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蔦葉荘のいろは  作者: ミラ
第二章 彩葉とAIと手仕事

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9

 蔦のアトリエデーを終えた週明けの月曜日、私はルミナス三階フロアを訪れた。小野田さんがいる朝のミーティングにお邪魔して、挨拶する。

「一ヶ月間、大変お世話になりました。次に来るのがいつになるかわかりませんが、また戻ってくる予定ですのでよろしくお願いいたします」

 小野田さんの隣で、介護士さんたちに向かって頭を下げる。ヒアリング員はルミナスの各フロアを順に一ヶ月ずつ実地調査するのが基本だ。

 けれど、「カメラ付きAIインカム」の新規プロジェクトが正式に決定した。チームに入れてもらった私は、純粋なヒアリング員の立場ではなくなったと千春さんから告げられている。

 だが、AIインカムが完成し、現場で実践する段階となった際に、再びヒアリング員として現場へ派遣される予定だ。

 だから、私はいつか必ずまたここに戻る。

 介護士さんたちにお世話になった礼に、ティーバッグの紅茶の詰め合わせを渡した。今回は経費内だ。小野田さんがフロアの出口まで送ってくれる。

「今度は白崎さんおすすめのアフタヌーンティーカフェに連れていってよね」

「ぜひ参りましょう」

「白崎さんが三日間捧げてくれた『置き土産』のおかげで、常盤さんの表情が明るくなってきてるよ。本当にありがとう」

 小野田さんがにっと歯茎を見せて大きく笑う。

「いえ、現場の方々あってのことですので。また何か困りごとがありましたら、いつでも呼んでください。私でよければご相談に乗りたいです」

「お茶淹れて、って呼んじゃうかもよ?」

「ぜひ、お待ちしております」

 小野田さんと一緒に笑ってから、私はルミナスを後にした。

 駅までの道を歩きながら、小野田さんの感謝の言葉を噛みしめ、澄み渡る青い秋空を見上げる。

「やっぱり区切りとして、その都度お礼をするのは大事ですよね」

 千春さんにもお礼をしようと決めて、オフィスへ向けて足を進める。オフィスに帰って、しかめっ面で新規プロジェクト起案を練る千春さんの皮肉を聞かなくては。




 次の週末、私は夜中を狙って、アトリエを訪れた。おそらく千春さんがビールを飲みながら土遊びをしている時間だと予想したからだ。

 アトリエを訪れると、やはり灯かりが点いている。アトリエのドアを開けると、陶芸コーナーで電動ろくろの前に椅子を置いて座っている千春さんと目が合った。

千春さんはゆったりパーカーで、今日はアイビーグリーンのエプロンもつけていた。ろくろを使うと服が汚れるのだろう。

「お邪魔いたします」

「どうぞ」

 千春さんはやはり、エメラルドラベルの缶ビールをろくろの側の作業台の上に置いていた。

 胡桃のテーブルの横を通り過ぎて、丸椅子を持って陶芸コーナーの前に進む。千春さんはろくろを止めて、彼の前に椅子を置いて陣取った私を見た。

「何? じろじろ見て」

「ろくろを使っているところを初めて見たので、興味深くて。見ていてもいいですか」

「芽生もこれしてたら必ず見に寄ってくるよ。彩葉も子どもみたいなものだしね」

 千春さんは許可も拒否も示さず、ろくろのスイッチを入れて、土の塊を回し始める。

しばらくぐるぐる回る土と、千春さんの指先をじっと見ていた。

指先に添って素直に形を変える土のやわらかさに、触れてみたくなる。千春さんがろくろを止めてしまう。

「そこまで見られると、やっぱり気になるんだけど」

「あ、邪魔をしてしまい申し訳ございません」

「別に」

 千春さんは手を拭き、ごまかすようにビールに手を伸ばす。私は立ち上がって、ゆっくり千春さんのそばに寄り、やっと用件を切り出した。

「千春さん、あの、これ」

水色と紺色のストライプ柄のリボンをかけてラッピングした手作りコースターを千春さんに差し出す。座ったままの千春さんは手を伸ばすよりも先に、私の顔を見上げた。

「何?」

「よかったら、プレゼントとしてお渡ししたいなと思いまして……不格好ですが」

 千春さんは大きく瞬きを繰り返したが、まだ手を伸ばしてくれない。

「彩葉が初めてつくったやつでしょ? そんなの人にあげていいの?」

「特別だからこそ、というか……その、日ごろの感謝の気持ちです」

 差し出し続けるコースターが重くて引っ込めてしまいたくなる。千春さんはコースターを受け取るどころか、すっと立ち上がって私の横をすり抜けてキッチンへ向かった。

こんなに正面から素通りされることがあるとは、さすがにショックだ。

 既製品にすべきだったかと息をつき、コースターを持った手をぐったり下ろす。すると後ろから声がかかる。

「あれ、くれるんじゃなかったの? 僕のことからかった?」

 振り返ると千春さんが首を傾げながら、眉間に皺を寄せている。

「いや、いらないのかなと思って」

「手が汚れてたから洗ってきただけだよ」

 そうならそうと言ってほしかった。口を曲げて不満を示すが、察してもらいたそうにするのはご法度だ。千春さんが私の手からオフホワイトのコースターをすっと持っていく。

「ありがとう。なんか、もらってばっかりだね」

 あっさり受け取ってもらえてほっとしたのだが、今度は私が首を傾げる。

「私が千春さんにあげたものなんて、他にありましたか?」

 千春さんから受け取ったものは多い。苺パンツに始まり、ロコモコ、就職先に、森のステラの感想。数えきれないが、私があげたものは皆無だ。

 千春さんはコースターの編み目を指先でがたがたとなぞって感触を確かめているようだ。

「あ、新規プロジェクト案のことでしょうか」

 私はそのことかと気づいてにっこり笑った。仕事の成果を褒められるのは快感だ。しかし千春さんは首を横に振る。

「それは仕事だから当たり前でしょ」

「他ですか?」

 あんなにがんばったというのに、仕事は当たり前なのかとがっくりくる。

だが他に千春さんのためにしたことなんて思い浮かばない。私が唸っていると、千春さんが自分のスマホを取り出して私に手渡した。

 そこにはルミナス三階にいるはずの常盤さんと千春さんが、二人で粘土遊びをしている写真が表示されていた。

「祖母がお世話になって、本当にありがとう」

「え、千春さんって、常盤さんのお孫さんだったのですか?!」

「気づかなさすぎて笑ったけどね」

彼のフルネームは常盤千春さんだ。

「苗字が同じだけで気づけませんよ……」

 千春さんはコースターを片手に目を細める。

「三日間泊まり込んで、排泄記録を取ってくれたんだってね。小野田さんから、彩葉の置き土産の件、聞いたよ」

 私は先週、社長にお願いしてルミナスへ泊まり込みのボランティアに行った。

仕事ではなく、個人的なボランティアとして、介護士さんの手を煩わせず、三日間付きっ切りで常盤さんの排泄記録を事細かに取ってきた。

カメラ付きAIインカムが製品化されるのはまだまだ先だ。

それまで常盤さんがずっと不機嫌なのは嫌だったのだ。知ってしまった以上、どうしても放置したくなかった。

そこで私が応急処置として記録を取った。カメラ付きAIインカムの参考資料の一つにでもなったらいいとも考えていた。

緻密な記録がたった三日間分あるだけで、小野田さんのような熟練者なら大方のアタリがつけられる。そこに期待したのだ。

 小野田さんから、良い成果が徐々に出ていると報告を受けている。

 その良い結果が、この写真に写った常盤さんと千春さんの笑みだ。

「常盤さん、粘土がお好きだったのですか」

「ずっと陶芸が好きだったんだ。認知症になってできなくなったんだけど。小野田さんがおばあちゃんの機嫌が良いから、粘土で遊ぶのはどうかなって勧めてくれて」

 千春さんが「おばあちゃん」と言うと微笑ましくて、耳の裏がこそばゆかった。

「二人で一緒に遊べたのですね」

 千春さんも私の手元のスマホを覗き込んで、表情を和ませる。お酒も入っているので、彼はえらくご機嫌だ。スマホを覗き込むせいで、いつもよりずっと近い千春さんの顔を見て私もにっこり微笑む。

「私こそもらってばかりなので、少しでもお返しできてよかったです」

 私の手からスマホを取り上げた千春さんは、いつもの真顔に戻る。

「いや普通に、こっちの借りが増えたよ。これももらったしね」

 コースターを持ち上げた千春さんは、腕を組んで考え始める。

「僕、貸し借りがフラットじゃないの、気になるんだよね」

 千春さんらしいギブアンドテイク精神だ。気にしなくて結構ですと突っぱねるのは、機嫌を損ねそうなので得策ではないだろう。

「彩葉って友だち少なそうだよね」

「い、いきなり抉ってくるのはどうしてでしょうか……私だって小野田さんとお茶に行けるようになったのです。そういうことをおっしゃる千春さんの方が、お友だちが少ないのでは?」

 コンプレックスを刺激されてつい言い返してしまった。千春さんは頷いた。

「もちろんこんな性格だし? 多くはないよ。でも一人だけいて。そいつがキャンプマニアなんだよね」

 千春さんとキャンプマニアが、なかなか結びつかない。だが、彼とお友だちなら相当打たれ強そうだとイメージが湧く。想像を膨らませていると、千春さんが明後日の方向から言葉を投げかけてきた。

「そいつがしつこくキャンプに行こうって誘ってくるんだけど、彩葉も行く?」

「え! いいのですか?!」

 突然の楽しそうな誘いに、一歩前に出てしまう。千春さんと距離が詰まると、彼は一歩後ろに離れていく。

「ダメだったら誘わないよ」

「行きたいです。父はキャンプも好きで、よく連れていってもらって昆虫採集をしていたのです!」

「僕とキャンプに行ったときは、昆虫採集は絶対にやめて」

 久しぶりのキャンプに思いを馳せてうっとりしていると、千春さんはさらに一歩離れて、陶芸コーナーへ戻った。

「じゃあ、キャンプに連れていくから。それで一つ、借りを返すね」

「一つ? そんな素敵なお誘いをいただいて、もう貸し借りなんてありませんよ?」

 千春さんは棚の上に置いたビールの下に、さっそく私の贈ったコースターを置いてくれた。オフホワイトの編み目を見つめた彼が静かに言う。

「いくつ借りたかは、僕が決めるよ」

千春さんのひときわやわらかい声が夜のアトリエに溶けていく。

その声が妙に優しくて、ろくろを再開した彼を見学する私の耳に、いつまでも残っていた。



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