楽園の夢
今回はフルール視点です。ご注意下さい。
「ふぅ…………」
トール様と別れ、私は一人ファッションショーの控え室にいる。スラリンピックの最中に私が滞在する部屋として特別に手を加えて作られているだけあって、ここでは外の喧噪も気になるほどには響いてこず、部屋の中は静謐な空気に満ちている。いつも一緒だったお世話係のエマはいない。ポーツマスと一緒に、今は席をはずして貰っている。最初は私の顔色を見て渋っていたけれど、どうしてもと言って押し切った。今はとにかく一人になりたかったから。
膝の上で、プルンとスライムが揺れた。そう、正確には一人ではない。私の膝の上には、トール様が贈ってくれたくーちゃんがいる。その背を優しく撫でてあげると、彼女はそのままプルプルと優しく体を揺らしてくれた。言葉は無い。ただ沈黙を守り、寄り添ってくれている。その気遣いが、今の私にはとても嬉しい。
「お嬢様。ミャルレント様が訪ねて参りました」
不意に扉がノックされ、その向こうからポーツマスの声が聞こえる。そう言えばファッションショーの後に訪ねてきてくれと話をしたのを思い出す。でも今は……いえ、むしろ今だからこそ話をしておくべきかも知れない。私はポーツマスに声を返し、程なくしてミャルレントさんが部屋へと入ってきた。
「あの、ほ、本日はお招きいただきまして……」
「ふふっ。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ? よっぽどのことが無ければ無礼打ちなんてありませんから」
「ぶ、無礼打ち!? それは、その……気をつけますニャ」
見るからに緊張している彼女の態度をほぐそうと軽い冗談を言ったら、彼女の緊張がますます強まった気がする。これは失敗だったかしら……でも大丈夫。女の子なら美味しいお菓子と恋の話があれば、どんな相手だって打ち解けられると物の本には書いてあった。まずはそれを実践してみましょう。
扉の外のポーツマスに声をかけ、お菓子と飲み物を用意して貰う。それを彼女にも勧めて、まずは軽い雑談から。今日は世界で始めてのスライムのお祭りで、私たちは二人ともスライムを友にしている。ならば話題に事欠くことは無い。毛むくじゃらだったファーガストの活躍を笑ったり、くーちゃんの踊りを褒められたりしていれば、あっという間に私たちは打ち解けた。使用人ではない、初めての人類のお友達。だから私は切り込んでみることにした。
「ふふっ、そうね……ところでミャルレントさん。話は変わるんだけど……」
「はい、何ですか?」
「ミャルレントさんって、トール様のこと好きなんですか?」
「ニャッ!?」
可愛い悲鳴をあげて、彼女の動きが止まる。あまりにわかりやすいその態度に、私は思わず笑ってしまった。
「ふふふ。ほら、どうなんです? 好きなんですか? まあ聞くまでも無さそうですが」
「それは、その……ちょっと気になるというか、そんな感じで……ハイ」
僅かに顔を下に向けてはいても、後ろで尻尾がユラユラ揺れていれば一目瞭然だ。だから、私は更に踏み込む。
「私も好きなんです。トール様のこと」
「そうなんですか? 確かにトールさん、見た目はアレですけど中身は凄く優しい感じですものね。口調はあんなですけど腰は低いですし、子供にも意外と好かれてたりして……」
「ええ、素敵な殿方だと思います。だから好きなんです。異性として」
「それは……」
勘違いしようのない明確な言葉に、彼女の動きが再び止まる。さっきまで揺れていた尻尾がピンと伸び、その瞳には困惑の色が見て取れる。
「うふふっ……冗談です」
「冗談、ですか? でも……」
「冗談ですよ。だって、貴族の私がトール様と恋人になれるわけないじゃないですか」
そう、それは間違いない。領主の一人娘と、何処の馬の骨ともわからない冒険者が恋人になることなどあり得ない。例外があるとすれば冒険者がとんでもない大手柄を立てて貴族に取り立てられたりすることだけど、普通に考えてそんなことはあり得ない。その無理を通す方法も実は無いわけでは無いけれど……トール様はそれを望まないでしょう。不治の病すら治せる力を王に売り込む……それをすれば貴族位程度は押しつけてくるでしょうが、代わりに暗殺と謀略の日々に巻き込まれることになる。家名を隠して冒険者となり、畑を耕しスライムと戯れるトール様がそんな日々を望むはずが無い。それを引き替えにしても尚、私を求めてくれたりしない限りは……
「それに……これはまだ秘密のお話なのですけど、私にお見合いの話があるのです。トール様がいくら素敵でも、貴族の殿方と天秤にかけるわけには……」
それでも万が一、億が一、私が死にかけたままであれば可能性はあったかも知れない。でも、それももう無い。トール様の治療によって私の体は健康を取り戻しつつあり、遂に先日、月の女神の祝福すら戻ってきた。子を産めない貴族の女なんて何処にも行き場が無かったけど、子が成せるとなれば話は別だ。領主の一人娘ならば縁談の話くらいは当然ある。トール様の手によって健康になったが故に、トール様と共にいることができなくなったのだ。そのあまりの皮肉っぷりに、神様だって苦笑いしていることだろう。
「それは、その、おめでとうございます……」
「はい、ありがとうございます。さっきも言いましたけど、これはまだ秘密のお話なので、誰にも言っちゃ駄目ですよ? 流石に家に関わることなので、これを公言されると処罰せざるを得ません」
「わ、わかりました! 絶対誰にも言いませんニャ!」
背筋も尻尾も、ヒゲまでピンと伸ばしたその姿が何とも可愛らしくて、私はまたしても笑ってしまった。
「ふふっ。本当にミャルレントさんは可愛らしいですね。さて、そろそろ閉会式の準備をしなければですか。ミャルレントさんはどうされるんですか?」
「私ですか? ミャリア……妹がファッションショーに出ていたので、表彰されるかも知れないので会場の方に家族といることになると思います」
「そうですか。では、壇上で挨拶する私のこともついでで良いので応援しておいてくださいな」
「わかりました。フルール様の素敵な演説を期待しておきますね」
そう言って二人で笑い合ってから、ミャルレントさんは部屋を出て行った。残ったのは私とくーちゃんのみ。残されたのは、私だけ。
そう、全部冗談だ。トール様に抱いた気持ちは、最初から叶う訳の無い夢だった。貴族の娘として、叶えることのできない想いだった。このままお見合いをすれば、それを受ける方向で話が進むだろう。そうなれば使用人でもないトール様を部屋に入れることも難しくなる。楽しい話をしてもらうことも、お料理を振る舞って貰うことも、スライム達と一緒にからかって遊ぶことも、全部出来なくなる。
だから、全部冗談だ。最初から好きになったりしていない。私はただ初心な青年をからかっていただけ。恋に恋する乙女として、恋を楽しむ気分に浸っていただけ。だから最後の町でのデートも、楽しく遊んで終わればいい。それでもう思い残すことは何も無い。ああでも、最後にキスくらいはしてもいいかしら? 処女の検査はされるでしょうけど、唇を許した相手がいるかどうかなんて調べようが無い。未来の旦那様にちょっとした嫉妬心を煽るために、そのくらいの悪戯なら許されるかも知れない。
何もかも、全部冗談だ。嘘だから。本気じゃないから。この胸を締め付けるのは、きっと病が今だけ再発しているだけだ。
始めて会った時は、とても驚いた。押されるような包まれるような、そんな不思議な気配を持った、黒い服の農夫。その手から差し出された野菜はとても美味しくて感動したのを覚えている。
彼が贈ってくれた花は、今も窓辺で小さな花を咲かせている。冬に咲くはずの花が春に咲き、今も花を付けているのは一体どういう仕掛けなんだろう? ありふれているのに世界にひとつしか無い贈り物は、病で弱っていた私に元気と勇気をくれた。
彼の不思議な力で病が治り、ベッドから降りて歩けたときの感動を、どう表現したらいいだろう? 私に未来を、希望をくれた彼は、彼の話に出てくる荒唐無稽な勇者よりも、ずっとずっと素敵な王子様だった。
そして最後に、彼は私に友達をくれた。部屋から出られない私に贈られた、小さな緑の女の子。くーちゃん。私の初めてのお友達。常に私と寄り添い、私の話し相手になってくれた大切な子。この先の私の未来に何があったとしても、これでもうひとりぼっちになることはない。ただそれだけを保証してくれる絆が、私の一番の宝物だ。
剣の代わりに野菜を手に持ち、白馬の代わりにスライムに乗り、黒い服を着てやってきた王子様。私の欲しかった全てを贈ってくれた人。その結果一番欲しくなってしまった物だけをくれなかった人。人に話せばきっと笑われてしまうだろう。そんな都合のいい人がいるわけないと。そんな奇跡が実際に起こるわけがないと。
だから、それは楽園の夢。どれほど胸の奥にしっかり刻まれていようとも、そこから現実に出すことの叶わない夢の中だけの世界。トール様が額に汗して畑を耕し、小さな子供たちがスライム達と戯れ、そして私は裁縫をする。人数が多くて大変だと呟きながらも、手を動かすことに喜びを禁じ得ない。平和で平凡で、だからこそ届かない夢。でも、そんなものは存在しない。何もかも冗談なのだから。
私はくーちゃんを抱きしめ、その背中に顔を埋める。こうすればくーちゃんが私に不要な水分を吸い取ってくれる。現実には何の痕跡も残ったりしない。
フルール・ウスイの夢がくーちゃんのなかに溶け込んだなら、ここに残るのはフルール・ハイアットだけだ。そうしたら立ち上がらなければならない。やるべき事は沢山あり、贈ってもらった未来を無駄にすることだけはしたくない。
でも、少しだけ。あと少しだけこのままで……
「……………………」
小さな声をあげることも無く、吐息すら余さずくーちゃんに溶かし込む。溶かして溶かして……それでもなお溶かしきれなくて、最後にたった一言だけ、私の口からその名が漏れた。
夢が現実であったことを世界に刻んだ小さな傷は、誰に知られることもなく宙に溶けて、そして後には何も残らなかった。





