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彼女が吐く息すべて、彼が見つめるものすべて  作者: ひめじろ
第二章 「マルティン」
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2.マルティン・ノヴァクという男② 後始末

 彼女たちが去った翌日、マルティンは早朝から森に入っていた。

 

 むせかえるような朝霧が肌に張り付き、髪が風呂上がりのように濡れていく。夜行性の獣が巣穴へ戻り、薄明の獣たちが動き始める。森がいちばんざわめく時間だ。


 背中の愛銃、レミントン700は今日に限っては飾り物でしかない。


 本命は、こっち。

 木製の柄を握り直す。鉄製のスコップの先が霧に濡れ、鈍く光を返した。


 さあ。宝探しの時間だ。


 彼女たちが車を停めていた林道から、足跡を辿るように森を進む。それは獣の痕跡を読むよりもよほど簡単だった。やわらかい土がえぐられて一本の線を描き、「次を左折です」とルート案内をされているみたいだ。

荷車で、一体なにを運んだんだろうね。


「目的地に到着しました」


 そんな幻聴が聞こえそうなほど、そこは丸わかりだった。

 窪地の一角だけ、まぜかえされたように土の色が不自然に変わっている。

 近づくと、細かい葉や草の根が断ち切られて土に溶け込んでいた。マルティンは迷わずそこへスコップを差し込んだ。


 小一時間ほど堀り進めた頃、スコップの先が鈍いなにかに当たった。ぐっと押し込むと、腕がわずかに弾き返される。

 

 当たりだ。

 

 土の中に手を突っ込み、まさぐる。布の感触を掴み、足を踏ん張り一気に引き上げた。

 現れたのは、マネキンのようにポーズが固定された人間の体だった。うつ伏せの体をひっくり返すと、腕は体を斜めに横断するように張り付き、脚はくの字に折れている。

 

 男の死体だ。

 

 体からは、嗅ぎ慣れた甘い発酵臭に混じって、鼻をつんと刺す刺激臭があった。死体からは嗅いだことのないそれに軽い違和感を感じる。

 

 死後硬直がまだ解けていない。

 となると、こいつは死後半日か、せいぜい一日。


  試しに男の腕を持ち上げてみる。体に張りついた腕は鉛のように重く、びくともしない。無理に力を込めると、ぶつりと筋繊維が切れて腕がわずかに動いた。 

 

 男の顔についた土を払う。右目は潰れかけてどす黒く染まり、薄っすら空いた口からは前歯が二本抜け落ちていた。その暴行の跡は、彼女たちがやったにしては粗野な印象を受けた。

 

 シャツの腹部は茶褐色に染まり、まだ湿り気を帯びて体に張り付いている。

 めくりあげた瞬間、息を呑む。

 鳩尾に、骨の隙間を抜くような刺し傷。刃は迷いなく入っているように見える。 


 ――万里奈。君だ。

 

 なぜだか、そう思った。

 彼女は衝動に任せてめった刺しになんかしない。命を絶つ冷徹な一突き。これは、彼女にこそふさわしい。


 くらくらする。

 マルティンは熱に浮かされたように熱い息を吐いた。心臓がきゅっと締め付けられ、切ない音を立てる。


 彼女と話したい。彼女に、この気持ちを伝えたい。


 でも、まだ駄目だ。彼女が作るストーリーの全容を見ていない。肚の奥をくすぐる感覚をそのままに、マルティンは男に目を落とした。

 

 若い男だ。彼女とそう変わらない年齢。今は一部潰れているが、整った鼻梁をしている。女にもてそうな甘い顔立ち。同じ学生だろうか?

 

 二週間の調査のおかげで、万里奈の交友関係や行動範囲は把握している。夏休みに入り、友人の多くは旅行やインターンで姿を消し、彼女はそのほとんどをサイラスと過ごしていた。大学構内は未知だが、少なくとも外で過ごす時間に、この男の影はなかった。

 そして、――あのエイミーという子も。

 

 いま思えば、あの二週間は夢のような時間だった。

 素行調査という名目のもと、大手を振って彼女を追いかけ回せたのだから。サイラスと一線を越えたときはさすがに堪えたが、それでも、秘密を抱えた彼女を見つめているだけで、マルティンは満たされていた。

 

 同時並行で依頼されていたサイラスの調査は、ただの苦行だった。

 彼ほど叩いても埃の出ない男も珍しい。高校時代から長く付き合っていた彼女に浮気されて破局し、その後は長いこと女性関係を断っていたらしい。職場での評価も良好。生徒に友達のように好かれる教師だそうだ。つまらない男だ。

 

 ビデオ通話で調査結果を報告したときのMr.シオザキは、憤懣やるかたないといった顔でサイラスに嫌悪を示していた。彼にとっては、どんな男でも娘をたぶらかす悪魔に見えるのだろう。


 それでも、娘が遠い地で危険な行動もせず、気に食わないとはいえ「安全な男」と一緒にいるという事実に、彼は多少満足したようだった。報酬はきちんと支払われた。

 くしくもその後、娘が深い森の捜索で危険に巻き込まれたと知ったら、彼はどんな顔をするだろう。

 

 そしていまや、殺人犯だ。

 

 マルティンはスマホを取り出すと、男の死体を何枚か写真に収めた。

 まだ調べるべきことは多い。まずは男の身元。そして彼女やエイミーとの関係性。念のため所持品を探ったが、賢い彼女のことだ。勿論なにもでてきやしない。

 

 ふと、土に埋もれるクリーム色のものが目に入る。

 摘まみ上げると、蛾の死骸だった。

 フリーマーケットで彼女が読んでいた、あの図鑑に載っていた目玉模様の蛾。

 

 運命めいたものを感じて、思わず頬を緩める。ウエストポーチからビニール袋を取り出し、死骸を入れて封を閉めた。風化しないよう、後で樹脂で固めておこう。


 今回の記念品はこれで決まりだ。

 

 男の死体を埋め直すと、彼女の秘密を守るためにいくつかの工作を施した。

 

 まずは周囲の景色と馴染ませるため、別のところから下草を根ごとスコップで掬い上げ、埋葬場所に植えこむ。庭の芝生の植え替え作業と同じ要領だ。それを何度か繰り返すと、多少違和感は残るが、いくらかましになった。

 

 あとは獣が掘り返さないように、倒木を何本か設置した。重労働だったが、彼女のためならどうってことはない。

 

 そして帰路につく道すがら、車輪の跡を靴で均しながら歩いた。

 素人のカモフラージュだが、少なくともこれで、カーナビみたいにするすると案内されることは無くなった。

 

 これから、忙しくなりそうだ。


 家に帰ってシャワーを浴びると、パンを焼きもせず適当にピーナツバターを塗っただけの朝食を取った。

 

 スマホを操作しながらパンを齧る。

 画面には、赤と白の奇抜な髪色のアニメキャラクターのイラストが映っている。プロのものではない、素人の稚拙なイラストだ。スライドすると、同じキャラクターのぬいぐるみを持ったエイミーの笑顔が映った。

 

 彼女達を招待したあの日。万里奈が席を外している隙に、マルティンはエイミーからインスタグラムのアカウントを聞き出していた。彼女は万里奈の相棒にするには、少々迂闊だ。

 投稿を追っていく。ふいに、パンを口に運ぶ手が止まった。

 

 ――見つけた。

 

 死体の男とエイミーのツーショット画像。顔を寄せ合い、いかにも親密そうだ。男は彼女の恋人だったのだろうか。彼女のフォロワーは少なく、どの投稿にも「いいね」はあまり押されていない。しかし二人の画像にはハートマークの横に「1」と灯っている。

 

 その数字に指を伸ばした。

 アカウント名は「rick_420」。

 リックは名前か。

 

 フォートゥエンティは、大麻の隠語だ。七〇年代にカリフォルニアの高校生が使いだした言葉、「放課後、四時二十分に集合」が語源らしい。悪ぶりたい男の背伸びを感じ、わずかに鼻を鳴らす。

 

 アカウントに飛ぶと、やはりそれは死体の男のものだった。

 スライドすると、男二人組の写真ばかりが流れていく。リックの隣には、両腕にタトゥーの刻まれた黒い短髪の男がいる。肩を組んでビールを飲む二人、座り込んでガラスパイプをふかす二人。

 ――なんだこいつら、ゲイか?

 

 そう思ったが、ハッシュタグにはなんとも臭い言葉が並んでいる。

 

 #dayones(一生もの)

 #neverfold(裏切らない)


 「……ふうん」

 

 若い男の、二人組――ね。

 脳裏に、森に潜む農園の光景がよぎった。

 

 残ったパンを口に詰め込むと、椅子の背にかけたジャケットを羽織り、足早に家をあとにした。



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