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3.汐崎万里奈という女③ 罪の代償

 ハンボルト。その地名を聞いて、何を思い浮かべるだろうか。


 風光明媚な大自然? 大麻の一大産地? それとも「ハンボ…何だって?」と首をかしげるタイプだろうか。


 本誌記者は、恥ずかしながら圧倒的に最後のタイプであった。

 猥雑なゴシップや、IQの下がるような都市伝説しか扱わない本誌の、見識の浅い読者諸君の為に念のため説明しておこう。

 

 ハンボルトとは、北カリフォルニアの太平洋に抱かれた、小さな湾岸の郡である。

 二三〇万エーカーの広大な土地に、人口はたったの一三万人足らず。数字に弱い読者のために更にかみ砕くなら、「ペパロニが三枚しか乗ってない巨大なピザ」と言えば理解できるだろうか。

 

 今回本記者が筆をとったのは、何も観光案内のためではない。パンフレットには決して載らない、ハンボルトの闇の顔を紹介しようと思う。


 ――レッドウッドの森にはシリアルキラーが潜んでいる。


 「はいはい、また都市伝説ね」と冷笑しつつ鼻の孔を広げてタブレットにのめり込む読者の顔が目に浮かぶ。安心してほしい。これは本記者の妄言でも、ネットの怪談でもない。

 

 半分、事実だ。(編集長が横にいるので半分とつける。察してほしい)

 

 ハンボルトの未解決の失踪・殺人事件は半世紀で五十件以上にのぼる。この数字に肩透かしを食らった読者も多いだろう。

 

 しかし思い出してほしい。この土地にはペパロニが三枚しか乗ってない。人口比でみれば、失踪者数はカリフォルニア州平均のほぼ三倍に跳ね上がるのだ。

 つまりハンボルトでは――人が消えたまま戻らない確率が、異様に高い。

 

 さらに忘れてはならないのは、収穫移民の存在だ。彼らはこっそりとやってきては、合法、あるいは違法の大麻農園で日銭を稼ぐ。彼らのような存在は、消えたことすら記録に残らない。旅行者だってそうだ。例えそこで失踪したとしても郡内に滞在していたという確たる証拠がなければ捜索すらされないのだ。

 これらの数字もカウントしたら、さらに恐るべき数値になることは秘匿された事実なのである。

 

 エド・ゲインやテッド・バンディしかり。かつてシリアルキラーと恐れられた彼らがいとも容易く殺人を重ねられたのは、監視カメラも科学捜査も未発達な時代だったからだ。

 

 だがこの地はどうだろうか?

 

 森に入れば電波は遮断され、監視の目は薄れ、人が消えても誰も気づかない。

 まさにシリアルキラーが潜むには、これ以上ないほど都合のいい土地なのだ――


====


 ――くだらない。 


 万里奈はスマホを持った手をシーツに沈ませた。

 ネットの記事は、その後も延々と殺人鬼の存在をほのめかしていた。だが「半分事実」とうたいながら、肝心の証拠はひとつもない。結局は都市伝説に脳みそを溶かされた記者の妄想小説でしかなかった。

 

 もう一度スマホを持ち上げて、Xのアイコンから女性の名前を検索する。スクロールすると、すぐに見覚えのある顔写真が目に飛び込んできた。


【拡散希望】

 私たちの娘、ジャオ・リンが行方不明になってから、今日で1か月が経ちました。

 七月十二日シックスリヴァー周辺で捜索ボランティアを募集します。

 集合場所:ウィロークリーク・ビッグフット博物館前

 時間:午前九時〜

 持ち物:歩きやすい靴、水、長袖、携帯ライト、雨具、食料

 ※携帯の電波が弱いため、必ず複数人で行動します。

 ※地元ハンターも募集しています。

 リンは最後にビックフット博物館付近で目撃されています。

 参加してくださる方は、この投稿にリプライまたはDMでご連絡ください。

 どうか力を貸してください。


「失踪者」「リンを見つけて」「ハンボルト」

 

 そんなハッシュタグが並ぶ投稿を見て、暗澹と目を閉じた。

 

 罪滅ぼし。

 そんな安っぽい言葉で、この罪悪感が薄まるとは思わない。それでも、何もしないでいることだけはもう耐えられそうもなかった。

 

 考えてみれば、自分は人を殺めておきながら、何ひとつ罰を受けていない。この国の代替刑のように、刑務をこなせないならせめて奉仕活動くらいはすべきだ。

 

 そう思ったものの、集合場所はあまりに遠い。バスも通らないエリアで、車のない身には参加すら難しかった。

 

 指を滑らせて失踪者家族の過去の投稿を追っていく。

 街角でのビラ配り、チャリティーイベントでの涙の演説、森での捜索活動――

 初期の投稿では何千、何万とグッドマークとコメントがついていたが、最新の投稿ではその数は半減している。注目度が薄れるにつれ、家族の焦燥感は増していることだろう。

 

 その家族が、どんな顔で、どんな思いで日々を過ごすのかを知っている――

 

 その時、スマホの画面を遮るように大きな手が眼前を横切る。

 そのまま頭を引き寄せられ、顔中についばむようなキスをされた。


「サイラス、起きてたの」

「今起きたところだよハニー」


 ハニー、と呼ぶ通り、はちみつを垂らしたようにだらしなく笑うサイラスがじゃれついてきた。シーツの中の手が段々と下におりていくので、その手を軽く叩く。


「だめだよ、宿泊申請してないんだから。もう帰らないと」

「ええ?ゲストは二十四時までは居ていいんだろ?だったらさ――」

 

 なおもいたずらしようとする手を今度は強めにつねる。寮のルールは日本では考えられないほど緩く、申請すれば宿泊すらできてしまう。


 「だーめ。お母さんにこのあとビデオ通話しなきゃならないのよ。ベッドにひげもじゃの熊さんが居たら、卒倒しちゃう」

 

 サイラスがさっと顔色を変えてシーツから両手を出した。

 時計を見ると二十時半を過ぎたところ。サイラスに着替えを促して、万里奈も着替え始めた。下着が見当たらず見渡すと、ルームメイトのベッドの柱にひっかかっていた。放り投げた張本人は早くも着替えを終えて、脂下がった顔でこちらの着替えを見守っていた。

 

 寮の廊下は静まり返っている。

 エントランスに向かう道中で彼に訊ねる。


「ねえ、来週の土曜日って車出せる?」

「ん?どっか行くの?」


「これなんだけど」と、言ってスマホを見せる。 


「帰りは誰かに乗せてもらうとして、行きが遠くてさ。車出してもらえれば助かるなって――」


 スマホを覗き込んだサイラスが遮るように声を上げた。


「シックスリヴァーだって?だめだめ、危ないってあんなとこ」

「え、そんな危険なとこなの?」

「危険っていうか――森が深すぎる。熊だって出るし、遭難のリスクも高い」

「でも、地元のハンターも募ってるし。森に詳しい人が一緒なら、そこまで危ないってことはないと思うわ」

 

 サイラスが地面に深く息を吐いた。


「マリナ、悪いことは言わないからよしてくれよ。訓練を積んだ山岳隊員だって、運が悪けりゃ生きて帰ってこれないんだぞ。それに……ひと月発見されてないなら、例え見つかっても、それは死体だ。その子の家族にゃ悪いけど、生きてる人間がリスク背負ってまですることじゃないよ」

 

 そんなことは分かっていた。それでも反論できる材料を持ち合わせていない万里奈は、俯いてただ黙り込むことしかできなかった。


「それよりさ」とサイラスが口調を転じて明るく言う。


「その日は俺の大学時代の仲間と集まるんだ。マリナも来てくれよ。紹介したい」

「……そうだね、考えておく」


 サイラスは心配そうに、何度かこちらを振り返りながら帰っていった。


***


 部屋に戻ると、スタンドにスマホを立て掛け、インカメラで身だしなみをチェックした。レンズ越しに映る自分は、普段と変わりないように見える。

 

 椅子に座ると陰部につきりと針で突かれたような痛みが走った。眉をひそめ、下着の中を確かめるように探ると、指先に色素の薄い血が付着していた。


 「ほんとに出血するんだ」と、特に感慨もなくティッシュで拭き取り、ゴミ箱に投げ入れる。もう一度カメラを見て、長い黒髪を後ろに流して整えると、履歴から母の名前をタップする。

 

 ワンコールも鳴り終えない内に、画面が切り替わり母の顔が映し出された。


「やっほ。あれ、寝起き?」

 

 母はパジャマ姿で、その顔はどこか浮腫んでいるように見えた。休日でも薄化粧で長い髪をまとめ、しゃきっとしている母が、寝ぐせもそのままとは珍しい。


 「納期直前に製品仕様の変更があっただとかで、昨日は徹夜だったのよ。ったくそんなのAIにやらせろっての」

 

 母は髪をかき上げながら綺麗な眉を寄せて吐き捨てた。


「でもAIで済んじゃったら、仕事なくなっちゃうよ」

 

 万里奈は苦笑して母を諫める。

 

 母は在宅で技術ライターの仕事をしている。雑誌編集者の仕事をしていた時に比べれば、企業案件が多く生活リズムは安定しているはずだが、昨日はそうではなかったらしい。


 「ま、それもそうね。それより万里奈、今日はなにをしてたの?」

 

 本日も始まってしまった定例報告会。いつもなら何てことはないが、やましいことがあった直後なので自然と背筋が伸びる。


 「今日はすぐ近くのコミュニティセンターでフリマやってたから、そこに行ってた」

「誰と?」

 

 間髪入れずに母が訊く。


「サイラスだよ、アナベルの弟」


 母はアナベルと繋がっているので、どこから何が漏れるか分からない。下手な嘘はつけなかった。


「ああ、先生の――ちょっと待って。この間も食事に行ったって言ってたわよね。大丈夫なの? まさか言い寄られてたりするんじゃ――」

「大丈夫だよ、そんなんじゃない。それにこの間は彼の両親も一緒だったし」


 ついさっき処女を捧げました、なんて言ったら母は倒れるだろう。だが、将来は結婚相手として紹介するつもりだ。


「彼、いい人だよ。すごく良くしてもらってる」と、念のため株を上げておく。

「ふうん、ならいいけど。明日は何をするの?」

「明日は夏期講座だから一日勉強だよ。どこにも行かない」

「そう、わかった。何度も言うようだけどね、くれぐれも森とか海とか危険なところに入らないようにね」

「うん……わかってるよ」


 ジャオ・リンの笑顔が脳裏によぎった。

 その時、母の背後からにゅっと父が顔を見せた。


「万里奈~元気か~」


 娘というより孫を見るような目で、手を振る父。

 実際、母とは歳の差婚だった為、父はもう還暦を超えている。綺麗にグレーに色づいた髪を撫でつけ、近頃は髭も生やしはじめた。経営していた会社を売却し、今では悠々自適の隠遁生活だ。


「小遣い足りてるか? 夏休みだし色々と入用だろ、追加で送金しようか」

「ちょっと馬鹿、必要以上に与えようとしないでよ」


 母が父の頭をはたく。その様子に少し笑って、


「そんな使うこともないし、いらないよ。あ、強いていうなら文房具送ってほしいかも。こっちのって質が悪くって」

「ああ、それなら来月そっちに行くときに持ってこう」

「――え?」

「お父さんでっかいスーツケース買ったから、なんでも持っていけるぞ」

 

 父が何か言っているが頭に入ってこなかった。


「ちょっと待って、来月って何? え、来るの?」


 母が父を頭で押す。


「言ってなかった?来月行くわよ、そっち。ほら、アナベル先生が来月帰るっていうから、じゃあその日に合わせて私たちも行こうかってお父さんと話してたのよ」

「そんなの、聞いてない――ねえ、ほんとに何にもないところだよ。同じカリフォルニアでも、サンフランシスコとか、ロスとか、他にいいところいっぱいあるよ?」

「別に何にもなくていいわよ。万里奈に会いに行くんだから」

 

 そう言われてしまっては、もう返す言葉もなかった。

 水の底に沈めたものが気泡を上げて浮かび上がってくる。両親は、万里奈の罪の形を知らない。


「……そっか、私ってめちゃくちゃ愛されてるね。来月、楽しみ」


 笑顔を張り付けて、そう言った。

 

 通話を切ると、しばらく時が止まったようにスマホを握りしめていた。

 両親が来る。ただそれだけのことだ。いっそサイラスのことを紹介してしまおうか。大学卒業後すぐにこちらに渡れるよう、下準備は早いに越したことはない。


 ――コリ、

 カントリーフェアの時期に来るならば、お祭り騒ぎに乗じてあっという間に時間は過ぎ去る。大学を案内して、アナベルの家族を紹介して、時間があれば何か気軽にできるアクティビティに一緒に興じるのもいいだろう。

 

 ――コリ、

 何日間滞在するのか聞くのを忘れた。一週間? 二週間? まさか休暇中ずっと居座るということはないだろう。夏期講座だってある。一日中、一緒にいるわけじゃない。


 ――ガリ、

 気づけば、万里奈の爪はのこぎりの歯のように歪に尖っていた。舌先でそれをなぞると痺れるような痛みが走った。

 握りしめていた指の強張りをとき、スマホを操作する。


 ====

 こんにちは。

 はじめまして。マリナ=シオザキと申します。

 ハンボルト大学に通う留学生です。

 リンさんのこと、他人事とは思えないくらい心配しています。

 今回の捜索に是非参加させて頂きたいのですが、

 車がなくて集合場所まで行けそうにありません。

 過去の投稿をみて、ご家族がユーレカに滞在されていると知りました。

 もし差し支えなければ、相乗りさせて頂くことは出来ますか?

 勝手なお願いですみません。

 返信おまちしております。

 リンさんが無事見つかることを祈っています。

 ====


 DMを送信すると、最新の投稿にグッドボタンを押してスマホを置いた。

 彼女を見つければ、罪もまた沈んでいく。

 

 そうでも思わないと、息ができないのだ。


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