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小野田さんはその日から、私に一気に親し気に接してくれるようになった。休憩時間に互いにおすすめの紅茶を持ち寄って飲むうちに、他の介護士たちとも会話が増えていく。
「白崎さん、悪いけどお茶を淹れてくれる?」
忙しい介護士たちが詰め所で一息つこうとするときに、お呼びがかかるようになった。
「喜んで淹れさせていただきます」
さっそく湯を沸かしながら、背中で介護士たちの話し声を聞く。このフロアの介護士は女性のみなのだ。
「白崎さんが淹れたお茶っておいしいから。記録のときのお供に助かるんだよね」
「うちもそれ思ってた。記録ってほんとダルいから」
「何があったか、もう覚えてないんだよね」
「それわかるわ~」
介護士たちが詰め所に集まるのは、主に記録を書くときだ。
彼女たちは忙しく動き回り、最後に溜まった記録を一気に書く。疲れからか、なかなか進まないことが多く、私の紅茶の出番となるのだ。
あるとき、私が詰め所で昨夜から今日にかけての記録を眺めていると、小野田さんが私を呼んだ。
「白崎さん! 詰め所でちょっとだけ、常盤さんを見ていてくれない?」
彼女は利用者の常盤さんが座った車椅子を押していた。
「構いませんが、私で大丈夫ですか」
「現場主任の権限で許可するわ。ちょっと向こうで何かあったみたいだから、見に行かなくちゃなんだけど。常盤さんが立ち上がって転倒したら困るから見てて!」
「わかりました」
「立とうとしたら止めて!」
そう指示した小野田さんは大急ぎで、廊下を奥へと進んでいった。フロアは静かなときと、何かアクシデントが重なるときの差が大きい。
現場の混乱の始まりは、大方が「排泄処理の失敗」であるというのが、現場を一歩引いて観察している私の見立てだ。常盤さんに声をかける。
「常盤さん、小野田さんが戻るまで、お話しましょうか」
車椅子を押して、詰め所のテーブルのそばへ移動する。
私は『森のステラ』を執筆する際に取材の一環として、ヘルパーの資格を取った。施設側が許可さえすれば、利用者さんに多少触れるのは可能だ。
小野田さんは私が資格取得者であり、介護経験者であることも考慮したのだろう。
「常盤さん、近ごろ良い天気が続いていますね。外をご覧になりましたか」
当たり障りのない話題を振る。
常盤さんは八十四歳の女性で、認知症がある。
家族に関する認識や記憶が薄いと記録にはあり、排泄に対するこだわりが強い。
排泄の失敗が多いのに、おむつもポータブルトイレも拒否していて、必ずトイレを希望する。そのため、常盤さんにはかなり介護者の手を取られている。
今も小野田さんがトイレ誘導をした帰りだ。白髪のベリーショートに品があり、若い頃はさぞ美人であっただろうことがうかがえる常盤さんだが、表情が硬く厳しい。口の両側を不機嫌そうに引き下げている。
「どうして!」
彼女が突然、大きな声を出す。
「どうして! あんたらの都合で、あたしが何度も何度もトイレに行くのよ! あたしが行きたいときにそっちが来なさい!」
トイレ誘導のあと、彼女は特に不安定になる。
「そうですよね。自分のタイミングで行きたいですよね」
「当たり前だよ! 子どもじゃないんだから!」
語気の強い彼女の隣に丸椅子を置いて座り、私は頷く。彼女にとっては真っ当な意見だろう。だが、常盤さんが介護士を呼び出してからトイレに行っては、間に合わないという現実がある。
ルミナスは高級施設なので、フロアの利用者数に対して、介護士の配置は手厚い方だ。だがそれでも、いつでも即座に対応できるわけではない。
常盤さんはおむつを脱ぎ捨ててしまう。ベッドや床や廊下を頻回に汚されては困る。だから、介護士が先手を打ってトイレ誘導をするのが、今のところ現実的な対応策となっている。
常盤さんはしつこいトイレ誘導にうんざりしていて、いつも機嫌が悪い。
「あー! もう!」
だいぶイラついているなと思った次の瞬間、テーブルに置いていた私の手を、常盤さんがぺしんと叩いた。
「あ」
「何やってるんだい、あんた! 早く部屋へ連れて行きな!」
怒鳴られて驚くが、まずはこれ以上の他害が加速しないよう、私は速やかに立ち上がって距離を取る。他害は止めるより、させない状況づくりが必要だ。
「今はここで、小野田さんの帰りを待っています」
「早くしなさい!」
「申し訳ございませんが、もう少々お待ちください」
彼女の怒りがこれ以上激しくならないよう宥める。
「お待たせ、常盤さん!」
小野田さんが戻り、部屋に連れていくと彼女は落ち着いた。
今回は手に軽く当たった程度で済んでよかった。だが、現場の忙しなさを加味すると、常盤さんがトイレ問題で爆発する日も遠くなさそうだ。
私は現場の様子を報告書にまとめて、千春さんに提出した。




