お母さん
その女性を一目見た瞬間、吸い込まれるような吸引力を感じた。全てを見透かされるようで、なのにそれが一切不快に感じなくて……言うなれば、子供を見つめる母親のような、そんな温かい感覚。そういうものを強く強く感じて……不意に僕は、母さんのことを思い出した。
僕は17歳で死んだ。と言っても記憶も体も全て引きついでここに転生しちゃったから、その実感はあんまりない。でも日本では、僕は間違いなく死んでいるんだ。存在感の薄かった僕だから、学校の友達とかは「あー、死んじゃったんだ」くらいのリアクションしかしてないと思うし、それは仕方ないとも思える。でも両親はどうだろう? 僕が無事に育っているんだから、父さんや母さんが僕を認識できなかったってことは無い。「目を離すとすぐいなくなる」なんて笑って言われたことはあったけど、だからこそ母さんは小さい僕を良く抱いていてくれたし、何処かに行くときはいつも手を繋いでくれていた。そこには間違いなく親子の情があり、愛があった。
なのに、僕は死んでしまった。まだ17歳。自分でお金を稼ぐことすらできず、何の親孝行も出来ないうちに死んでしまった。その慚愧の念が強く強く心に現れて、僕の目からは知らず涙がこぼれていた。
ふわりと、僕を包む温かい感触があった。温かくて優しくて、ふわふわでいい匂いがして……それがどうしようもなく懐かしくて愛おしい。
「ごめんなさい。ごめんなさい……先に死んじゃってごめんなさい。何も返せなくてごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
今ここでこうして生きているだけで奇跡なのだ。それ以上を望む事なんてできるはずがない。だから僕はただひたすら謝った。謝ることしかできなかった。泣いて、謝って、泣きながら謝って……やっと落ち着いたところで、不意に頭の上から声が聞こえた。
「もう大丈夫ですかー?」
涙が止まれば冷静になる。冷静になれば状況が見える。今の僕の状況は……初対面の女性の胸に抱きしめられ、意味不明なことを口走りながら泣き続ける変質者だ。
「ふわっ!?」
「きゃっ!?」
慌てて胸から飛び退けば、青い瞳をまん丸にした女性の顔が正面に来る。当たり前だが、母さんには一切似ていない。両親ともに純粋な日本人だから黒目黒髪だし、そもそも母さんは僕が死んだ時には40代だった。目の前の女性はどう見ても20代だし、顔だって洋風の顔立ちで似ている所なんてこれっぽっちも無い。なのに何であんなに心を刺激されたのか……いや、今の問題はそこじゃない。
「あ、あの! 本当にごめんなさい! 初対面の方に、こんな、その……」
「気にしなくて大丈夫ですよー。良くあることですから」
「良くあること……なんですか?」
「はいー。何せ私は、みんなの『お母さん』ですから」
そう言ってニコニコ笑う女性からは、溢れんばかりの母性を感じる。確かにこれは「お母さん」だ。世界母親選手権とかがあるなら、実の母を除けばぶっちぎりで一位が取れるだろう。
「それで、えーっと、どちら様ですか?」
「あっ!? はい、失礼しました。私は冒険者のトールと言って、ここに住んでいるリタさんのところに野菜を届ける契約になっているんですけど、それで、こちらに大家さんが住んでいらっしゃるということだったので、そちらにもご挨拶をと思いまして……あ、これうちの畑で今朝採った野菜なんで、良かったらどうぞ」
「それはそれは、ご丁寧にどうも。わーっ、凄く美味しそうなお野菜ですねぇ。みんな命がキラキラしてます」
僕が差し出した野菜を手に、女性が本当に嬉しそうに笑う。こういう笑顔を見ると、本当に野菜を育てて良かったと心から思える。さっきまでの涙は何処へやら、今の僕はかつて無いほどにニッコニコだ。
「あ、申し遅れました。私はこの建物の所有者で、フラウと言います。気軽にフラウさんって呼んでくださいね。それとも『お母さん』が良いですか-?」
「勘弁してください……じゃあフラウさんで」
「ふふふっ。わかりましたトールさん」
楽しそうに笑うフラウさんに、僕はひたすら恥ずかしさを我慢する。うぅ、本当に何でいきなりあんなことしちゃったんだろうか……
「あ、そうだトールさん! 私これから朝ご飯なんですけど、トールさんもご一緒にいかがですか?」
「えっ!? いや、流石にこれ以上ご迷惑をおかけする訳には……」
「迷惑なんて、そんなことないですよー? ご飯は1人で食べるより2人で食べた方が美味しいですから。遠慮せずにどうぞどうぞー」
そう言って手招きすると、扉も閉めずにフラウさんが部屋の中に入ってしまった。流石にこの流れだと、そっと扉を閉めて帰るというのは無粋すぎる。それにまあ、あれだけ恥を掻いたあとなら今更という気持ちもあるし、何よりフラウさんとも交流を深めるチャンスだ。にじみ出る良い人オーラといい、ここの大家さんという立場といい、ご近所づきあいを深めたいと願うならこの人を外すのはあり得ない。
「それでは、失礼します……」
後ろ手に扉を閉めて部屋に入れば、中の作りはリタさんの部屋と一緒だった。ならばと僕は奥の部屋に進み、やっぱり2脚あった椅子の手前側の方に腰掛ける。
「すぐに準備しますから、それまでこれでも摘まんで待っていてくださいねー」
そう言ってフラウさんが調理場へと消えていくのまでリタさんの時と同じ流れだけど、違う事が1つだけ。僕の目の前に置かれた小皿には、何だか凄く見覚えのあるものが山盛りにされている。
「…………マジか?」
一口食べて、それは確信に変わる。ギザギザカットされた厚切りスライスのジャガイモ。しかも味はパンチの効いたコンソメ味だ。幾度となく食べたことのある、有名メーカーのあのポテチである。
何故ポテチ? 何故ここに? 日本の物を調達する固有技能みたいなのを持ってる人がいる? それともまさかニャポーンとやらで作ってるのか?
考えても答えは出ない。が、久しぶりのジャンクな味わいに僕の手も止まらない。
「あのー? そんなに食べたらお腹いっぱいになっちゃいませんかー?」
ニュッと顔を出したフラウさんの指摘に、僕の手がぴたりと止まる。さっきはお茶を2杯飲んでるし、ポテチもそこそこお腹に溜まる。確かにこれ以上食べたらせっかく用意してくれている朝食が食べられなくなる可能性もある。あるが……それでも僕の手はポテチと膝を行ったり来たりしている。何せもう二度と食べられないと思っていたものが目の前にあるのだから、なかなかに諦めきれない。
「ふふっ。そんなに気に入ったなら、今日の朝ご飯はそういうのにしちゃいましょうか? じゃがいもだからご飯の代わりでも大丈夫ですよね?」
「いや、それは駄目な考え方だと思うけど……」
「ぷーっ。美味しければ大丈夫なんです! じゃがいもは野菜だから、サラダと同じでヘルシーなんですよ?」
「流石にそれは無茶じゃ……」
「いいんですー! 今は妹たちもいないし、私はフリーダムを満喫するのです! 3食お菓子だって食べ放題なんですー!」
「もう自分でお菓子って言っちゃってるじゃないですか……ほら、僕も一緒に作りますからちゃんとした食事を取りましょう」
「むぅー」
椅子から立ち上がり、子供のように頬を膨らませるフラウさんをなだめながら僕は内心ため息をついた。
女神のような人だけど、最近流行のポンコツ系女神様かぁ……





