8.ジャオ・リン捜索隊⑤ マルティンとサイラスと
「ふうん。サイラスは高校教師なのか。……やるな、女子大生を迎えに来るなんて」
「彼女は特別だ。あんたこそ、山で女の子助けて回ってるんだろ?」
「助ける相手は選ぶよ。誰でもってわけじゃない」
「へえ。じゃあ、どんな相手なら選ぶってんだ?」
妙な面子で始まった食事会は、表面上は和やかに進んだ。
万里奈はカップに口をつけ、湯気で視線を隠す。
男二人は向かい合い、同じタイミングでナイフを入れる。皿の上で肉が擦れる音だけがやけに大きく響いた。
わずかに会話が途切れた瞬間に口をはさんだ。
「ねえ。結局、あそこで何があったの? ハンクと話したんでしょ?」
切り分けた肉を口に運びながら、マルティンが答える。
「ああ、聴取後に少しだけね。中規模の違法農園だったってさ。見つけた瞬間、すぐに去ろうとしたそうだけど――奥さんの方がね」
「何?」
「娘があそこにいるんじゃないかって、制止も振り切って向かって行ったらしい」
「そんな……」
「あっちは若い男が二人。雇われの見張りだろうね。この辺りだと、裏にカルテルがつくことが多い」
サイラスの手がぴくりと止まる。
「……へえ、ハンターってのは、随分と荒事にお詳しいようだな」
――サイラス。
万里奈は、カップの中にこっそり溜息を落とす。
「そっちこそ。ハイスクールっていったら、あれだろ。ジャックやクイーンに仕切られて、毎日小競り合いだ。大変だな」
そう言って マルティンが口の端を上げた時、サイラスが椅子をわずかに引いた。
もう限界だ。
「いいかげんにして」
男二人の視線が集まった。
「サイラス。……黙って来たのは謝る。でも、今そういう話してる場合じゃないでしょ」
目線を落としたサイラスが縮こまる。
「マルティンも。さっきから、わざとでしょ」
彼は答えず、ただわずかに口元を緩めた。
今度は二人に聞こえるように溜息を吐くと、席を立った。
「マリナ、どこへ」
「トイレよ」
一瞬だけ振り返る。
「おしゃべり、止まらないみたいだし。どうぞごゆっくり」
***
古いダイナーのトイレは薄暗かった。蛍光灯の白い光が、青いタイルの壁に滲んでいる。小さなシンクに水を流す。顔でも洗おうと思ったが、水垢のこびりついた蛇口は清潔には見えず、手を洗うだけに留めた。
鏡を見る。
青白い光に照らされた自分の顔は、どこかくたびれて見えた。
こうして見ると、母に生き写しだ。父の柔和な顔を受け継げば、このきつい性格も少しは穏やかになったのだろうか。
鏡の中の顔に指を滑らす。これは、あの時期の母だ――。
ふと、男同士の言い争う声が耳に届く。
まさか。と思い一瞬血が冷えたが、声は外からだった。天井近くの小さな窓から、風と一緒に流れ込んでくる。
トイレを出ると、通路の突き当りに通用口が見える。扉を開けた先は、駐車場に繋がっていた。
隙間からそっと外を伺う。
駐車場の隅に、見覚えのあるアースカラーの車が一台、ぽつんと停まっている。その横で、男が二人、向かい合っていた。
低く押し殺した声が、途切れ途切れに漏れてくる。
「しょうがなかったんだ」
「ふざけるな」
「あいつらにどう説明すりゃいいんだ」
「くそ、おしまいだ」
男二人は足元が泥に汚れていた。一人は腕にびっしりとタトゥーが刻まれており、うろうろと落ち着きがない。もう一人は背を向けたまま、ひょろっとした体を細かく揺すっている。
その背中が、ふいにこちらを振り返り、目が合った。
「……嘘でしょ」
あ。というように、男は大きく口を開けた。
その顔を歪ませて後ろに半歩よろめくと、次の瞬間には連れを車に押し込み、逃げるように車を急発進させた。
車体が縁石に一度大きく跳ね、タイヤを軋ませながら霧の向こうへ消えていった。
ホンダ・シビック。
――リックの車だ。
「万里奈」
肩がおおげさに跳ねる。
もうそこには何もないのに、反射的に、隠すように扉を閉める。
「どうかした?」
マルティンが、閉じた扉に視線を落とす。わずかに間があった。
「ううん、なんでも。……外の空気吸ってただけ」
今見たものを、上手く言葉にできなかった。わざとらしいまでに冷えた声が出る。
マルティンは何も言わない。ただ一度だけ、万里奈の顔をじっと見た。
「さっきは悪かったな、空気悪くして」
言葉とは裏腹に、マルティンは悪びれる様子もなく笑う。
「彼、単純だね。見てて面白い」
「……サイラスは良い人よ。馬鹿にしないで」
「してないさ。でも――万里奈は複雑だ。すごくね」
喉の奥が、ひくりと鳴る。
マルティンはもう一度、通用口の扉に目をやり、それから視線を戻した。
「もっと知りたいな、君のこと」
頭の中では絶えず警鐘が鳴っているのに、ふと、彼は瞬きが少ない――と、今更どうでもいいことに気づく。その彼が、ゆっくりと瞼を閉じた。
そして再び目を開けると、
「まずは、連絡先かな」
スマホを片手に、いい笑顔で下手なナンパみたいな事を言った。
***
席には時間を置いて、別々に戻った。
マルティンとの間に、ひとつ余計なものが挟まってしまい、サイラスの顔をまともに見ることが出来なかった。けれど、そんなことは些事に過ぎない。
目下の所、一番に考えなくてはならないのはリックのことだ。
断片的に耳に入った会話。以前からの噂。そして、あの場にいた事実。ばらばらのままのそれらが、ひとつの形を取りかけている。しかし、確証はない。
それに、仮にそれが正しかったとして、自分にそれを指さす資格があるのだろうか。倫理の道ならとうに踏み外していた。それでも、悪人には悪人の倫理がある。
沈黙は、金なのか――
その時、着信音が耳に飛び込む。
「ハンクだ」
マルティンがスマホを一瞥し、間を置かずに応答した。
短く切り揃えられた相槌が、断続的に落ちていく。
テーブルの下で冷えきっていた手が、そっと包み込まれる。サイラスを見ると、ぎこちない、けれど優しい笑みを送られた。指先の温もりが、かえって居心地を悪くする。
「……ああ、そうか。うん、お疲れ。ゆっくり休めよ」
通話が切れる。
固唾をのんで、そのあとの言葉を待った。マルティンは一度コーヒーに口をつけると、
「駄目だった」
それだけを、置くように言った。
驚きはない。けれど眩暈がした。
それを押しとどめるように強く瞼を閉じる。サイラスが頭を引き寄せ、肩口に埋めた。今は、その温もりがただ有難かった。
遠くで、マルティンの声が続く。
「特殊部隊が突入した時にはもう、連中は逃げ出してたみたいだ。残置物に大元に繋がるものでもあればいいが」
サイラスの声が、すぐ近くで応じる。
「検問は? 逃げ出したやつらもまだその辺にいるだろ」
「国道には敷かれるだろうけど……連中も馬鹿じゃなきゃ、ほとぼりが冷めるまで潜伏するかもな」
「若かったんだろ。うちの生徒だったら笑えないぜ」
と、サイラスが力の抜けた声で言う。
「しばらくは欠席者に目を光らせないとな」
「今は夏休みだよ」
「おっと。そんなのあったっけ。しばらく取ってないな」
二人は短く笑い合った。その笑いはどこか噛み合いきらず、万里奈の耳をかすめて遠くへ流れていった。
リックも、夏休みだ。
夏期講座や校内イベントに参加するような男じゃない。この間のように偶然鉢合わせでもしない限り、彼の動向はつかめないだろう。
あるいは――
狼狽したリックの姿が目の裏によみがえる。
近いうちに、彼とはまた会う気がする。
それまでに、どこに着地させるかだけは、決めておこう。




