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彼女が吐く息すべて、彼が見つめるものすべて  作者: ひめじろ
第二章 「マルティン」
20/32

3.探偵らしく

 死体の男の名前はリック。

 そして相方の名前はチェイス。

 

 ネット上の情報だ。本名かどうかは怪しいもんだが、今はそれでいい。

 

 マルティンはウィロークリークの町に数店しかないバーの扉を押した。

 薄い昼光が店内に流れ込む。照明は点いているが、どれも弱く、外の光に負けて色が褪せて見える。

 カウンターの奥では、年季の入ったバーテンダーが新聞を広げたまま、ページをめくる手を止めてこちらを一度だけ見た。

 

 そのバーテンの対角の隅で、ビーフタコスにかじりつく男がいた。彼はいつもその席に座り、同じものを食べる。


「ハンク」

「おお、マルティン。あの日ぶりだな」

 

 ハンクはグレーの口ひげについたソースを拭い、ナプキンをカウンターに放った。


「久しぶり。腕はもういいのか? あれから森で見かけないが」

「あんなもんかすり傷だ、問題ない。……しかしな、どうも思い出しちまう」

 

 ハンクは軽快に腕を回して見せたが、すぐに顔を陰らせる。


「災難だったな、ほんと。あいつらまだ捕まらないのか」

「ああ、若い連中はパソコンばっかに向かって足を使わねえ。まったく、情けない」

「さすが、巡査部長は厳しいな。捜査状況は聞いてるんだろ?」

 

 ハンクは一度こちらを見ると、鼻に皺を寄せて視線を落とした。


「元、だ。今はただの年寄りだ。人ひとり救えやしない」


 ――慰めにきたんじゃないんだけどな。

 

ハンクは巡査部長だった当時、若い保安官を何人も育てた「現場の教師」だったらしい。

 マルティンが移住してきたときには既に退官後だったので、彼が保安官の制服に身を包んだ姿は見ていない。だが現役の保安官達に慕われる彼の元には情報が集まる。

 

 ここはひとつ溜息を飲み込んで、彼の肩を軽く叩いてやった。


「相手は小銃持ちだったんだろ、仕方ないさ」

 

 彼はそれをうとましそうに身を捩り、「ざまあないぜ」とこぼした。元保安官としての矜持がそうさせるのだろう。


「……なあ、二人の身元くらいは割れてるんだろ」

「まあ、な。だが足取りがつかめない。――ああ、でも片方は進展があったか」

「へえ、どんな?」

 

 ハンクが胡乱な目でこちらを見る。タコスの残りを指で押しつぶし、皿の縁に寄せた。


 「お前、ライター業やってんだろ。ブン屋に売り込まれちゃかなわん」

「そんなことしないさ。……責任感じてるんだ。僕が気まぐれに捜索に参加しなきゃ、何か変わってたかもって」

 

 カウンターに肘をつき、眉間を押さえて顔を沈ませて見せる。ハンクは少しだまり、ふん、と鼻を鳴らした。

 ――わざとらしすぎたか?


「……まあ、お前にはあの場での借りがある。いっとくが、名前は伏せるぞ」

「ああ、構わない」

 

 心中でほくそ笑んだ。


「片方はハンボルトの学生。もう片方は地元の違法大麻の売人だ。この町のふきだまりみたいな連中だよ」

 

 なるほど。学生の方がリックで、売人はチェイスか。


「それで? 進展ってのは?」

「ああ、連中あの日から姿をくらませてたんだが……学生の方に動きがあった」


 バーテンが注文を取りにきたので、適当にサイダーを注文する。


「学生の親からの通報だ。知らんうちに兄貴の仕事用のバンと車のキーが消えてたんだとよ」

「そんなの盗んでも、すぐ足がつくだろ」

「奴の車は手配済みだったから、急ごしらえで必要になったんだろ。だがお前の言う通り、盗まれたバンも車両追跡にひっかかった。昨日のことだ」


 サイダーの瓶がカウンターに置かれる。ぱちぱちと弾ける音が響いた。


「ハイウェイのカメラに映った。ナンバーがな」

「どこで?」

「言えんよ。だが……ユーレカからは離れてた。南の方角だ」

 

 マルティンは瓶のラベルを親指でなぞりながら、頭の中で地図を辿る。


「それっきりだ。次のカメラには映らなかった。途中で乗り換えたか、隠したか……」

「バンは見つかったのか」

「まだだ。だが、あの辺りは道が少ない。いずれ出てくる」

 

 ハンクはサイダーの泡をじっと見つめ、ため息をひとつ落とした。


「学生の親は泣いてそうだよ。兄貴の車まで持ち出されて、何がどうなってるのか分からんってな」


 大丈夫。彼は万里奈に一突きされて、そう苦しまずに逝っただろう。

 最後に気がかりなことをハンクに投げた。


「連邦捜査局は動いてるのか? あの森は連邦の土地だろ」


 ハンクは顔を顰めた。


「FBI? 来ちゃいねえよ。だが中国領事館が騒いでな。保安官事務所も無視できなくて、FBIに照会したらしい。国際連絡の窓口だけは向こうがやってる」

 

 そりゃ良かった。奴らが本格的に動くとなると面倒だ。

 

 ハンクは小さく押し固めたタコスに再びかじりついた。彼からとれる情報はこのくらいだろう。席を立つタイミングを見計らいつつ、サイダーを飲み下していく。気泡が喉で弾け、むせそうになった。


「そういやお前、あの嬢ちゃんと、どうなった?」

 

 マルティンは今度こそむせた。


「ぐ、ど、どうなったって?」

「誤魔化すなよ。お前鼻の下伸ばしてたじゃないか」


 ——嘘だろ。そんな顔してたのか僕は。

 ハンクはにやにやと嫌らしい顔で笑う。


「どうもこうもないよ。あの日、恋人が迎えにきてたし」

「そりゃ残念だったな。お前も早いとこ身を固めろよ。こんな田舎に越してきちまって、残りものにしかありつけねえぞ」


 マルティンは肩をすくめた。

 サイラスが残してくれたら、ありがたくありつくとするよ。

 サイダーを飲み干すと、挨拶もそこそこに店を出た。


 大体の道筋は見えてきた。

 万里奈は捜索後、ダイナーの通用口のドアから、リックとチェイスを目撃したのだろう。あの時の彼女は、様子がおかしかった。

 

 リックが彼女に接触した理由は口封じではない。捜査の手が迫っているということは知れていた筈だ。なら通報されたと思い込んでの報復か? いや、追われている身で危険を冒してまでそんなことをする馬鹿はいないだろう。

 

 となると、売ろうとしたか――。

 

 農園の事件の失態で、彼は責任を問われていただろう。カルテルみたいな連中は、下っ端から搾り取ろうとする。リックの暴行の跡も、奴らがやったとしたら頷ける。

 

 エイミーの存在も不可解だ。彼女はリック側の人間だった筈なのに、万里奈と一緒に死体を埋めた協力者となっている。途中で鞍替えしたのか?

 彼女たちが乗っていたあの盗難車は、大方リックがバンから乗り換えようとした車だ。でも乗り換えは叶わなかった。何故なら、リックが死んでしまったから。


 まてよ。

 

 仮にエイミーが最初はリックに加担していたとするなら、なぜ彼女なんだ?

 リックにはチェイスという相棒がいるし、荒事には男の方が向いている。一連の流れにチェイスの影が見えてこないのは、何故だ。


 ふいに、彼らのインスタグラムのハッシュタグが頭にちらついた。

 

 一生もの。

 裏切らない。か――

 

 友情に厚い二人の男の、片方の行方が分からない。

 チェイスという男の存在は、万里奈の秘密を守る上で看過できないものに思えた。

 

***


「はあ。探偵さん……ですか」

 

 女はリックによく似ていた。整った鼻梁は深い影をつくり、いまはただくたびれた印象を受ける。無理もない。息子が殺人事件の容疑者として追われていて、もう二週間も行方知らずだ。

 女の細い指には、マルティンの名刺が握られている。

 

 マルティンは一度家に帰ると、ジャケットとスラックスに着替えた。リックの家は彼が投稿したいくつかの断片的な情報ですぐに割れた。ついでに本名も。

 

 リック・スレイター。二十歳。今はやんちゃしてても、ハイスクールの頃はそれなりに真面目にやっていたようだ。ヨット大会の表彰記録がネットの海に浮いていた。


「すみません突然訪れて。息子さん、心配ですね。何か力になりたい」

 

 少し眉を寄せながら口元を僅かに緩めると、女は少しばかり警戒を解いたのか、やっと視線を合わせた。


「でも、依頼料なんてお支払いできません。あの子の捜索は警察に一任してますし」

「そんな。別に売り込みにきたわけじゃない。実はもう他に依頼人がいるんです」

 

 女はぴくりと眉を揺らした。


「……誰ですか」

「残念ですが依頼人の情報はお伝えできない。ただ……この事件で他にも心配をよせる家庭がある。お分かりですよね」

 

 こういっておけばどうとでもとれる。ジャオ・リンの親族かもしれないし、チェイスの家族かもしれない。あるいは別の誰かか。自分なりに解釈したのか、女は漫然と頷いた。

「どうぞ」そう言って女は家に通した。


 リックの家はどこにでもある中流家庭だった。家電の質や、女の身なりからも、特に生活に困っている様子はない。リビングの窓から見える庭は綺麗に整えられており、時間的な余裕もありそうだ。


「あの子は巻き込まれただけなんです」

 

 コーヒーをテーブルに置くと、女の方から口を開いた。


「分かります。チェイス、ですね?」

 

 同意を示して深く頷いてやると、女は堰を切ったように言葉をこぼす。


「そう、そうです。チェイスとは小学校からの仲で、二人はいつも一緒にいました。でも、チェイスの父親が事業に失敗してからは、転がり落ちるように荒れてしまって……」

「リックはそれでも、彼から離れなかった」

 

 カップに口をつけ、置くように言った。


「ええ。本当に仲が良かったんです。……チェイスに引きずられて怪し気なバイトまでするようになりました」

「彼はお金に困っていたんでしょうか」

 

 女が声を落とし、視線を逸らした。


「そんなことは……まあ、あの年齢ですし、とくにお金をあげるようなことはしてませんでしたが」

「当然です。遊ぶ金ならまっとうなバイトでも足りるはずだ」

 

 女はほっとしたように息をついた。


「ただ――奥さん。彼がまとまった金を欲しがるような理由、心当たりはないですか? 服がほしい、車がほしい、ゲームがほしい。なんでもいいんです」

 

 女はカップの縁を指でなぞりながら、しばらく黙った。否定したいのに、言葉が出てこない人間の沈黙だった。


「……分かりません。欲しいものがあっても、自分でバイトして買う子でしたから」

 

 声は弱く、どこか自分に言い聞かせているようだった。

 マルティンはソファに身を沈めた。窓の外では青々と茂った緑が葉を広げてプランターから零れ落ちそうになっている。


「……大麻、そろそろ収穫ですね。よく育ってる」


 女のカップの中身がかすかに揺れた。


「あの子のです。……あれの世話だけはかかさなかった」

「息子さんはよく嗜んでいたようですね」


 カップを見つめる女の視線は揺れている。


「ああ、いいんですよ。僕もいまだにやめられない。でも、あれですよね。学生だと校内で吸ってトラブルになることも多いとか」


 女の肩がぴくりと跳ねた。いっそあからさまだ。


「息子さんは大丈夫でしたか?」

 

 女の揺れる瞳が僕の目を見つめる。

 少しの間をおいて、うなだれるように手で顔を覆った。


「3回目……だったんです。あの子、退学になりかけました」

 

 こもった声が震えている。


「どうにか大学にかけあって、退学処分は止められました。でも――奨学金が打ち切られてしまって」

「息子さんに、責任を取らせた?」

 

 女はぱっと顔を上げる。悲痛に顔を歪めていた。


「勿論、全額払わせるつもりはありませんでした。でも自分でやったことなんだから、少額ずつでも返していけって。それで、あの子……」

「楽して金を稼ぐ道を選んでしまったわけですね」

「……こんなことになるとは、思ってなかったんです」


 眉間を指でぐっと掴んでいる。何かをこらえているようだった。


「仕方ありません。リックの横にはチェイスがいた。彼は違法大麻の売人だ。後ろ暗い伝手があった……奥さん。リックの部屋、見せてもらえませんか」

「でも、警察も散々調べましたよ。いまさら何かみつかるとは思えません」

「警察は広く見る。僕は狭く深く見る。だから見えてくるものが違います。――リックを見つけましょう」


 最後の言葉を力強く言って見せると、女はわずかに目を潤ませ首を縦に振った。

 残念ながら、リックの死体は万里奈の大事な秘密だ。誰にも見つけさせやしない。

 

***


 車のシートに身を預け一息つく。久しぶりに窮屈なジャケットにそでを通し、わずかに肩が凝っていた。

 

 リックの部屋では、めぼしい収穫はなかった。

 当然だ。

 マルティンが探しているのはチェイスのほうだ。

 

 だが肝心のチェイスの家では、酒臭い親父が出てくるなり「帰れ」と一喝し、ドアを固く閉ざされてしまった。

 近所の話では、数年前に離婚してからは、親父とチェイスの二人暮らしらしい。母親は娘を連れて家を出て、再婚を機にメイン州へ移ったという。

 そこまで聞けば、チェイスが母親の元へ逃げ込んだ可能性も浮かぶ。だが大陸横断レベルの追跡は、さすがに今の時点では尚早だろう。

 

 だからマルティンは、その足でリックの家に来たわけだ。

 結果として、リックが万里奈をさらったであろう動機は見えてきたものの、チェイスの居場所につながる手がかりは、ここでも得られなかった。


 ただ、ひとつだけ。


 ポケットから一枚の写真を取り出す。リックとチェイス、そして黒人の女。三人が肩を寄せ合い笑っている。リックのデスク上のクリップボードに貼られていたものだ。

 リックの母親に聞いてみたが、写真の女に心当たりはないそうだ。「息子は女性関係が奔放だった」とだけ、言葉を繕いながら言った。

 他に親しくしている人物がいないか訊きだすも、チェイス意外には思い当たらないとのことだった。


 写真を裏返す。「420」とマジックで走り書きされている。

 

 まただ。余程お気に入りらしい。

 隠語の意味通り大麻仲間を表すのか、それともなにか別の意味があるのか。

 どちらにせよ手がかりがない今、この女に当たるしかない。

 

 例のごとくリックのインスタグラムから繋がりを探す。百人あまりのフォロワーから総当たりで調べてみたが、女らしきアカウントは見当たらない。次にチェイスのフォロワーを見るがそれも空振り。SNSをやらない口か? それともさほど深い仲ではないのか。


 写真の背景にはバーカウンターと、ビールの銘柄のネオンライトが浮かぶ。若者が好みそうな飲み屋であれば、この狭い町ならすぐに見つけだせる。

 

 まあいい。今日はもう時間切れだ。

 

 フロントガラスから覗く陽の落ちた空をひと仰ぎし、車のエンジンボタンを押した。


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