 千春さんは膝の上に乗ろうとする芽生くんを受け入れつつ、しれっと言い放つ。薫さんが仕切り直す。

「じゃ、じゃあ次は誰が発表するー?」

「はい! 僕は今月、雛子ちゃんを描いたよ!」

 薫さんが千春さんからのプレゼントの驚きを和らげつつアトリエデーを進行していく。私は紙芝居を発表して、薫さんは魚介出汁のレモン鍋の上に、大根おろしの猫アートを魅せてくれた。

 もったいないながらも、猫の大根おろしを溶かしながらさっぱりしたお鍋をみんなで囲んでほっこりした。

「彩葉ちゃん、カマキリのお話もう一回読んで!」

「もちろん、いいですよ」

 食べ終わって薫さんと千春さんが片づけを始めると、芽生くんが私に紙芝居のアンコールをお願いしてくれる。

 鍋の余韻か、ほかほかほっぺのままの芽生くんとお絵描きコーナーで遊んだ。すると、芽生くんが私にこっそり教えてくれた。

「あのね、彩葉ちゃん。ぼくね、もう何回も病院に行ってるんだ」

「病院ですか?」

 薫さんからそんな話を聞いたことはなかった。だが、芽生くんが嘘を言うはずもない。

 彼は私のカマキリの紙芝居を一枚一枚床に並べて、裏返しにする。裏には文字が並んでいる。彼が文字を見つめながら言う。

「ぼくね、頭がへんなのかも」

「変ってどういう意味」

 芽生くんに聞き返そうとしたが、キッチンから薫さんの声がかかる。

「芽生、今日は雛子ちゃんのお家に遊びに行くんでしょ? もう時間よ」

「行く!」

 立ち上がった芽生くんは、薫さんと一緒に出発した。

 どういう意味なのか詳しく聞きたかったが、またの機会になってしまった。

 薫さんからは病院に行ったことを聞いていない。踏み込むべき内容ではないのかもしれないとブレーキもかかった。

「彩葉、鍵閉めるよ。まだアトリエ使う?」

 千春さんの声に顔を上げる。芽生くんの話をすべきだろうか。いやでも芽生くんが何か勘違いしているかもしれないので大ごとにもしたくない。

 私は千春さんの顔を見つめたままじっと考え込んだ。

「顔見て黙るのやめてくれない?」

「あ、すみません」

 また自分の思考だけになっていたようだ。怖いと思われたかもしれない。千春さんが背を向けて入口へと向かう。私も帰ろうとすると、手に持っていたスマホが震えた。

「あ、葵さんから」

 キャンプの帰りに葵さんと連絡先を交換したのだ。立ち止まってスマホを確認する。

 送られてきた一文は「またキャンプ行こうね」という当たり障りのないもので、その下に一枚の写真が現れる。千春さんが振り返る。

「葵、なんて?」

「キャンプのときの写真を送ってくれました」

 キャンプの日に撮った集合写真だ。千春さんは真顔だが、私と芽生くんと葵さんは楽しそうに笑っている。

 千春さんがひょいと私のスマホを覗き込んで、写真を指さした。

「彩葉のこの顔、さっきのタヌキに似てると思わない?」

「え?」

 私はポケットから箸置きを取り出して、写真と見比べる。

「表情にしまりがなくて、ぽやぽやで、なんとも情けない平和顔」

 千春さんは意地悪く笑ってから、戸締まりよろしくと言ってアトリエをさっさと出ていった。しばらく考えてから、私は独り言ちる。

「……葵さん、今の千春さんの言葉を翻訳してください」

 天井を仰いだ私は、ここにいない葵さんに助けを求める。私には、ただの嫌味にしか聞こえなかった。だが、葵さんなら受け取り方が違うのだろうか。

 一人きりになったアトリエで、私はタヌキの箸置きを見つめる。目を凝らして、何度も鑑賞したが、感想は同じだ。

「千春さんはああ言いましたが、このタヌキは……可愛いですよ?」

 彼がその手で作った私みたいなタヌキは、無邪気に笑っている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ