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葵さんとのキャンプを終えた週明け、私は資料の束を抱えて立川のオフィスへ出勤した。
朝のオフィスで、私は自分のデスクより先に、千春さんのデスクへ直行する。
「千春さん、お話があります」
「そう言ってくると思ってたよ」
千春さんはくるりと椅子を回して振り返り、私を見上げて口端を上げた。
「犬沢さんを口説ける話、持ってきたんだよね?」
「千春さんの回答次第、というところまでは持っていけたかと思います」
「聞こうか」
彼は私を隣に座らせ、最初から最後まで一切口を挟まずに話を聞き切った。そうして最後に「一考の価値あり」と一言だけ言った。
千春さんはその後すぐに、社長に話を通し、社内での合意を取る場を設けてくれた。小さなスタートアップ会社ならではスピード感だ。そうして体制を整えた後、私を犬沢さん宅へと送り出してくれた。
金曜日のお昼過ぎ、営業バディの林さんと一緒に犬沢さんのお屋敷を訪れた。
前も通された和室にテーブルを置いた部屋に、電動車椅子に乗った犬沢さんが現れる。犬沢さんは節くれだった手を、私の隣に座る林さんに向かって上げる。
「林さん、今度またカラオケ喫茶に来てくれるだろ? 良い歌声だったからな」
「ありがとうございます。もちろん伺います。犬沢さんの歌も渋くて痺れましたから」
「ハハッ、うまいこと言っても、投資するかしないかは別の話だぞ?」
「もちろん、存じております」
犬沢さんは大らかに笑い、林さんも朗らかに微笑み返す。まるで友だちかのような二人の空気に驚かされる。
私がここを訪問するのは二度目だが、林さんは毎日のように足繁く犬沢さん宅へ通い、犬沢さんの趣味であるカラオケもご一緒したという。
すっかり話をしやすい土壌が整っていて、泥臭い営業の実力を知った。林さんが私を再度紹介してくれる。
「犬沢さん、本日は我が社のホープ、白崎を再び連れて参りました。もう一度だけ、AIインカムについてお話させてください。もし気に入っていただけましたら、ご支援をいただけると幸いです」
「もう聞く気もなかったけどな、林さんの頼みなら聞くだけは聞かせてもらうよ」
犬沢さんは何度も頷いて仕方ないからと示した。
林さんが作ってくれたチャンスを必ずものにしたい。私は笑顔で話し始める。
「犬沢さん、以前お話させていただいたときに『AIに人間の領域を侵されてたまるか』とおっしゃったのを覚えておられますか」
「ああ、もちろん」
「私自身、正直に言ってAIに畏怖を感じるところがありました。なので、AIとともに生きる未来について、犬沢さんのお言葉に深く考えさせられました」
犬沢さんは腕を組みながら一つ頷く。私の話に一応聞く耳を持ってくれているようだ。私は部屋の端にある箪笥の上に、家族写真が飾ってあるのを見つめた。
「犬沢さんはお孫さんがいらっしゃいますよね?」
「小学校一年生だ」
「実は、お孫さんの悠里くんと私の知り合いが同級生でして」
「ほう、そうか。世話になるな」
悠里くんの名前が出ると、犬沢さんの目元が少し和らいだ。
「AIの未来を考えるとき、子どもたちを想いました。悠里くんの未来はもう、AIと共に生きていくことが前提になると思いませんか?」
私の問いに犬沢さんは腕を組んだまま小さく唸る。
「まあ、それはそうかもしれんな」
彼は電動車椅子に身を任せているので、介護の現場に機械が入ること自体には反対していない。入浴介助ロボットや移乗ロボットなどに拒否感はないと林さんから報告があった。
彼は道具が進化し続けていることを体感として知っている人だ。犬沢さんは答えた。
「けど、悠里の未来のためにも、AIとの関わり方は考えなくちゃいかん」
「その通りです。犬沢さんが危惧するようにAIは使い方によって、領域を侵すようなところがあります」
私の肯定に、犬沢さんも頷く。
「AIの進化は止められません。ならば、犬沢さんが身をもって、悠里くんにAIとの付き合い方を見せるべきではありませんか?」
「そんなことをせずとも、悠里にはきちんと教育が行き届いている」
彼の反論に、私は一度、口を閉じて目線を下げる。手の平にじっとりと汗が滲む。悠里くんが芽生くんと雛子ちゃんを罵ったことを私は忘れない。
「お言葉ですが、犬沢さん……」
逡巡したが、手の平をぎゅっと握ってから顎を上げた。
「悠里くんは私の友だちを『バカ』と罵り、『メガネブス』とまでおっしゃいました」
「何?!」
「言葉を道具として、正しく使いこなしているとは思いませんでした。悠里くんにご確認ください」
犬沢さんは難しい顔をして口を引き絞る。孫はそんなことを言わないと一刀両断しないところに、犬沢さんの見識の広さが見える。
「……確認しよう」
「ありがとうございます」
芽生くんがナイフを使って箸を作ったように、道具を正しく使うためには大人の指導が必要だ。私は続ける。
「これからの時代を生きる悠里くんのために。おじい様がAIをも恐れず、正しく使いこなす背中を見せることが必要ではないでしょうか? 『人間の領域を決して侵させない』という使い方です」
苦々しい顔をしたままの犬沢さんが、渋い声を出す。
「AIは知らないうちに領域を侵すだろう」
「たしかに、知らないうちにAI技術が身近なテクノロジーに投入されていたということはあります。その、『見えなさ』が恐ろしさの一端だと考えました」
私は取り出した資料を犬沢さんの前に丁寧に置いた。
「だから弊社は製品の前に、犬沢さんにこれを提示いたします」
資料のタイトルは『弊社のAI開発ガイドライン』だ。
キャンプの夜に千春さんが言ったAI取り扱いマニュアルに着想を得た。
犬沢さんは手に取って資料を捲っていく。
「犬沢さんが危惧するのは、介護業界におけるコミュニケーション、人と人との大切な触れあいの場面に、AIが入り込むことではないでしょうか?」
施設利用者が話しかけると、まるでそこに人がいるかのように返答をするコミュニケーションAIロボットは実在する。レクレーションの時間に踊ってみせるようなロボットもいる。
犬沢さんは人でないものに、自分の相手をされることに対して、人としての矜持が傷つくのではないだろうか。
「弊社はAIコミュニケーションロボットを、開発しないとお約束します」
ガイドラインを作成するにあたって、AIコミュニケーションロボット開発への道筋を閉じることは、社内で議論が白熱した。
まだこれから大きくなろうとする会社なのに、可能性を捨てるのはどうかという意見はもちろん上がった。
けれど、社長が私の意見に強く賛同してくれた。
最終的には「何をしないか」を明確に掲げることこそが、弊社のブランドになるという結論を得て、ガイドライン作成が決定。
弊社は「線引き」を実行したのだ。
「弊社は介護の領域において、人間とコミュニケーションをとるのはあくまで人間であるべき、という立場を明確にいたします」
犬沢さんはガイドラインから顔を上げて私を見つめる。
「じゃあ、AIインカムってのは、何をするものなんだ?」
犬沢さんからこの質問をいただくために、何十、何百と会話を想定して書き出した。やっと欲しかった問いをもらえて、私はにこりと笑う。
「AIインカムは、介護者の『余裕』を生みます。そうして生まれた余裕で利用者様の生活の質を上げ、さらにはその、お孫さんの笑顔を増やします」
「孫の笑顔? どう関係があるんだ?」
訝しむ犬沢さんに、私は一枚の写真を手渡す。
「これは、AIインカムプロジェクトの調査段階として、詳細な排泄データを取ったときの写真です」
常盤さんと千春さんが笑顔で粘土遊びをしている、あの写真だ。千春さんから提供してもらった。犬沢さんは眼鏡をかけて、写真をまじまじと見つめる。
「写真の女性は認知症で生活の質が落ちてしまっていました。ですが、詳細なデータの取得により介護者の対応に余裕が生まれたおかげで、イラつきが和らぎ、お孫さんと趣味の粘土遊びをする機会を得ることができました。これがAIインカムの目指す未来です」
犬沢さんがふと、箪笥の上の家族写真に目をやった。
「AIインカムは利用者様と、そのご家族のしあわせを増やすお手伝いをします」
彼の頭には、将来施設に入所したとき、悠里くんが遊びに来てくれる姿が浮かんでいるのではないだろうか。
「弊社は人間の領域を決して侵さないと、お約束いたします」
私の声が和室の空気に溶けて消え、しばらく写真を静かに見つめた犬沢さんは深く息をつく。
「悠里を……しっかり教育しないといけないからな。AIインカム、前向きに検討させてもらうよ」
犬沢さんの返答を受け、私と林さんは顔を見合わせた。
その後、犬沢さん宅でお茶をいただき、お暇するときに私は鞄から本を取り出してテーブルの上に置いた。
「犬沢さん、もし良ければですがこれをどうぞ」
「本か?」
「はい、私自身はこういう考えの持ち主です、という証拠の提示といいますか」
「ん? 森のステラか。持ってるよ。この世界観は理想的で良いよな」
目元に皺を深く刻んで笑顔を見せた犬沢さんの返答に、虚を突かれた。林さんが即座に補足する。
「実はこの本、白崎さんが書いたんですよ」
「ほ、本当か?!」
犬沢さんが前のめりになるので、私は何度もこくこく頷く。
「僭越ながら、著者です」
「どうして早く言わないんだ! この理念を持っている人間が話しに来たのなら、すぐ話が通ったのに!」
「そ、そうなのですか?! 申し訳ございません!」
犬沢さんの勢いに押されて私が平謝りするのを見て、林さんがからから笑って言う。
「遠回りしてしまったようですけれど、お互いを知り合うためによい話し合いになりましたよね」
犬沢さんは寝室から自身が所有する森のステラを持ってきてくれて、恐縮ながらサインを書かせていただいた。




