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箸作りを終えると、葵さんがまた焚火の前に張りついてしまった。今度は肉の塊ブロックを焼くそうだ。
すっかり安定した焚火の上に網を置いて、肉の表を三十分焼き、さらに裏を三十分焼くという地道な作業に、葵さんはまた没頭し始めた。
「葵は放っておこう」
「千春さん、ずっとそれですね」
「あれに付き合ってられないんだよ」
葵さんの没頭もまた、人を寄せ付けない「線引き」のようなところがあると思う。
夕食作りを終えると夜が訪れた。
焚火を囲んで椅子を並べると、森の小さなパーティ会場のような特別な雰囲気に包まれる。今日の夕食のメニューは葵さんがじっくり焼いたローストビーフと、私と千春さんと芽生くんで炊いた白ご飯だ。
「おいしいね~!」
ローストビーフ丼という野外で食べるにしては豪勢なものを口に運ぶと、芽生くんの声が明るく響く。
「見て彩葉ちゃん、このおはし、ぼくが作ったんだよ!」
「とっても強そうなお箸です!」
芽生くんの極太お箸、私の細すぎるお箸、千春さんの歪んだお箸の品評会をやってから、肉汁豊かなローストビーフを手作りお箸でいただいた。
「おかわり~!」
芽生くんは箸作りを終えてから、すっかり元気を取り戻した気がする。もちもちほっぺに刻んだ笑窪を何度も見せてくれるのだ。
悠里くんのことについて自分の中で整理がついたからかもしれない。
私はビール缶を手に持つ葵さんにローストビーフの感想を伝える。
「直火で炙ったお肉の香りが絶品ですね。手慣れている方の技です」
「ありがとう、得意料理なんだよ」
「根気がいる料理なのにすごいです。葵さんはキャンパーがお仕事なのですか?」
「そうなりたいけど、そうなってないんだよね~俺の仕事の話をすると、昔話になっちゃうんだけど」
「昔話ですか?」
芽生くんが一生懸命お肉を頬張るのを見つめながら、葵さんは笑う。
「俺と千春と、彩葉ちゃんの会社の社長。三人で大学の同期だったの知ってる?」
「え、社長も、同期ですか?」
驚いて聞き返す。うちの社長は千春さんたちより、二回りは年上だ。
「そうそう、社長さ、親の遺産でまとまったお金が入ったとかで、大学に行き直したんだよ。そんで俺らと同期になって、キャンプ同好会を一緒にやってたの」
千春さんが芽生くんの口をティッシュで拭う横で、葵さんが続ける。
「卒業して起業した社長が、一緒に働かないかって俺らに声かけてくれたって感じ」
「そうだったのですか。では、葵さんはどうしてうちの会社にいらっしゃらないのでしょう?」
素朴な疑問である。三人で仲が良いなら、みんな同じ会社に揃っていてもおかしくないはずだ。
「俺はキャンプをやりたいから、会社勤めは辞めたんだ。他にやってみたいこともあるし、今はフリーのプログラマー。千春が声かけてくれて、今度のAIインカムのチームにも入れてもらったんだよ?」
「え、知りませんでした……!」
「千春のプロジェクトは、進捗確認がすごく多いから怖いけどね~」
悪戯っぽい顔で笑った葵さんに、ビールを一口飲んだ千春さんが言う。
「葵がサボったら、進行が全部狂うからね」
あははと通る声で笑った葵さんが、千春さんの肩を小突く。
「俺の働きに期待大ってことらしい!」
そういう意味だったのかと密かに納得する。葵さんは千春さんのわかりにくい言葉をあっさりポジティブ変換してしまう。
芽生くんが急に手を上げた。
「ぼく、トイレ!」
「あ、私が付き添います」
サイトからトイレまでは少しだけ距離があるので、芽生くんには付き添いが必要だ。私が立ちあがろうとすると、手で制した千春さんが先に立つ。
「僕が行くよ。もう夜だから、彩葉も一人でうろうろしないでよ」
「千春は心配だから気をつけてねって、言ってまーす」
葵さんがビール缶を傾けてあっけらかんと言う。千春さんはじろりと葵さんを睨んでから、芽生くんとトイレに向かった。
二人を見送り、にこにこした葵さんが私のお皿にお肉を追加してくれる。
「葵さんと千春さんは、とてもタイプが違うようにお見受けしますが。どうやって仲良くなられたのですか」
「えー、そういうの聞いてもらえるの嬉しいな~」
彼は目を輝かせながら、前のめりに話し始めた。
「大学に入ってすぐフレッシュ山キャンプっていう必修イベントがあってさ。俺、そこでなんと! 夜に滑落しちゃったんだよ」
「滑落?!」
夜の山でのキャンプで、斜面を転げ落ちたという。驚いてしまい、箸で掴んでいた肉が皿の上に落下した。
「そのときはキャンプ初心者だったから、完全に不注意だった。その現場をたまたま見てた千春が助けようとしてくれたんだけど、一緒に落ちちゃったの。バカでしょ、俺ら」
葵さんは大笑いして言ったが、なかなか笑えない状況だ。
「怪我は大したことなかったんだけど、上れなくてさ。そのまま見つけてもらえるまで二人で過ごしたんだ。三時間ぐらいだったんだよ? でも、やっぱり夜の山は……すごい怖かった」
ぱちぱちと優しく燃える炎を見ながら、懐かしむような彼の横顔を見つめる。
「そのとき、千春と初めて話したんだけど。千春、なんて言ったと思う?」
私は千春さんになりきって考えてみた。
「『滑落するなんてすごいね。危機管理って言葉、知ってる? まだ君にはわかんないか』 とかですか?」
「ちょっと、彩葉ちゃん最高なんだけど、再現度が高すぎて笑う。また千春の前でやって」
葵さんは片手で目を覆って肩を揺らして笑っていたが、丁重にお断りした。気を取り直して葵さんが昔話を続ける。
「滑落したときさ、千春、俺のこと不注意だって怒らなかったんだよ」
「意外です」
「でしょ~」
私が同じように落下していたら、つらつらと嫌味を浴びせられそうな気がする。火がぱちんと弾けて、葵さんの自慢げな顔を照らす。
「『助けられなくて悪かったね』って。人呼びに行けばよかったって対応策まで出してから、そっぽ向くの。いや、千春全然悪くないし、俺のせいだしって!」
「ふふっ、千春さんってお礼とか謝罪とかは意外に素直ですもんね」
そのときの千春さんの眉間に縦皺が寄った表情まで目に浮かぶ。
「そうなんだよ。でもそのあと話してたら、大学の危機管理体制の甘さから、千春の容姿目当てで近づく女子たちへの恨みつらみまで、千春の口が悪いのなんのって笑ったよ」
無防備な状態で山の夜を過ごすだなんて、危機管理意識が高い千春さんからしたらストレスの極地だっただろう。身の回りの全てへの不平不満を口にする姿が想像できる。
「でもさ、最初の一言があったから、嫌えるわけがなくてさ」
蔦葉荘で世話になりながら職場でも迷惑をかけ続けている私には、心当たりが多かった。千春さんの言葉は耳が痛いことが多い。
だが、彼の行動は結局、いつも私を助けてくれる。
「大学では千春といるようになってさ。口の悪さと真意のギャップを気に入ったというか。俺はそれからずっと、嫌味の真意を汲んでやる~! って思ってんの」
葵さんは千春さんの誠実さを信じているからこそ、その翻訳力が身についたのか。
彼はビールを飲み切って、ご機嫌な様子で立ち上がる。新しいビール缶を取ってきた葵さんが、私の隣に座り直して言った。
「ところでさ、AIインカム、彩葉ちゃんの発案なんでしょ? 夢があるのに現実味もあって、俺はすごい好きなプロジェクトだよ」
「あ、ありがとうございます!」
ストレートに褒めてもらうと、犬沢さんの件で躓いているもやもやが少し癒される。そういえば、昨夜の千春さんの言葉について、葵さんなら翻訳できるのではないだろうか。
「あの、葵さんを見込んでお聞きしたいことがあるのですが」
「えー嬉しい、何でも聞いてよ。まず、千春があんなに捻くれてる理由だよね? まあ基本は元からだけど、ばあちゃんが甘やかしすぎた上に、モテ容姿すぎたからこその複合要因なんじゃないかってのが俺の説で」
やや酔っているのか、葵さんが一人で話し出す。
「待ってください、葵さん!」
「え?」
「そのお話も興味深いのですが、また今度にしていただいて」
「そうなの? じゃあ何?」
口を尖らせる彼に、私は真剣に問いかけた。
「実は昨日、千春さんに『どうしたらAIと正しく付き合えるか』と聞いたのです。そうしたら『人間が人間らしくあればいいのでは』と言われて……でも私、さっぱり意味がわからなくて」
葵さんは焚火に薪をくべて、くふっと笑った。
「千春っぽい回答。あーだから千春、急にキャンプ行くって言い出したんだ? 散々誘っても忙しいの一点張りだったくせに」
彼は火を見つめながら目を細め、だんだんと声が小さくなっていく。
「……彩葉ちゃんのためかぁ、マジで嬉しくて泣けちゃうなぁ」
最後の方は火のぱちぱち音で聞こえなかった。何かを噛みしめたらしい葵さんは顔を上げる。
「キャンプするとわかるんだよね、自分がどうしようもなく人間だって」
葵さんはビールを両手で持って、チェアの背もたれに深く凭れて高い空を見上げた。
「AIはキャンプしないから、AIと人間はキャンプの分野では明確にバッサリ分かれてるでしょ?」
「それはもちろん、そうです」
「でもクリエイトな分野や、介護とかグラデーションな分野もあるじゃん。そこはさ、キャンプとAIくらい明確で太い線を、人間が引けばいいんだよ」
線を引く。
その勇敢さを、さっき芽生くんが教えてくれたばかりだ。
「人間が楽しく遊ぶ現実の空間にAIはいらないってことが、キャンプしてるとめっちゃわかると思わない?」
犬沢さんの言葉が浮かんでくる。
「人間の領域、ということでしょうか」
「あ、うまいこと言うね。千春は彩葉ちゃんに、人間の絶対領域があることを体験としてわかってほしかったんじゃないかな」
葵さんが白い歯を見せて軽やかに笑うと、芽生くんがサイトに走り込んできた。
「ぼくの勝ちー!」
芽生くんが両手を夜空に突き上げる。芽生くんの後ろから千春さんがのろのろ小走りで帰ってきた。
「芽生、早いね……」
「ちょっと千春、小一にかけっこで負けるとか、運動不足すぎるんだけど!」
「年中キャンプしてるオタクと体力を一緒にしないでよ」
珍しく息を乱した千春さんを見て、葵さんが大笑いする。芽生くんが再び席について肉を頬張って微笑み、葵さんと千春さんが心置きなく言い合って笑う。
火を熾して、ナイフで箸を作って語らい、夜にはお肉を焼いておいしく食べる。
今、ここにAIはいらない。
迷う余地もなくそう、はっきりとわかった。




