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蔦葉荘のいろは  作者: ミラ
第三章 彩葉とAIと道具

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5

 翌朝、アトリエに大きな車で迎えに来てくれた千春さんのご友人に連れられて、八王子から車で二時間の山合いにあるキャンプ場を訪れた。

 薫さんは仕事で来られなかったが、芽生くんも一緒だ。

 芽生くんは森の中の大きなテントを前にして、興奮した声を上げる。

「秘密基地だぁ!」

 芽生くんはさっそくモカ色の常設テントの中に突進していった。

 キャンプ場内で、個人がその日使う場所を「サイト」という。

 青空まで届きそうな杉の木に囲まれた私たちのサイトの中央には、大人が五人は眠れそうながっしりした常設テント。その周りには焚火台や丸太の椅子まで用意されている。

 澄んだ空気に包まれたサイトはまるで、森の中の上質なプライベート空間のようだ。

 車をサイトの横に乗り入れることができて、キャンプについて回る面倒というものをまるで感じないキャンプ場だった。

 設備の整ったサイトをじっくり見回していると、あおいさんが隣に立つ。

「どう、彩葉ちゃん、サイト気に入った?」

「はい。父は割とワイルドなキャンプを好んだので、こんなに綺麗なキャンプ場があるなんて驚きました」

「今はキャンプ場もピンキリだからね」

 日焼けした肌が健康的な葵さんは、白い歯を見せて快活に笑う。彼が着るウインドブレーカーのレモン色が、彼から受けるイメージによく馴染んでいる。彼は爽やかな笑顔を振りまきながら、人懐っこく話しかけてくれる。

「千春が今日は女性と子どもがいるって言うから、綺麗なとこにしたんだ」

 歴戦のキャンパーだという葵さんの気遣いに驚いた。

「参加するメンバーによって、キャンプ場選びも変わるのですね?」

「設備は適切に使わないとね。がっつり野性味を浴びたいときもあるし、ラグジュアリーな気分の時もあるじゃん? 今日のテーマはらくらくファミリーな感じ。いいよね、子どもがいるキャンプ!」

 ぎゅっと拳を握り締めて噛みしめる葵さんが可笑しくて笑ってしまう。気難しい千春さんに比べて、葵さんは人との垣根が低い。

「わかります。人がたくさんいるキャンプは初めてなのでわくわくします!」

 私も葵さんと同じくきゅっと両手の拳を握って見せる。

 すると、私を見た葵さんがしみじみ言った。

「偏屈な千春の彼女が素直で可愛くて、さらにキャンプにも前向き? もうどうしよう!こんないい子だなんて……!」

「彼女、ですか?」

「はいはい、違うって言ったでしょ、葵。それはもういいから、早く火を焚きなよ」

 芽生くんと一緒にテントから出てきた千春さんがため息をつきつつ、葵さんの後頭部をつんと指先で押した。葵さんはにたにた笑う。

「千春ったら、照れちゃって~」

「葵くん! 火見せて! 火!」

 焚火台の横で芽生くんがぴょんぴょん跳ねる。葵さんと芽生くんは今まで何度か一緒にキャンプをしたことがあるそうだ。葵さんがきらりと目を輝かせる。

「いやあ、芽生はわかってるね! やっぱりキャンプは火だよな! よしやろう!」

 駆け足で行ってしまった葵さんの背中を追いかけようとすると、千春さんから声がかかる。

「葵のあれ、気にしなくていいから」

「あれって、彼女って誤解のことですか?」

 千春さんが小さく頷き、私も頷き返した。

「千春さんが嫌でないなら、大丈夫です。今までそうやって人から茶化されたこともないので、こんな感じかと良い体験をさせてもらいました」

 微笑みかけると、千春さんはほっとしたように笑みを浮かべる。

「彩葉は人間関係の経験値を積んでる途中だからね」

「修行させていただいております」

「彩葉ちゃん、千春くん、早くー!」

 芽生くんに呼ばれた私たちも焚火台の周りに集合すると、葵さんが火の点け方を見せてくれた。

「では精密に美しく、炎を操っていきます」

 葵さんの独特な言い回しに首を傾げつつ、彼の手際の良さに見入る。

 しかし、だんだんと火に魅入られるように、葵さんの目が見開かれていく。

「今、北西から風が来てるから、ここでフェザースティックを投入。でもタイミングを誤るといけないからまず角度を計算しつつ」

「葵、目が怖いから落ち着いてくれない? だから彼女に逃げられるんだよ?」

 焚火を間違ってはいけない儀式のように丁寧に育てる葵さんに、千春さんから冷ややかな声が飛んだ。

 葵さんの説明は温度や風の角度、扇ぐ回数まで相当マニアックだ。人を寄せつけないほど没頭している。

「炎、かっこいい……!」

 芽生くんは葵さんの焚火うんちくは全て聞き流して、育っていく炎を見つめてうっとりする。

 だが私は葵さんののめり込み方を見て、焚火は素人が入ってはいけない彼の聖域だと示された気がした。

「彩葉、芽生、あれに付き合ってたら日が暮れるから、こっちで遊べば?」

 千春さんは葵さんを放っておけと言い、少し離れた場所にミニ焚火台を広げた。それも葵さんの持ち物であるが、千春さんは我が物のように扱う。芽生くんはやりたいと小さな台に食いつく。

「ふぅ……こんなもんかな」

 育てていた大きな焚火が安定したのか、やっと葵さんが立ち上がる。

 私と芽生くんは、千春さんが出してくれたミニ焚火台で小さな火を点けて盛り上がり、すでにこんがり焼きマシュマロを平らげた後である。

「え、俺も誘ってよ、マシュマロ!」

「あ、その」

 今さら気がついてショックを受ける彼に謝ろうとする。だが、葵さんが車に載せて持ってきた優雅な椅子に座る千春さんが、先に返答する。

「彩葉が誘ってたよ、何回も。無視したのそっち」

 私たちのお誘いは葵さんに届かなかったのだ。ものすごい集中力だった。

 千春さんの言うように、もし葵さんの彼女をキャンプに連れてきたら、彼女は寂しがってしまうだろう。

「えー、マジかー」

 がっかりする葵さんの服を、芽生くんがつんつんと引っ張った。

「葵くん、次はあれやろうよ。あれ」

「あれって?」

「シャッシャって!」

 芽生くんの身振り手振りで理解したらしい葵さんが立ち上がる。

「ナイフで箸作りか! いいね、やろっか!」

「やったー!」

 嬉しそうな芽生くんに水を差すようで悪いのだが、私は危機感を覚える。

「芽生くんにナイフは早いのでは……?」

「俺が見てるから大丈夫!」

 葵さんが任せなさいと胸を張る。千春さんも止めなかったので、みんなで箸作りをすることになった。

「準備しまーす」

 葵さんがキャンプ場で買った薪を、ナイフで細く割り始める。

 一本の薪を縦に立て、上からナイフの刃を添わせ、ナイフの背をコンコンと叩く。すると、縦筋に沿ってスカンと割れるのが小気味よかった。

「これを箸のサイズになるまで細く削っていってね。それで完成」

 葵さんが何度も縦に割ってスリムになった薪を、ここからさらに箸のサイズに削るのだ。

 芽生くんはさっそく、葵さんに付き添われてナイフを手にしていた。

 芽生くんの頬は紅潮して興奮が目に見える。でも私は怪我をしたらどうしようかと緊張してしまう。

「だ、大丈夫でしょうか」

 ハラハラ見守っていると、私の傍らには千春さんが立っていた。

「ナイフは使い方さえ間違わなければ便利なものなんだから。実際に触って、使い方を覚えた方がいいでしょ?」

 紅葉色のウインドブレーカーを羽織る千春さんが、小さなナイフと細い薪を持ってあっさりと言う。彼の問いはいつも本質的だ。私は問いを噛み砕いて、ゆっくり返事をする。

「危ないからって取り上げて、それで安全ってことにはなりませんものね」

 触れてみて、実際にどう感じ、これからどう付き合っていくのかを体感するのは必要だ。

「彩葉は作らないの?」

「やります!」

 千春さんから受け取ったナイフで箸作りを始めた。

 ナイフが木をするりと削ぐ感覚は、小さい時に鉛筆の先をカッターナイフで削ったときのような懐かしさがある。

 私の隣で千春さんも静かにナイフで木を削いでいる。

 シャッシャとナイフに集中していると、芽生くんが不意に口を開いた。

「あのね」

 手先の作業に集中して緊張がゆるんでくると、口も緩むのだ。

「昨日ね、悠里くんがぼくにバカって言ったんだ」

 芽生くんの手先を見つめる葵さんの横顔が怒気を含む。

「はー? 許せないんだけど、そのクソガキ」

 やはり千春さんのご友人だ。言いたいことははっきり言う。芽生くんは手を動かし続ける。

「でもね、ぼくも……悠里くんにいじわるしたの」

 私と千春さんはふと手を止めて、芽生くんのふっくらした顔を見つめた。

「悠里くんね、アトリエに入れてって言ったんだ。でも、悠里くんは前にぼくのことデブって言ったから、イヤだった。アトリエには入ってほしくなかった……だから、ダメって言った」

 芽生くんがアトリエはダメだと線を引いた。

 それに腹を立てた悠里くんが、仕返しに芽生くんに暴言を吐いたのか。

「それでいいと思うよ。誰とでも仲良くする必要はないし、できないよ」

「俺も千春と一緒の意見。いくら一年生でも芽生のことを悪く言う奴とは、一線引くべきでしょ」 

「でもぼく、悠里くんにパンチもしようとした。それは、やっちゃダメだったかなって……思う」

 芽生くんは木を削りながら、心の迷いの芯を教えてくれていた。彼は悠里くんに謝らなくてはと思っているのだ。彼がダメなことにダメと言ったように、私もきちんと線を見せようと思った。

「芽生くんが悠里くんに手を上げようとしたことはいけません」

 私はじっくりと言葉を選ぶ。

「けれど、芽生くんはあのとき、『雛子ちゃんはブスじゃない』と言い返しました。あれは勇敢で、かっこよかったですよ」

 彼は木を削るためにナイフを持ったもちもちの手を止めて私を見た。大きな瞳が瞬きを繰り返す間、沈黙が流れる。

「これ以上は許さない」という明確な線を引いて、アトリエと雛子ちゃんという大事なものを、彼は必死で守った。彼のその姿勢には敬意を示したい。

「……ぼく、かっこいいぼくがいい」

 こくりと頷いた彼の声に強い意思がある。芽生くんはきゅっと顔を引き締めて、また丁寧にナイフを使い始める。

「かっこいいぼくなら、悠里くんにパンチしようとしてごめんって言うよね……うん、そうする」

 線を引く勇気を持ち、謝る謙虚さも兼ね備えた彼の横顔は、凛々しかった。千春さんと葵さんからはほっと息をついたような音が聞こえた。


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