5
真っ黒な画用紙ができあがった次の日の休日、小野田さんとカフェに赴いた。家族以外の人と出かけた経験がほとんどないので、楽しみにしていた。
八王子の山側、森の近くにある紅茶専門カフェ「不思議の国のアフタヌーン」は、英国風邸宅の一軒家。外観も内装もロマンチック一色の、最高に私好みのお店だ。
森の木漏れ日が美しいテラス席で、私と小野田さんはケーキスタンドに一目惚れする。
「小野田さん、このお店すごいです、世界観が可愛いです!」
「でしょ! 何回来てもここは最高なのよ」
三段のケーキスタンドには小さくて愛らしいサンドイッチ、焼き目が香ばしいスコーン、真紅のベリータルトが、下から順に並んでいる。
ガーデンの光の中、ロイヤルブルーにゴールドのエンブレムが入ったティーカップに手をかけて、まるで物語の中のひとときを味わう。
半分ほど紅茶を飲んだとき、小野田さんが私に問いかけた。
「白崎さんの会社って、介護に役立つAI製品を作ってるんでしょ? 白崎さんとはたまたま気が合ったけど、今までヒアリング員のことあんまり好きじゃなかったんだよね」
彼女はスコーンを口に運びながら、あっけらかんと笑う。
「知っていました。前任者の方から聞いていて」
「あら、やっぱりバレてたか。でもさ、実際にAIで介護とか、利用者さんに失礼でしょ?それに私たちはさ、介護っていう、人間の手でする仕事に誇りを持ってんだから」
思わぬところからAI批判が入ってきて、黒い気持ちを抱えていた私は激しく同意する。
「わかります!」
「え、わかっちゃうの?」
小野田さんはケラケラ笑いながら、優雅にロイヤルブルーのカップを持ち上げる。
「白崎さんはAIが介護の役に立ちます! っていう立場の人間なのに」
「そうなのですが……AIは発想も表現も飛び抜けていて、ついていけないというか、好きになれないと思うこともあります」
つい正直に言葉を重ねてしまうと、彼女がこくこく頷く。
「わかるなぁ……ていうかさ、知ってる? うちのフロアの介護士って平均五十歳よ? 今さらAIとか言われても、困るって感じなのよねぇ」
目をつむって紅茶の香りを吸い込む彼女の深い共感が、私の黒ずんだ心を慰めてくれる。千春さんなら絶対に言わない言葉のオンパレードだ。
小野田さんのざっくりした雰囲気にほだされて、私は口が軽くなる。
「今も現場で役に立つAIのアイデアを考えているのですが、もうAIが答えを出してしまって。私なんていらないのでは、と思っているところです」
「へー、どんなアイデア?」
マーマレードジャムを塗ったスコーンを一口かじってから返答する。
「排泄予知です」
小野田さんも「それはすごい」と言うだろうと思っていたのに、彼女は呆れた声を出した。
「あーそれね。白崎さんの前任者も言ってたわ。すごい頭のいいバカの回答って感じ」
「え? 小野田さんはそう感じるのですか? 私は素晴らしいと思ったのですが」
彼女はティーカップを乗せたソーサーを、静かにテーブルに置く。
「まだまだだなぁ、白崎さん」
「どうダメなのでしょうか? 赤外線センサーやベッドセンサーを使った排泄予知は、現実として可能な技術だそうですよ?」
AIの回答を伝えると、小野田さんは耳に髪をかげてニタリと笑う。
「その回答、全くズレてるんだよ。だってベッドだ、センサーだって。うちのフロアの利用者さんたちは、日中みーんな起き上がってうろうろしてるっての」
目からうろこが落ちた。
「あ……センサーは寝たきりの人にしか通用しないということですか」
AIの回答は、ベッドで寝たきりの人であるならば、可能な方法だったのだ。
「しかも脈拍や、体温とか、皮膚温度? とかをもとに、排泄を予知するとか言うけど」
小野田さんが次々と言葉を繰り出す。
「そんなのずっと測ろうと思ったら、腕時計みたいな機械をつけなきゃいけないでしょ?なんとかウォッチみたいなやつよ。そんなのうちの利用者につけたら、一分後には放り投げられてるわ」
ガハハと豪快に笑った小野田さんは、今度は苺タルトに手を伸ばす。
「だからAIで排泄予知なんてムリムリ。私ら介護士の経験と勘の方がまだ予知できるよ」
「スペシャリストですね……」
「まあしょっちゅう外してるけど! ほら、白崎さんも食べな」
私も苺タルトをお皿に乗せる。さくっとしたタルト生地と甘酸っぱいベリーを口に入れて味わう。甘酸っぱい刺激に、目が覚めていくようだ。
金色の一文の強烈なイメージのせいで、私はAIを格上だと思いすぎていたのかもしれない。
AIの回答は、穴だらけではないか。
すぐに白黒を断じない。その姿勢が教養だと、千春さんに教えてもらったというのに。
私は本当に、まだまだだ。
アフタヌーンティーを終えた帰り道、並んで歩く小野田さんに前から気になっていたことを問いかけた。
「もしAIが介護まわりの雑事を楽にしてくれたら、小野田さんは……どんな支援に力を入れたいですか?」
私の問いに彼女は間髪入れずに答える。
「そりゃあもっと、利用者さんとおしゃべりしたいよ。みんな暇そうにテレビばっかり眺めてるからね。レクレーションももっとやりたいし、一緒に笑う時間を増やしたい。でもまあ、なかなかそうはいかない現実もわかってるけどね」
小野田さんの快活な笑顔が、夕陽に照らされる。
この笑顔と前向きな想いこそが、介護現場の活力の根本だ。
実家で祖母の介護をしていたとき、介護者たちで集まって「笑顔でいられるだけの余裕を持とう」と話し合った。
その経験は、森のステラに書き残してある。
けれど現実問題、現場は忙しく、利用者さんの生活を回すことに追われ、心の交流は後回しだ。
そうして日々に忙殺されるうちに、介護者の笑顔はしぼんでいく。
小野田さんのように介護に真摯な人材を活かし続けるために、二十四時間働かせても疲れないAIを使い倒すのは合理的だ。
「小野田さん、私、排泄予知のAIについてもう一度考えてみます」
「えー、だから無理だって」
「でも、あったら嬉しいですよね?」
小野田さんを真剣に、強く見つめる。すると、彼女はおずおずと頷く。
「もちろん、あったらいいなと思うよ?」
夕暮れの橙色の中で、私はにっこり笑った。
私になら、できる気がする。
だって私は、あらゆる角度から想像を働かせて、物語を書き続けてきた。今回だって、構造は同じだ。
「排泄予知AIがある介護」という物語を、現実に即する形として、私がこの手で編み上げればいいのだ。




