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薫さんと私はそろってドアのほうを振り返る。
入口に立っていたのは、スーツ姿の千春さんだ。
「千春さん……」
「薫さんもいたんだ。また彩葉が戸締まりし忘れたかと思って見に来たんだけど」
千春さんのご挨拶に、私はぺこりと頭を下げる。
「お、お世話をおかけします」
「本当にね」
私には先日、千春さんをアトリエに置き去りにして片づけも戸締まりもせずに帰った失態がある。仕事帰りにアトリエの電気が点いているのを見かけた千春さんが、また私のミスかと思うのも当然だ。
薫さんは先ほどまでの切なさを欠片も見せず、朗らかに笑う。
「千春くん、今仕事帰り? 遅くまで大変ね」
「今ちょっと、色々と考えることが多い時期で」
くたびれた顔をする千春さんの忙しさを全ては知らない。だが、スポンサー候補を逃がしたという心労の一端を担わせたのは確実に私だ。
「よかったら、キャンドルを見ていく? 彩葉ちゃんと作ったの」
薫さんが和やかに誘うと、千春さんは指先でぐいとネクタイを緩めてからテーブルのそばの椅子に座る。千春さんは手作りが大好きだ。仕事帰りのお疲れなときこそ、作ったものを見たいのだろう。
「蜜蝋ですか」
「そうなの、久しぶりでしょ」
「良い香りだなと思ってました」
千春さんが席に着いたので、私も向かい側に座る。
「これ、もしかして蔦葉荘?」
千春さんは私と薫さんが一つずつ作った、サイコロ型の蔦葉荘を指差す。私はつい頬を緩ませる。
「わかりますか?」
「形が特徴的だからね。蔦葉荘のフォルム可愛いよね。蝋燭にするのは良いアイデア」
「ありがとうございます」
仕事の気まずさを忘れて微笑んだ。彼はアトリエに来ると、言葉がやわらかくなる。
「じゃあ、点火しちゃうわよ~」
チャッカマンを持った薫さんが私の隣に戻ってくる。アトリエの電灯を消し、小さな火を林檎のキャンドルと蔦葉荘のキャンドルに灯す。
揺らぎながら灯る三つの小さな火に、三人そろって言葉なく見入る。
キャンドルの向こうの千春さんはぼーっとしていて、あまり思考が働いていないような無防備さがあった。
しばらく火の揺らぎを見つめていると、胸や頭のざわめきが静まっていく。
この灯かりの穏やかさに、薫さんの哀しみや、千春さんの疲れが少しでも溶けてほしい。なんて思ってしまう。テーブルに頬杖をついていた千春さんがぽつりと言う。
「火って、人間の最初の道具って言うよね」
ぼんやりした思考から零れたような千春さんの声に、薫さんが続く。
「道具といえば、さっき眼鏡の話もしたわ。眼鏡も古い道具よねぇ」
「眼鏡の話?」
問いかける千春さんに、薫さんはぽつりぽつりと今日あったことを話した。キャンドルの火を囲み、人に話すことで癒える部分もあるかもしれない。
千春さんは頬杖をついたまま、今まで誰も言わなかったことを言った。
「クソガキ」
「あ、もう千春くんったら、ダメよそんな言い方しちゃ」
千春さんは撤回しなかったが、きっと薫さんだってそう言いたい気持ちが少なからずあったのだろう。
歯に衣着せぬ人がいてくれると、ガス抜きになるときもある。
ぴんと張りつめていたものがほどけて、くすりと笑ってしまった。千春さんが私の笑いを見逃さない。
「ほら、薫さん見てくださいよ。彩葉もそう思ってますよ」
「あらもう、彩葉ちゃんまで?」
「あ、いえその、はっきり言われると少しスッキリしてしまうなぁ、と思って」
私が正直に言うと、蝋燭の周りに彼らの笑みが灯った。
夜も更け、キャンドルの火を吹き消して片づけをしてから、薫さんと別れた。私と千春さんはカンカンと足音を鳴らして、外階段を上る。
もうすっかり冷たくなった夜風が吹いて、先に上る千春さんのスーツの裾がなびく。
「千春さん、今日……申し訳ありませんでした」
彼の背中に声をかける。千春さんは階段を上る足を止めて、振り返った。千春さんの濃い琥珀色の瞳が私をまっすぐ見据える。
「犬沢さん攻略、再チャレンジするんでしょ?」
「もちろんです。いろんな筋書きを考えています」
彼がふと目元を和らげる。私は夜のやわらかい様子の千春さんに会うと、たくさん話をしたくなる。寒風に吹かれて頭の中にくるくると今日の出来事が回った。
眼鏡も、火も、キャンドルも。人を助ける道具たちだ。
「千春さん……私、AIをきちんと道具として扱いたいです」
彼の大きな瞬きが、私の話を聞いていることを伝えてくれる。
「私は一度、AIとの付き合い方を間違えたので。どうしたら、扱いきれるのかと考えているのですが、わからなくて……よかったら千春さんの考えを教えてくれませんか」
千春さんは私の質問を受けて、ゆっくりと夜の空を見上げた。風が二度、三度吹く。長い沈黙に彼の逡巡が見える。
「……人間が人間らしく、あればいいんじゃない?」
「人間らしく、ですか?」
彼が前を向いて階段を上り始める。私も後を追いかけて階段を上る。千春さんは廊下の奥の自分の部屋の前で鍵を取り出してしまう。
彼の突拍子のない回答では、ヒントも見えてこない。もっと助言をもらいたいと思いながら彼の横顔を見つめていると、鍵を開けた千春さんが私に顔を向ける。
「遅くなったけど、明日、キャンプ行く?」
「明日ですか?」
「僕もだけど。話を聞く限り、そっちも行き詰ってるんでしょ。ちょうどよくない?」
疲れているなら家で寝るほうがいいのではないだろうか。だが、忘れられたかと思った約束がふいに降ってきた。楽しみにしていたので、私は即答する。
「行きたいです!」
「じゃあ明日九時に、アトリエで待ち合わせね。クソガキのことがあったから芽生も誘うよ」
連絡事項をぽんぽんと伝えた千春さんは、部屋に入ろうとする。
だが、私はもうひとつだけ訊きたかった。
キャンプは千春さんのご友人に連れて行ってもらうという話だったはずだ。
「千春さん、もう夜中です。千春さんのご友人に今さらご連絡したら、迷惑なのでは」
「別にあいつは平気。どうせ明日もキャンプに行く予定だっただろうから、むしろ喜ぶよ」
千春さんはすぱっと言い捨てて、部屋に戻った。この時間から誘われて喜ぶご友人がどんな人か気になってしまう。
結局、AIの話は宙ぶらりんなままだ。だが、キャンプの楽しみに上書きされて、うきうきしながら眠った。




