14.処理③ マルティンとの通話
「きゃっ」
前を引いていたエイミーが沈み込む。
荷台が傾き、ずり落ちかけたリックの体を、咄嗟に支えた。
「大丈夫?」
「う、うん、びっくりした」
尻もちをついたエイミーが、土を払って立ち上がる。
「浮石に気を付けて。安定してそうに見えても、見た目より崩れやすいから」
以前にマルティンに言われた言葉をそのまま口にする。彼いわく、「ここで転ぶと骨より先に運が折れる」だ、そうだ。
いまこの場において、運が折れることだけは避けなければならない。死体遺棄なんて、運がなければ長年隠し通せるものじゃない。
風が出てきた。
ざわざわと葉の擦れ合う音が、閉じた森の中に沈んでいく。夕方の時間帯でも、この土地では日の入りはまだ遠く、頭上を覆う木々の隙間からは太陽が覗いている。その光は弱く、どこか冷たかった。
途中で何度か前を引く役を交代しながら、森の奥へ進んでいく。
林道から近すぎてもいけない。だが、深入りしすぎれば遭難や獣の危険がある。どこで切り上げるべきか判断がつかなかった。
窪地があれば、そこにする。
そう決めた矢先だった。
前方に、半円状に地面が落ち込んだ場所が見えた。ぽっかりと口を開けたような窪地。周囲に木はなく、根にも邪魔されない。掘るには都合がいい。
「エイミー」
振り返って声をかける。エイミーも同じ判断だったのか、硬い表情で頷いた。
さく、さく――
湿った森の土はやわらかく、解けるようにスコップが入る。黒い土が軽く盛り上がり、背後に積もっていく。二人とも口を開かず、ただ無心で掘り続けた。
深くなるにつれて、側面の土が崩れ始める。ある程度掘ったところで、足やスコップの背で押し固める。それを何度か繰り返した。
やがて穴は、万里奈の腰ほどの深さになった。
時計を見る。十八時半。――もう潮時だ。
側面を崩さないようエイミーを先に上がらせる。腰を支え、地上に引き上げると、今度は手を取ってもらい、自分も這い上がった。
上から覗くと、穴は棺桶のように暗く口を開けていた。
その脇に、リックの体を横たえる。
エイミーがリックの手を胸の前に組ませている。穴に落とせば意味はないと思ったが、好きにさせた。
「リック……ごめんね」
か細い声が落ちる。リックの頬に雫がぽたぽたと落ちた。
「どうしてあやまるの? 殺したのは私だよ」
「だ、だって……私が手伝うって言わなければ、リック、諦めてたかもしれないから」
「もし」の話か。万里奈も何度も考えた言葉だった。
けれど、人の口から聞くと、それはただの夢みたいに思えた。時間は巻き戻らない。
「エイミー」
赤と白のレンズを嵌めた瞳が、輪郭を滲ませてこちらを見る。
エイミーはリックの頬に触れ、もう一度だけ何かを呟くと、ゆっくり立ち上がった。
二人でまた声を合わせ、リックの体を転がす。穴の底で、鈍い音が響いた。
体はうつ伏せになって穴に収まっている。顔がこちらに向いていないことに、わずかに息を吐く。
スコップで土をかけていく。黒い土が少しずつ体を覆っていく。
ふいに、エイミーの動きが止まった。
スコップに土を乗せたまま、顔が青ざめていた。
その視線を追う。
――目が合った。
ぎょろりとした目玉が、こちらを見ている。
ポリフェモス・モス。
あの、蛾だ。
くっきりとした目玉模様を光らせ、リックの頭に翅を広げて止まっていた。
万里奈は喉の奥を詰まらせた。
土を掬い、その目玉に向かって放る。蛾は重たそうに翅をばたつかせ、太い腹をよじり、のたうち回っている。
もう一度土をかけると姿が見えなくなった。黒い土が、わずかに蠢いている。
そこへすかさず、エイミーが土を重ねた。
彼女をみると目が合った。一瞬だけ互いに頬が緩む。
そこには奇妙な信頼があった。
リックを埋め終わり、万里奈達は来た道を戻った。
荷車は軽い。まるで何かを置いてきたみたいだった。それが一時的なものだと分かっていても、その軽さに身を任せていたかった。
エイミーも同じらしい。足取りがわずかに弾んでいる。
「そっか。じゃ、じゃあマリナは、大学卒後したら、こっちに移住したいんだ」
「うまくいけばね。でも、やるつもり」
「マ、マリナならいけるよ。か、彼氏だってぞっこんって感じだし」
「彼のことは心配してないけど、親がね」
「なんか、か、かっこいいな。目的の為に男を利用するなんて」
「うそ。引かれると思ってた」
「だって、私なんてぜったい利用される側だもん」
達成感からの高揚なのか、万里奈もエイミーもよく喋った。
誰にも話していなかった秘密をひとつ打ち明けて、口が軽くなっているのが自分でもわかった。
やがて林道に戻り、道具を車に積み込むあいだも、会話は途切れなかった。
「それほんと?チクったのってジョアンナだったの?」
「そうだよ。寮監に言ってるとこ見ちゃった」
「あいつほんとヤダ。ごめんねマリナ、勘違いでとんでもないことしそうになって」
「もう今更。いいっこなし」
エイミーの吃音はいつの間にか消えていた。
しかし、車のエンジンをかける時、問題が起こった。
「あれ?」
キーを回したまま、エイミーが小さく声を漏らす。
「…どうしたの?」
返事はない。ガチ、ガチ、と乾いた音だけが車内に響く。
「……エンジン、かからない」
もう一度キーを回す。メーターの灯りが一瞬だけ点いて、すぐに消えた。
嫌な汗が背中を伝う。
「バ、バッテリー……上がってるかも」
「うそでしょ?」
「ちょ、ちょっとボンネット見てくる」
エイミーが車を出ていくので、それに続いた。
ボンネットを開けると熱の抜けた空気がふっと逃げた。エンジンルームの奥に、埃をかぶった黒い箱が沈んでいる。
バッテリーだ。
赤い端子のキャップはくすみ、金具の隙間に白い粉がこびりついていた。
「……これって、どうなの?」
免許を持っていないから車の知識に乏しい。エイミーをすがるようにみる。
「ううん……私もなんとも。でも、すごく古そう」
ロードサービスは呼べない。偽造ナンバーの盗難車なんか言うまでもなく一発退場だ。
万里奈は頭を抱えた。
この車はどうせ捨てるつもりだった。だが、ここに置いてはいけない。死体を埋めた林道の近くに盗難車を残すなんて、目印を置くようなものだ。バッテリーを買いにいくのも現実的じゃない。麓の町まで歩いて向かうにはあまりに距離がある。
サイラスを呼ぼうか――と、一瞬よぎった。
ウェアを一式揃えたおかげで、大学の友達とハイキングに来たと見えなくもない。そこまで考えて、頭を振った。
駄目だ。万里奈のスマホは壊されている。彼の携帯番号は覚えていない。
そこで、思考が止まる。
一人だけ――覚えている番号がある。しかも、すぐ近くにいる。
「……ねえ、ちょっと携帯かして」
エイミーが戸惑いながらスマホを差し出す。
「ど、どうするの?」
「知り合いが近くにいるの。バッテリー持ってきて修理してもらえるかも」
言いながら、胸が騒めく。本当に彼を呼んでいいのだろうか。
でも、他に手はない。
彼の番号は、電話帳に登録しなかった。だからこそ、断片的に届くショートメッセージで、画面に幾度も表示されたその数字の並びを覚えてしまった。
数字をタップしていく。発信ボタンの上で一瞬指が止まったが、それでも押した。
呼び出し音が流れ出す。
一コール、二コール、三コール――
彼は出ない。ほっとしたのか、焦れているのか、自分でもよく分からない。
次の瞬間。
『……はい』
低い声が、耳を撫でる。
「……マルティン」
『――万里奈?』
声で分かったらしい。通話口の向こうで何かがぶつかり、割れた音がした。
『っ…、――万里奈、どうした』
「そ、そっちこそ大丈夫?」
『別に。ちょっと机に打っただけ』
その割には激しい音がした。皿でも落としたか。
マルティンの珍しく焦ったような声に、こちらは逆に落ち着きを取り戻す。
『この番号は? 君から連絡してくるなんて珍しいな』
「友達の携帯なの。スマホ壊れちゃって」
言葉が無意識に早くなる。
「ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど」
『何?』
「いまシックスリヴァーの山の中で……バッテリーが上がっちゃって」
勝手に口が開く。
「友達が親の車を勝手に借りてきてて、ロードサービスは呼びたくないって。それで――あなたなら、って思って」
言い終えた瞬間に後悔した。あまりに白々しい言い訳だ。
沈黙が落ち彼が笑った気配がした。
『……いいよ、すぐ行く』
万里奈は途端に心細くなり、意図せずエイミーをみた。彼女は恐々と成り行きを見守っている。
『バッテリーの型番、写真送って。車の車種と、年式は?』
通話口を抑え、エイミーに訊く。
「車種と年式、わかる?」
「フォードのフュージョンだと思う。年式までは……」
彼女はかぶりを振る。
「マルティン。車種はフォードのフュージョン。年式はわからない。バッテリーは……ちょっと待って」
バッテリーは黒い油膜でべっとりと汚れていた。上面を指でこすってみると、油膜の下から数字が浮かび上がった。
「型番、わかりそう。写真撮って送る」
そう言って、林道の登り口の名前も伝えた。
『オーケー。一時間くらいかな、待ってて』
「マルティン、その、ありがとう」
また、間が空いた。
『……いいんだ。早く、君に会いたい』
言葉は甘いのに、それは万里奈を追い詰めるような響きだった。
通話が切れる。
「……来てくれるって」
「よかったあ。どうなることかと思ったよ」
エイミーの顔が喜色に溢れた。その無邪気さが、ひどく遠く感じられた。
バッテリーの型番を写真に収めマルティンへ送ると、スマホをエイミーに返した。
時刻は十九時を回った。
寮に戻ればパソコンがある。そこから母に連絡しようと思っていたが、どのみちビデオ通話の時間には間に合わない。
万里奈は、母への言い訳をすでに考え始めていた。




