上げて下げるのは必然のお約束
人は何故、初心を忘れてしまうのだろうか? 辛いことや悲しい事なら、忘れることは救いだ。でも、世の中には決して忘れてはならないこともある。悲劇を繰り返さないためには、歴史を学び経験を尊び、常に理性に訴えかける謙虚さが必要なのだ。
調子に乗ったらフルボッコ。僕はもうそれを忘れないだろう。仮に忘れた場合はまたフルボッコにされるんだろうけど、流石にそう何度もスライムにフルボッコにされるのは、頭の上の奴の励ましがあっても心に響く。できるなら生涯に渡って避けていきたい。スライムにフルボッコ……考えるだけでも悲しくなってしまうから。
何とか心と体を立て直し、3匹を相手に戦う僕だったけど、その後の戦況は芳しくなかった。防御にしろ回避にしろ目の前の1匹が限界で、2匹同時に攻められるとどうやってもぷにょられてしまうのだ。
何日も何日も、手を変え品を変え戦いを続ける。もう『収束威圧』を発動できるような挙動では体当たりしてこなかったので、その辺の石ころを対象に『収束威圧』を使ってスライム達の速度に揺さぶりをかけてみた時は、僕の方が対処できなくなってしまった。「速いだけ」なら慣れたけど、緩急が付いたら目で追うことすら難しい。これは完全に失敗だった。
地の利を生かしてみようと隅っこの方に陣取ったら、スライムたちがこっちに来なかった。自分に不利な場所で戦うわけが無いのだからそれ自体は仕方ないけど、スライム達に「そういうことする空気じゃないじゃん」とか「しょっぱいわー。この場面でそれとかマジしょっぱいわー」みたいな震え方をされて、何かもういたたまれない気分に陥った。まあね。手加減して貰ってるスライム相手に、地形まで有利とかはね。そういう小さい男は嫌だよね。ははは……いやいや、ちょっと隅っこにいたい気分だっただけだよ? 有利に戦いたいとか、そんなの全然ナイデスヨ? HAHAHA!
しかし、こうなると本当に手詰まりだ。2匹の時には使えたフェイントやカウンターも、3匹だと使いようが無い。空中にいて回避できない1匹にフェイント攻撃を仕掛け、それを阻止しようとした2匹目にカウンターを当てようとすると、3匹目が飛んできて見事に体勢を崩される。つまりはこの3匹目の攻撃を何とかしなくちゃいけないんだけど、その方法が全く思いつかない。避けると言っても、剣先とかならまだしも体に体当たりしてこられたらそれなりに大きく動かなきゃで、とても攻撃を続けられない。
体当たりを食らっても揺るがないほど足腰を鍛えるのは正解のひとつだけど、それは結果が出るのに年単位の月日が必要になる気がする。そこを短時間で解決できるのが魔物を倒して魂の力を奪うことだけど、そもそもスライムが倒せないからこの状況なので、その解決策は無理だ。
うーん。基礎的な身体能力の向上はコツコツやるしかない。剣術というか、そういうのの技術を磨くのも、何か今くらいで限界っぽい。となれば、やっぱり僕が頼るのは『威圧感』しかない。ここまでこれ1本でやってきたんだし、そもそも僕のなかで唯一成長してるのが『威圧感』だけなのだから、それに注力するのはむしろ当然だ。
戦いの中で何か気づければと思って戦い続けていたけれど、僕は一旦戦闘を切り上げ、久しぶりに固有技能と脳内で念じて、能力一覧を眺める。一つ一つ自分の力を確かめ、何が出来るか、どんな使い方があるかを吟味していく。
『威圧感』は可能性の塊だ。新たな力に目覚める度に便利になっていってるけど、実は基本の『威圧感』だけでもかなり色々なことができたってことが、派生スキルを見ればわかる。これらは効率をあげてるだけで、スキルが無かったらできなかったわけじゃないんだから。
じっくりと考えた結果、いくつか作戦を思いついた。そう、冷静に考えさえすれば、ちゃんと取れる手段はまだあったのだ。定位置に戻り、スライム達が跳ね回り出す。『収束威圧』の時と違って、1度きりの作戦というわけじゃないから、ここは焦らず冷静に。
まずは『威圧の剣』を目の前を横切っていくスライムの軌道に差し込む。当然2匹目が邪魔しにつっこんでくるので、それをカウンターで打ち落とそうとする。さらにそれを阻止しようと3匹目が来たのを確認して……僕は手の中から『威圧の剣』を消す。そのまま即座に拳の中で具現化させたのは『威圧の楔』だ。
『威圧の剣』でスライムを叩き潰すには、ちゃんと腰を入れて打ち据えなければならない。でも、『威圧の楔』を握り混んだ手でスライムを叩くだけなら、体勢なんて崩れてたって問題無い。勿論それじゃスライムを潰せはしないけど、それで十分なんだ。だって、『威圧の楔』は刺した本人以外が抜く場合は、『威圧感』以上の精神抵抗値が必要だから。1ミリだって刺さればそれでいい。僕がスライムより弱かったとしても、『威圧感○』になった僕の固有技能がスライムより弱いことは絶対にあり得ない!
楔の刺さったスライムの動きがあからさまに悪くなり、それ以外のスライムの動きが速くなる。『収束威圧』の時ほどの効果はないけど、『収束威圧』と違って、この効果は永続だ。そして速度の差が生まれた以上、今までみたいな完璧な連携を取ることはできない。
速い2匹のうち1匹の軌道に『威圧の剣』を差し込む。速度の関係上速い方のもう1匹しかそれを阻止しに突っ込んでくることはできない。だからそれにカウンターを合わせて、その動きを阻害するために遅い1匹が突っ込んでくるけど……その動きは遅いから、速い方をすかして遅い方にカウンターを合わせ直しても、ギリギリ間に合う。後はただ……振り抜くだけだ。
スパーンと、久しぶりにいい音が響いた。地面に転がる『威圧の楔』を回収すれば、残ったのは見慣れた速度の16スライム2匹。それを倒すだけの実力が、僕にはもうある。
スパンスパンと音が鳴り、目の前に残ったのは、2分の1スライムのみ。遂に、遂にここまで来た。最大の敵2分の1スライムを、とうとう僕は戦場に引きずり出した。
奴の巨体が、プルプルと震える。それは僕を讃えているのか、あるいは遂に自らが戦えることに喜び震えているのか。
僕は『威圧の剣』を構え、振るい、振るい、そして振るう。目の前に揃うのは、16スライムが8匹。前人未踏、かつては想像することすらできなかった数という名の絶対の力を前に、僕の闘志は衰えることは無い。剣を構え、堂々と立つ僕の周囲に吹き荒れるのは、緑色の嵐。残像すら残して高速移動する大量のスライムに囲まれ、悟りの境地にすら至るであろう僕の脳内に閃いた思いは――
ああ、これは駄目だわ……
――諦めであった。
いや、これは無理だって。何かもう渦巻いてるもん。『威圧の楔』が10本くらいあればいけるかも知れないけど、実質1本しか使えないんじゃ無理だって。この数になったら部屋の隅に行って正面からしか攻められない状況を作ってすら無理だと思う。4,5体が連続で突っ込んできたら回避なんて出来ないし、防御したって吹っ飛ばされるだけだもん。これは無理だわ。どうしよう……
バターでも出来るんじゃ無いかと思われる勢いでブオンブオン飛び回るスライムの中心にて、僕はひたすら途方に暮れていた……





