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本を出版したとき以来、初めて大きな仕事を達成した気持ちで迎えた週末。秋晴れの今日、十月最初の日曜日だ。
十月の「蔦のアトリエデー」が開催される。
午前十一時にアトリエの胡桃のテーブルの周りに、住人たちが集まった。コーラルピンクのエプロンをつけた薫さんはまず、芽生くんを発表者に選んだ。
芽生くんが小さなキャンバスをテーブルの上に乗せる。
「じゃーん! 今月は誰でしょうー!」
先月は私の絵を描いてくれた芽生くんは、今月も大人の女性を描いていた。
ブラウンベージュの髪色が印象的な女性。一つにまとめた長い髪には、きらきらのラメ入りの空色のバレッタがついている。
ふっくらやわらかそうなほっぺたが可愛い笑顔の彼女を、私はおそらく知らない。
「わかりません……」
「僕はわかるよ」
隣に座る千春さんがさらりと言うと、芽生くんがキャンバスを持ち上げた。
「千春くんいっつもわかるのすごい! 誰でしょう!」
「芽生のママでしょ? 今月は長い髪バージョン。今回はきらきらバレッタの淡い色が繊細で良いよね。しかもぽっちゃり美人」
「せいかいー! そうなの! ママはもっちり美人さん!」
蔦葉荘で芽生くんのママを見たことがないが、千春さんの言葉からすると短い髪バージョンもあるのか。薫さんは感極まったように立ち上がり、芽生くんをぎゅうと抱きしめる。
「今月のママも特別に素敵よぉ! バレッタと髪の色がすごく似合ってる!」
「えへへ、そうでしょ?」
「本当に素敵な髪色で、優しい笑顔にぴったりの雰囲気ですね。もしかして、薫さんが奥様のカラーリングをされているのですか?」
心からの賛辞を述べる。美容師でカラーリングを生業とする薫さんと奥様の仲睦まじい様子がすぐに想像できた。今は単身赴任などされているのかもしれない。芽生くんがにぱっと嬉しそうに笑う。
「そうだよ! パパはいつもママの髪をキレイにしてたんだって! だから写真のママは全部かわいいんだよ!」
芽生くんの話の違和感に気づき、薫さんに視線を流す。彼が少し言いにくそうに微笑みながら、教えてくれた。
「芽生のママね、皐月ちゃんっていうんだけど。芽生を産んだときに亡くなったのよ。芽生は会ったことがなくてね。写真の中の皐月ちゃんをよく描いてくれるの。とっても素敵でしょう?」
薫さんの笑顔に内包された哀しみが伝わってきて、私は言葉に詰まってしまう。けれど、芽生くんの声は明るかった。
「ぼくもママに会いたかったな~。でも、かわいいママをいっぱい描いてるから喜んでるよね!」
黙っている場合ではないと気づき、声を張る。
「そうですよ! いっぱい喜んでくださっているはずです! こんなに……美しいで、す、から」
勢いよく同意しながらも、芽生くんが描いたラメのきらきらに目を奪われる。そういえば、お絵描きコーナーに飾られている芽生くんの絵には、バレッタをつけた女性が多い。
何度でも描きたい女性、それが皐月さんなのだろう。そう思うと、勝手に目頭が熱くなってしまう。隣から刺さる千春さんの冷え冷えした視線が痛い。
「泣かないでよ。情緒どうなってんの」
「す、すみません……!」
「やだもう、彩葉ちゃん泣かないで~釣られちゃうから~!」
ふっくらもちもちの芽生くんを膝の上に乗せた薫さんも、目にうっすら涙を浮かべている。千春さんが芽生くんに笑いかける。
「芽生の絵が、大人を二人も泣かせたよ」
「ぼくの絵で泣いちゃったの? 喜んでよ~」
「喜んでるんだよ」
千春さんがそう言うと、芽生くんがころころした声で笑う。その笑い声は日が入るアトリエの彩度をさらに上げてくれた。薫さんは涙を拭いて、切り替える。
「さあ、次は誰にする?!」
「じゃあ、僕で」
千春さんは豆皿を発表した。粘土のときはカフェモカ色だった豆皿は、艶やかなチョコレートブラウンになっている。千春さんが作ると必ず「ぐにゃり」が出るが、色味は好みだと私たちは口々に言い合った。
次に、薫さんが、私が先月発表した小説「カマキリの逆襲」の感想をくれた。小説の感想を直接もらえることは本当に少ない。貴重な機会にほくほくしながら、今月の私の発表に移る。
今月の私はマクラメ編みした紐をくるくる巻いてボンドで貼りつけて作った、オフホワイトのコースターを発表した。私のコースターを見て、三人が口を開く。
「完成したのねー! すごく丁寧に編めてるわ!」
「ところどころ穴あきだけど、手作りならではの味だよね。色も使いやすそう」
「ヒモのくるくるコースターかわいい!」
先月の小説の発表とは違い、すぐに三者三様の反応をもらえて気持ちよかった。作っているときは形になっていくのが楽しくて、完成したら明るく褒めてもらえる。こんなに楽しいことはなかなかなくて、ハマりそうだ。
薫さんの発表は「蕎麦」だということで、みんなで胡桃のテーブルの上に食器を並べたりして準備していると、千春さんに訊かれた。
「カマキリの絵はどうなったの?」
彼は私がカマキリを描いているのを知っていたので、当然の疑問だ。
「ちょっと嫌なことがあったときに黒く塗りつぶしてしまって……間に合わず」
「そういうことか。僕も作ったものを投げたくなるときがあるよ」
薄く笑ってから、千春さんは薫さんが蕎麦を茹でるのを見に行ってしまった。職場での千春さんを知っていると、アトリエにいるときの彼の緩さがよくわかる。
箸を並べ終わって席に座ると、芽生くんがお茶の入ったマグカップを運んできてくれた。
「彩葉ちゃん、コースター置いて、コースター!」
「それはいい考えです」
自分で作ったコースターをテーブルの上に置く。芽生くんがその上にぽんと優しく私のマグカップを置いてくれた。
「かわいいね!」
「そうですよね! ありがとうございます!」
芽生くんが私と一緒に満足そうに微笑んでくれる。その笑顔の可愛さに胸が高鳴ってしまう。
「差し出がましいのですが、あまりに芽生くんが可愛いので抱っこしてもよろしいでしょうか」
皐月さんのことを知ったあとにこんなに可愛いことをされると、どうしても親愛を伝えたくなる。芽生くんはえっへんと胸を張った。
「いいよ!」
「ありがとうございます~!」
芽生くんのふっかふかで厚みのある身体をぎゅうと抱きしめると、甘いミルクみたいな香りがする。ハグをして離れると、芽生くんがテーブルの陰に屈んでこそこそと私を手招きする。私も芽生くんの隣に屈んだ。
「彩葉ちゃん、千春くんと仲直りしたの?」
「え? 喧嘩なんてしていませんが」
「しょうわるやろうって、言ってたでしょ?」
アトリエで取り乱したときのことか。バツが悪くて、あははと乾いた笑いをこぼす。
「プレゼント、したほうがいいよ?」
「プレゼントですか?」
「ごめんねとありがとうにはプレゼント、ってパパが言ってる」
「そうよ。アタシも賛成」
いつの間にか、私の後ろに薫さんが同じように屈んでいた。三人でテーブルの陰に隠れている。
「薫さん、蕎麦は……?」
「千春くんがやりたそうにしてたから、任せちゃった」
薫さんは茶目っ気たっぷりに笑う。
「千春くんには蔦葉荘でも、お仕事でも、お世話になってるでしょう? 喧嘩したならなおさら、いい考えよ」
「このコースターかわいいよ。千春くん欲しそうにしてた!」
芽生くんの直感は当たっている気がしないのだが、私は首を傾げる。
「お礼をしなくてはと思います。ですが、買ったもののほうが良いのでは? 私のコースターは穴が開いていて下手ですので」
初めて作ったコースターだ。意図せず隙間が空いて向こう側が見えている部分もある。人に贈るようなものではない。薫さんがふるふる首を横に振った。
「何言ってるの、彩葉ちゃん。世の中の人の大多数が手作りを喜ぶかはわからないけれどね。少なくとも! 千春くんは手作り派よ」
「そうだよ、千春くん、いっつも僕の絵が欲しいって言ってくれる」
二人の後押しを受けて考えてしまう。迷っていると、薫さんがぽんと私の背を叩いた。
「千春くんはね、仕事でAIばかり使うでしょう? だからか、人の手で作ったものを絶対にバカにしないわ」
「それは……私も、そう思います」
あんなに皮肉屋なのに、今まで彼が「手で作ったもの」に対して皮肉を言うのを聞いたことがない。
「みんな何やってんの、手伝ってよ」
三人でしゃがみ込んでいたので、上から降ってきた千春さんの声に肩がびくりとした。薫さんが私にウィンクを残して立ち上がる。
「千春くん、できた? じゃあみんなで食べましょうか。茶蕎麦は春夏が旬だから、今日で今年最後になりそうね」
みんなで配膳を済ませて、抹茶色が鮮やかな茶蕎麦をいただく。つるんとした喉越しと鼻に抜ける茶の香りが、秋の深まりを感じさせてくれた。




