550.宿屋
本邸前の広場に出来た宿屋。
宿泊は勿論の事、食堂だけでなく土産物屋も兼ねている。
首都ミーティアからの観光客、そして天界からの観光客が利用するのが主な用途。
とは言え首都ミーティアから来る観光客は日帰りで家に帰ってしまう。
実際に宿泊するのは遠方からわざわざ来たような旅人やムーンリト教の信徒、それか他国の貴族くらいだった。
天界からの観光客は食事を楽しみ、お土産を物色するくらいで実際に泊まることはない。
その辺りは天界側にてある程度の取り決めがあるようで、これまでに宿泊となった観光客はいない。
天界からの観光客はあくまで泊まる部屋を目を輝かせながら見学するだけだ。
天界からの観光客の買い物にはウーラガンが特別に用意した紙幣が用いられ、定期的にニコと天界関係者とで、集まった紙幣と交換する天界側の物品を物色している。
そんな訳で観光客が来ない日は宿屋に来る客など居らず、そこに住み込みで働く者は自由にしても良かった。
「お昼ご飯食べに来たんだけど、やってるー?」
宿屋の扉を開けてイツキが開口一番奥の方へ向かって声を上げた。
教国政府からの報告会が終わったイツキとララミーティアはそれ以上特に用事がない。
折角立派な複合施設があるのに用途が限定されているのは勿体ないと考えたイツキ。
こうして暇が出来るとフラッと宿屋に行くようになっていた。
「やってるよー、今ゲートとか牧場に出掛けてるけどお客様が泊まってるからねー。」
奥から出てきたのはララミューズ薬局のマークが刺繍された茶色いエプロンをした蜂魔人の女だった。
「サブリナも退屈しないわけね、どう?儲かってる?」
ララミーティアの言葉に蜂魔人のサブリナは肩を竦めた。
サブリナは養蜂場を営んでいるルーシーの五番目の娘だ。
ルーシーの娘達の中でも最も蜂魔人の色が濃く出ており、ルーシーよりも立派な腹部に首元のフワフワした毛、そしてルーシーでもできない羽による飛行が可能だった。
天界と交流が始まって宿屋が完成した当初、この世界の人っぽい人というだいぶ漠然とした天界側のリクエストを受けたニコが真っ先にスカウトしてきた亜人がサブリナだった。
サブリナもニコの口から語られる存外楽しそうな仕事に興味津々。
即決で宿屋に住み込みという形で働き始めていた。
「天界の人達は訳わかんない紙っぺらでやりとりするから儲かってるのか儲かってないのかサッパリ。こっちの世界の人達はまあまあお金を落としてくれるけど、そもそも来る頻度が少ないから儲かってはなさそうだね。」
そう言って適当なテーブルに座ったイツキとララミーティアに木のコップに入った水を置いた。
「ありがと。まぁ天界からのお客さんがメインだからね。ニコからすればこの宿屋がどの店より一番お金を生み出す訳だ。」
イツキはそう言いながらテーブルに置かれた木の板をララミーティアと眺める。
「ふふ、天界側の意向でこの世界っぽくしている割にはメニューにカツ丼とか天丼があるのは笑えるわね。」
ララミーティアはクスクス笑いながらそう言った。
天界の観光客からすればこの広場の集落の雰囲気やそこに住まう亜人達を見るだけで十二分にファンタジー世界っぽさを満喫している。
天界の歴史から考えれば、この世界の文明レベルだった頃の天界は途方もない程昔の話。
正直この宿屋で出てくる料理にまでリアリティを求める程の歴史マニアのような観光客は居らず、イツキの知識や食材をフル活用して提供した方が圧倒的に評判が良かった。
この大陸の観光客もお目当てはゲートから行く浮遊城。
景色が一番のお目当てであり、宿屋で提供される料理はどんなものであれ美味しいほうが良いに決まっている。
そこに「この世界らしくない」などという拘りは皆無。
「天界から観光客が来る日は劇団スーゼランズの役者の卵達が来るようになったんだよー?適当な装備を身にまとった冒険者っぽい人とか、吟遊詩人とか、踊り子とか、ドワーフの人とシティエルフの人とかさ、なんか大袈裟な感じの酒場になるの!」
「へえ!なんか面白そう!」
イツキはそう言って楽しそうな顔をしてララミーティアに視線を送る。
ララミーティアもイツキ同様、その手の酒場に行ったことがない口なので、ワクワクした様子で目を輝かせている。
「ドワーフの人は酒だけ飲んで、シティエルフの人は野菜ばっか食べるの。なんかそーゆーのが良いんだってさ。面白いから今度見においでよ!」
そう言ってサブリナはニッコリと微笑んだ。
イツキとララミーティアはそれぞれ天丼を注文し、料理が出てくるまでの間、天界の観光客が来たときのこの宿屋の様相について想像を膨らませていた。
「私も酒場なんて行ったこと無いから見てみたいわ!」
「だなぁ!俺もそういうの経験した事ないし、次の時に来てみようよ!」
「そうしましょう!ふふ、楽しみね。」
二人は期待に胸を膨らませながら宿屋の中を見回す。
首都ミーティアからも天界からも客が来ない時は殆ど誰も居ない。
今日も数少ない宿泊客が出掛けているせいかイツキ達以外には誰もいなかった。
やがてサブリナともう一人、人族が色濃いミノタウロス族の男が厨房の方から出てきた。
「お待たせしました。どうぞ。」
「今日の具は芋とキノコだよー。」
そういってイツキ達の前に並べられる天丼。
水田にて米を栽培していたスーゼランドから稲作が伝来し、教国内でも普通に流通するようになっていた米。
イツキも結局食材や調味料を定期的に渡してはいたが、米は今のところ教国産のものだ。
「ありがとう、美味しそう!アーサーもすっかり料理人が板についてきたわね。」
「いやー本当だよ!見事な天丼だなぁ!」
ララミーティアとイツキはアーサーと呼ばれたミノタウロス族の男にそう言った。
アーサーは照れくさそうにポリポリと頭をかく。
「はじめは料理なんて作ったことなかったっすけどね。イメージ通りだから是非なんてニコさんに頼まれて…」
「あはは、料理の才能はあったみたいだけど、ぶっきらぼうでムッツリした料理人って要望がなかなか出来なくてねーこの人!」
サブリナはケラケラ笑いながらアーサーの背中をバシンと叩く。
「そんな事言われても、天界からわざわざ来てくれた人たちになんでわざわざ無愛想な真似をしなきゃなんないんだろうって…そこだけは苦手なんだよなぁ。」
苦笑しながら頭の立派な角を撫でるアーサー。
またまた天界から、料理人は「屈強な亜人の男」「無愛想でぶっきらぼう」という、またまたなんの影響を受けたのかよくわからないようなリクエストをニコは受けていた。
律儀なニコは首都ミーティアで普通に農業に従事していたアーサーを発見。
土下座する勢いでアーサーをスカウトして引っ張ってきて、料理初心者のアーサーに料理人の先生をつけ、短期間で一人前の料理人まで育て上げていた。
なおニコはそこまでリクエストされていなかったが、宿屋や酒場運営どころか演技すら素人同士のサブリナとアーサーに「天界からの観光客の前ではサバサバした威勢の良い奥さんと無口な夫という形の仲睦まじい夫婦を演じてくれ」「さりげなく奥さんから夫の身体に触れる、腕や胸板が望ましい」「照れ隠しのようにカラカラ笑いながら夫の背中をバシバシ叩いて夫を褒める」などと過剰な演出を次々に要求。
初対面なのに急に仲睦まじい夫婦を演じてくれと頼まれた二人は困惑。
手探りで始めた偽夫婦が営む宿屋だったが、この過剰な演出がまたウーラガンやアラスなど天界の運営側から好評を博してしまった。
天界からの観光客の反応も良く、ニコや天界からやたら褒められるうちにサブリナもアーサーもすっかり乗り気に。
そしてそのまま共同生活を送っているうちに意気投合。
そのまま結婚するというなんとも奇妙な出会いを果たしていた。
「元々ぶっきらぼうでも無愛想でもないのに、ニコの要求もなかなかだね。いただきまーす…んんっ!!」
「いただきます。本当に美味しいわ!」
天丼を食べ始めたイツキとララミーティアは満面の笑みを浮かべる。
「どうっすか?揚げ具合なんて本場の天丼を限り無く再現できていると思うんすけど…」
「いやーこれ凄いよ!俺でさえビックリする完成度!」
イツキはそう言って箸で芋天を掴む。
ララミーティアもうんうんと感心したまま口を開く。
「天ぷらもべっちゃりしてなくて美味しいし、教国産のお米も本当に美味しいわ。イツキに召喚してもらうお米と遜色ないわね。」
「うんうん、俺の故郷で栽培されてた品種と似てるからね。後は多分「豊穣の大地」のお陰かな?すげー美味いよこれ。」
満面の笑みで舌鼓を打つイツキとララミーティアの姿を見て、サブリナはアーサーに寄り添い、アーサーも嬉しそうにはにかむ。
その時、宿屋の扉が開いた。
「飯食いに来たよー!ってイツキとティアかい!」
そう言いながらやってきたのはカズベルクに常駐しているサーラの娘のローサだった。
ローサはズカズカと中に入ってきてイツキ達のそばに腰を下ろした。
「おーお疲れ様ー、ヒヒイロカネ?」
「ああ、そうなんだよ。補充してきてさ、ここで魔力込めてもらってカズベルクに帰るとこさ。」
そう言いながらローサはサブリナとアーサーの方を見ながら口を開く。
「あたしは山盛りフライドポテトと何かステーキで頼むよ!」
「はいよー、じゃあよろしくね?アーサー?」
サブリナはそう言って背中の羽でふわりと軽やかに浮くと、アーサーの頬に熱烈な口付けを送った。
「了解っすー。へへ、麗しのサブリナから口づけも貰った事だし、いつもより美味いヤツ作ってきますんで!」
アーサーは機嫌良さそうにそう言うと、ウキウキした様子で厨房へと引っ込んでいった。
「ローサもここでご飯を食べていたのね?」
ララミーティアがローサにそう尋ねると、ローサはちらっとサブリナに視線を送ってニコッと微笑んでから頷いた。
「カズベルクから出掛ける時の中継地点だからねえ。今の所さ、ここ程美味い飯が出てくる店をあたしは知らないよ!」
「あらー嬉しい!天界から来る人達向けだからね、確かに他と違って珍しい料理が多いかもね!」
サブリナは嬉しそうに微笑みながらローサの座る席の側へと向かう。
アイテムボックスから水が入った木のコップを取り出したサブリナはローサの目の前にコップを置いた。
「ここの集落にもカズベルクからドワーフが行って鍛冶屋を構えるからさ、益々行き来が増えるかもだよ。」
ローサは水をグイッと飲む。
「本当に賑やかになるなぁ。珍しい料理にさ、そのうち珍しい武器だとかも売り出したりなんかして。」
「ふふ、そうなったら首都ミーティアからの観光客が殺到してしまいそうね。」
イツキとララミーティアはそう言って未来に思いを馳せつつ天丼を再び食べ始めた。





