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16.レッドウッドのシリアルキラー

 マルティンの家は、ウィロークリークの町を横断する川のほとりに、ひっそりと佇んでいた。

 周囲には野ざらしのベリー畑が広がり、手入れされている様子はない。明るいパステル調の木造の家は、どこか男の雰囲気にはそぐわなかった。


「な、なんか、かわいい家ですね」

「元々叔父の家だったんだ。僕の趣味じゃない」


 田舎特有の、どこまでが敷地か分からないのっぱらに、万里奈達は適当に車を停めた。

 マルティンの後を追って、玄関ポーチに上がる。


「奥さんの浮気で一家離散。叔父はひとりで住んでたんだけど、病気で死んじゃって」

 

 ポケットの鍵を探る手つきは手慣れている。


「それで、安く譲ってもらったんだ」

「べ、ベリー畑、素敵ですね」

「勝手に成ってるだけだ。摘んでいいよ」


 そう言って、マルティンはドアの鍵を回した。

 

 家の中はうってかわって、彼らしさが顔をみせた。

 壁付けのシューラックには、泥の付いたブーツが無造作に置かれ、コートラックには、いつか見たカーキのジャケットがひとつだけ掛かっている。

 正面の階段に横づけされたロッカーには、メッシュ状の扉から、猟銃の陰影がうっすらと見て取れた。

 

 ――マルティンのテリトリーだ。

 

 花柄の傘立てだけが、この家の元の持ち主の気配をかろうじて残していた。

 リビングに続く廊下の途中に、うっすらと扉の開いたままの部屋があった。通りがけに自然と視線が引き寄せられる。


「そうだ、金」


 マルティンの声にはっと前を向く。


「要らないよって格好つけたいとこだけど、安いもんじゃないからね」

 

 リビングの扉を開けながら、彼が肩をすくめる。


「ごめん、うっかりしてた。勿論払うよ」

「食事のあとでいい。とりあえずコーヒーでいい?」

 

 万里奈とエイミーは頷き、促されるままダイニングテーブルに腰を降ろした。彼はコーヒーを置くと、「おしゃべりでもしてて」と言い残し、キッチンへ引っ込んだ。

 

 湯気の立つカップに手を伸ばしかけて止める。飲んでいいものか、わからない。

 エイミーは気にした様子もなく、もう口をつけていた。

 一口、二口。顔色は変わらない。少なくとも、すぐ効くものではなさそうだ。それでも疑心暗鬼に囚われている万里奈は、もう少し様子をみることにした。

 

 リビングは、がらんとしていた。

 

 革張りのソファが一脚。テレビにテーブル。中身の入ったままの段ボールが、いくつか床に転がっている。片付ける気がないのか、片付ける必要がないのか。いかにも無骨な男の部屋と言った感じだ。

 中央の柱に、シカの頭のはく製がかかっていた。それだけが、やけに存在感を放っている。


「彼とはどこで知り合ったの?」

「ここ。あの捜索に混ざってたの」

 

 リックが浮かんだのか、エイミーの肩がわずかに落ちる。ここではできない話ばかりだ。仕方なく、当たり障りのない大学の話題で、適当に場をつないだ。

 

 しばらくすると香ばしい匂いがただよってきた。肉と、スパイスの香りだ。油の弾ける音が耳にざらついた。疑念とは裏腹に腹の虫が鳴る。朝からなにも食べていない。

 エイミーも同じだったのか腹を押さえていた。死体を埋めたばかりの女二人の図太さに、互いに顔を見合わせて笑った。


***


 赤く芯の残るステーキ。付け合わせにマッシュポテトと塩ゆでのブロッコリー。スライスされたバケットが籠に盛られている。


「す、すごい、おいしそう」


 エイミーはきらきらと目を輝かせている。くやしいが否定できない。


「雌鹿だ。身がやわらかくて、癖もない。うまいよ」


 マルティンはわずかばかり自慢げに鼻を鳴らした。


 カチャカチャとナイフが皿を擦る音が響く。エイミーは頬を押さえて顔を緩ませ、マルティンは大きく切り分けた肉を豪快に頬張っている。誰かが肉を切る度に皿の上に薄い血の色が滲み、かすかな獣の香りが鼻を突いた。


 ナイフが角度によって照明の明かりを拾って鈍く光る。そのたびに、背中に差したナイフの存在が、意識の奥で震えた。


「万里奈、食べないのか」


 ナイフを握ったままの万里奈に、マルティンが声をかける。


「……食べるよ」

 

 食事にまで手を付けない訳にはいかない。ナイフを肉に当てた。


 張りのある肉がナイフを押し返すように弾く。力を込めると、つぷりと刃が沈み、切り口の奥に淡いピンク色が覗く。ナイフを揺すると中央の赤い芯が顔を出した。

 

 ――よぉ、Kポップクイーン。

 フォークを切り分けた肉に押し込む。カツン、と皿にあたる振動が腕に伝わる。

 ――この、くそ女、てめえ……!

 肉を口に運ぶ。舌の上でペッパーがぴりりと痺れ、奥歯で噛みしめると甘い血の味が口内に広がった。


 気づけば、マルティンが熱の灯った瞳でこちらをじっと見ていた。

 彼に視線を返し、唇の端を持ち上げる。


「うん、美味しい」


 彼が一度かすかに身を震わせ、視線を外すと大きな手で口を覆った。その手の下は笑っているようだった。

 

 食事を終えると、彼はエイミーにコーヒーのお代わりを注いだ。万里奈のカップが手つかずなのに気づくと、何も言わず、ただ口元を緩めた。

 時計を見る。二十時半を回ったところだ。そろそろ母に連絡を入れなくてはならない。


「エイミー、スマホ貸して」

「う、うん。どうしたの?」

 

 エイミーがポケットから取り出しながら訊ねる。


「お母さんに電話しなきゃなの。うち厳しくて」


 彼女からスマホを受け取ると、「廊下借りるね」と言ってリビングを出た。


 母の番号も無論覚えていなかったが、彼女のフェイスブックの紹介欄には仕事用の携帯番号が載っていた筈だ。ネットからフェイスブックを検索すると、やはり番号が載っていた。そこをタップして発信する。

 

 知らない番号だけど、出てくれるだろうか?

 

 電話はワンコールも鳴らないうちに繋がった。母はいつも応答が速い。


『もしもし』

「あ、お母さん? わたし」

『――万里奈? なによこの番号』

「携帯なくしちゃって、友達の借りてるの」

『ええ? どこでなくしたのよ。それに寮ならパソコンからでもかけられるでしょ』

 

 やはり母はごまかせない。


「いや、実はいま寮じゃなくって……」

『……どういうこと? どこにいるの?』

 

 リビングから、エイミーの笑い声が響く。距離を取りたくなり、廊下の奥へ進む。


「怒んないでね。今日、出先で車のトラブルがあって」

『なに、それ。大丈夫なの?』

 

 母の口調が強まる。

 ふと、半開きのドアが目に入る。咄嗟にその中に滑り込んだ。

 背中でドアを閉める。


『万里奈? いまどこ?』

「友達んち。それでね、山の中でバッテリーが上がっちゃって」

 

 部屋の中は暗く、家具の輪郭だけが浮かんでいる。


『山? 危ないところに行かないよういったわよね』

「うん、ごめんって。でもドライブしてただけだよ」

『……で?』


 母の追及は続く。

 明かりが欲しくて、デスクの上を暗がりで探る。

 デスクライトの明かりを点けた時、上においてあった段ボールを落としてしまった。中身が音を立てて散らばる。


『万里奈? なにしてるの?』

「なんでもない。それで、近くの友達が来てくれて、いまその子の家にいるの。ご飯ごちそうになってたら遅くなっちゃった」

 

 通話口から母のため息をついた。


『あなたも年頃だからうるさいこと言いたくないけどね。友達って、男の子でしょ』

「ち、がうよ。女友達」

『別にいいわよ。お父さんには黙っとく』

「だからちがうって」

 

 万里奈はむきになる。

 マルティンは男だがそういうのじゃない。もっと異質な、何かだ。


『とりあえずいいわ。ちゃんと寮には帰って、それからまた連絡しなさい』

「……遅くなるよ」

『いいわよ。待ってる。……私もお父さんも、あなたを縛りたいわけじゃなくて、危険に巻き込まれないかだけが心配なのよ。わかってね』

 

 母の声がやわらぐ。今日、まさに危険に巻き込まれた。罪悪感が胸を突く。


「うん、わかってる。……ごめんね。また、あとで」

 

 通話が切れる。

 母も父も大好きだ。その二人を、悲しませることばかりする自分に嫌気が刺す。

 

 すべては、あの日から始まった。


 深く息を吸う。

 落とした荷物を片付けるため、カーペット敷きの床に膝をついた。部屋はデスクライトの淡い光に照らされている。書棚には本が並び、デスクにはパソコンがおいてある。


 ――仕事部屋だろうか?


 段ボールの中身は床に散らばっていた。

 大小さまざまな大きさのジップ付きのビニール袋。

 

 中になにか入っている。

 

 小さな袋を手に取る。中身は指輪だった。表面は錆びて青く変色している。

 次にすこし大き目の袋。靴だ。小さな子供用の靴。こびりついた泥が固まって、ひび割れている。

 

 心臓が嫌な音を立て始めた。

 

 震える指で中くらいの袋を手にとった。スマホと、ショルダーの紐。画面は粉々に砕けている。紐は赤とピンクの糸で縄状に編まれている。

 

 呼吸が浅くなる。

 

 ジップ袋の封を開けた。ショルダーの紐にはキューブ状の大きなビーズが二つ通されている。

 一つ目のビーズを回す。

 「J」の刻印。


 頭の奥が砕けるように痛む。

 

 二つ目のビーズ。

 指先が、ビーズを回すよりも先に、その文字の形を読み取った。

 「L」。


 J・L。そのイニシャルが示すものは。


 ――馬鹿な。

 震える手でビニールにスマホを戻すと、無意識にジャケットのポケットに押し込んだ。


 ここにいてはいけない。早く、逃げないと。

 散らばったビニール袋を段ボールに戻していく。


 ふいに、その中の一つに目が吸い込まれる。ぶ厚く、大きな本。

 袋を開く。ページを捲る手が、大きくわななく。 

 虫や動物たちに、子供の落書きがされている。どれもマジックでまつ毛が書かれている。

 幼い頃の恩師の、かわいい悪戯。


 ――まぁ、確かに変な奴だったな。同じページをじっと見てたよ。

 サイラスの声が、遠く響く。


 ――レッドウッドの森にはシリアルキラーが潜んでいる。

 ネット記事の一文が、脳裏によぎる。


 胎の奥からなにかがこみ上げてきた。口中に甘苦い血の味が走り、無理やり飲み下す。

 散らばったビニールを箱に掻きこむように戻すと、デスクの上に置いた。

 デスクライトのスイッチに手を伸ばす。

 

 その手が、ふいに止まる。

 デスクの上には、メモ帳とペン。

 

 気づけば、紙の上にペンを走らせていた。これは、彼への警告。

 ポケットに入れたスマホに手を触れる。これは、彼を貶める切り札。

 背中に差し込んだナイフを撫でる。これは、自分を守るもの。

 

 儀式のように一つずつ確かめていくと、ばらばらになった頭の中がひとつの纏まりになり、これから進むべき道を作り出した。

 デスクライトのスイッチを押す。部屋に暗闇が訪れると、心音も暗く沈み込んだ。ゆっくりと脈動する心臓の音が、あの日の自分と重なる。

 

 彼は化け物かもしれない。

 でも、こちらも同じ地平に立っている。

 大丈夫、怖くない。

 もう一度、深く息を吸うと、部屋をあとにした。


***


 彼らはリビングのソファに移動し、隣り合って座り談笑をしていた。


「エイミー。帰るよ」


 つかつかとエイミーに近寄ると、彼女の肘を強くつかみ、無理やり立ち上がらせる。もう片方の手は、背中の柄を握っている。


「え、え? どうしたのいきなり」

「……万里奈?」

「マルティン、ご馳走様」


 用意しておいた札を数枚、彼に投げつける。エイミーを引きずるようにして、出口へ向かう。二人とも、呆気に取られたように口を開けている。


「万里奈、どうしたんだ一体――」

「近寄らないで!」


 ナイフを抜き、彼に向ける。エイミーの短い悲鳴が部屋に響く。


「マ、マリナ⁉ や、やだ、なに?」


 マルティンは手を上げ、わずかに目を見開く。

 そして少しの間を開けて、くつりと喉を鳴らした。


「……君って、ほんと」


 彼の口からは堪えきれないように笑いが漏れる。腹を揺らし、身を折る。


「――いいよ、茉利奈。また会おう」


 目元が赤く染まり、その瞳が滲んでいた。


「わたしは二度と会いたくない」

 

 ナイフを向けたまま、じりじりと後退する。

 廊下のドアに背を当てたとき、思い出したように言う。


「そうだ、マルティン。わたしあなたにラブレター書いたの」


 彼の唇が、ゆっくりと吊り上げる。


「へえ。どこにある?」

「あなたの仕事部屋。あとで読んで」

 

 そう言って、十分に距離をとったところで、玄関に走り出した。


「マリナ?どうしちゃったの?」

「話はあと。とにかく走って」


 転がるように外に出て、車へ走る。

 座席に滑り込み、エイミーを急かして車を発進させた。


 振り返ると、彼はポーチの柱に寄りかかり、腕を組んでただこちら見ていた。

 ベリー畑の落果した赤い実が地面に転がる。

 それは彼へ点々と続いていく、血の跡のように見えた。




第一章おわりまで読み進めて頂いてありがとうございます。二章からマルティン視点となります。

・うすぐらい空気が好き!

・恋愛要素どこよ!じれったい!でもなんか気になる!

・とりあえずがんばれ!

と思っていただけたら、ポチポチ頂ければ幸いです。

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