震える緑のニクい奴
この世界に来て初めて、自分の意思で能動的に魔物と対峙している。その相手が最弱どころかほぼ無害なスライムなのはちょっとだけ情けないと思わなくも無いけど……それよりも今は、とても大切なことがある。
「……何かでかくない?」
目の前のスライムは、バランスボールくらいの大きさがあった。聞いていた話では一抱えほどの大きさ……要はバレーボールくらいの大きさのはずなので、ちょっと大きめとかいうレベルじゃない。個体差があるとは言っても、10倍でかいのは流石に無いだろう。
その馬鹿でかいスライムは、僕の目の前でプルプルと震えている。緑色の体表には艶があり、中身とかは透けて見えないタイプのため、まさに軽く潰れたバランスボールか、タップリ中身の詰まった水風船という感じだ。視覚があるのかはわからないけど普通に視認出来る距離だし、そもそも今の僕は全力で気配をまき散らし続ける存在なので、認識されてないと言うことは無いと思うけど……とりあえず、攻撃される様子はない。
慎重に慎重に、1歩ずつ近づいていく。1歩近づくごとに『威圧感』の距離減衰が減り、確実に威圧されているはずだけど……1メートルほどまで近づいても、スライムは戦闘態勢は取らなかった。野菜や汚れにすら効果が出る『威圧感』がバリバリの魔物であるスライムに無効だとは思えないから、これはつまり威圧するだけなら攻撃だとは思われないってことだろう。
ならばと、僕は少し距離を離してから『収束威圧』を発動させる。頑固な油汚れすら一掃出来るくらいの力を込めてみるけど、スライムには変化無し。なら、これ以上は意味が無いだろうし、これだけしっかり威圧したなら『威圧の剣』はきっと十分な攻撃力を発揮するはず。
僕は再びスライムの側に歩み寄り、手の中に『威圧の剣』を具現化させる。肉や魚を叩くためではなく、攻撃して殺すための力が手の中にあるのだと自覚して、僕の背中にヒヤッとしたものが一瞬だけ走る。
目の前……それこそほんの30センチくらい前には、巨大スライム。相も変わらずプルプル震え続けているけど、別に怯えているようには見えない。例えこちらに襲いかかってきたわけでは無いとしても、これにだったら攻撃……できる。
剣の柄を握る右手に力がこもる。その右手を左手が覆い、ゆっくりとした動作で剣を振り上げ、そして一気に――振り下ろす。
カツンッ
豆腐を切る程の抵抗すらなく、『威圧の剣』はあっけなくスライムを両断した。ああ、これで遂に、遂に僕は「冒険者」になったのだ。初めて魔物の命を奪い、奪い取った力が僕の中に流れ込んで……こない?
「あれ?」
思わずとぼけた声が口から漏れる。攻撃をミスった? そんなわけない。そりゃ何の手応えも感じなかったけど、目の前には今も間違いなく真っ二つにしたスライムがいる……いる? あれ? 倒したのに形が崩れない? というか、2匹とも丸くなってるし……え、分裂した?
試しに、もう1回切ってみた。そしたら、そいつもまた半分の大きさになって、そのまま元気にプルプルしていた。物理攻撃が効かない? いや、ミャルレントさんの話だと、叩いて潰せば倒せるって……あ、切ると分裂するから、叩かないと駄目なのか!?
「そういうことなら……ていっ!」
4分の1の大きさになったスライムを、僕は『威圧の剣』の腹の部分でひっぱたく。それはペシンと音を立て、ボヨンとスライムに跳ね返され、そして次の瞬間。
「うぉぉぉぉっ!?」
叩いたスライムが、とんでもない勢いで僕の周りを跳ね回り始めた。バッティングセンターで剛速球を打ち返せるほどの動体視力も、剣道で鍛えた達人の勝負勘も、中国の山奥で練り上げた周囲の気配を探る方法も会得していない完全に一般人な僕には、その動きをとても見切ることなどできない。縦横無尽に跳ね回るスライムを前に、ただ為す術無く立ち尽くして……ヤバイ。これは絶対ヤバイ。バレーボールより3周りくらい大きいうえに、空気じゃなくて中身が詰まってるスライムがこんな速度で体当たりとかしてきたら、普通にバイクが突っ込んでくるくらいの威力がありそうに思える。つまり、食らったらヤバイ。よっぽど打ち所が悪くなければ即死することはないだろうけど、戦闘不能にはなりそうなくらいヤバイ。
ヤバイ。ヤバイ。逃げ……るのは無理。攻撃……も、こんな速度の相手に当てられるわけがない。それでも剣を振り回してみる? 偶然当たれば……分裂して敵が増える? どうしよう? 『威圧の服』に当たれば攻撃が軽減できる? なら頭を抱えてうずくまるのが正解? どうすれば、どうすれば……
完全にパニックに陥った僕を嘲笑うように、スライムは「物理法則? 何それ美味しいの?」とでも言わんばかりに跳ね回り、結局何の対策もできないままの僕の顔面めがけて緑のゴムまりが突っ込んできて――
ぷにょーん
「ふがっ!?」
柔らかい。凄く柔らかい感触が、僕の顔どころか頭を包み込み、そのまま引き倒されるようにして後ろに倒れ込んだ。とっさに頭だけはかばえたけど、その分したたかに背中を打ち付け、僕はその場で悶絶する。
「くぉぉ、痛ってぇ……くはぁー、はーっ、あー痛い……」
涙目になりつつも僕が何とか体を起こすと、おそらく僕に体当たりしてきたであろうスライムが、目の前でぴょんぴょんはねていた。表情などあるわけないし、鳴き声だってあげてないけど、その行動の意図が、何故か明確に理解出来る。これはきっと……
「……馬鹿にされてる?」
呟いた僕の言葉を前に、スライムが跳ねるのをやめ、激しく身をよじってプルプルする。ああ、幻聴が聞こえる。「ヘイヘイクソザコナメクジくーん? このくらいでへたっちゃうとか、いくら何でも弱すぎじゃない? ぷぷー」と煽るスライムの魂の声が、僕の心の鼓膜を揺する。
へー。ふーん。ほー。そうですか。そういう態度に出るのですか。世界最弱の名を欲しいままにするスライムが、神の恩恵を受けた僕に、そう言う態度をとるんだ。そうかそうかそうなんだ。そういうことなら――
「スライム死すべし!」
その場で煽っていた(?)スライムを、躊躇うこと無く『威圧の剣』で切り裂く。やっぱりそいつらはサイズ半分で分裂再生したけど、それは気にせずそこからさらにもう1斬。16分の1まで小さくなったスライムに、今度は『威圧の剣』の腹の部分を叩き付ける。
「っしゃあ! っとうわっ!?」
スパーンという小気味よい音を立てて、スライムがはじけ飛んだ。予想通り、16分の1まで小さくしてから叩けば、スライムは倒せる! その事実にガッツポーズを決めた僕に対して、8分の1スライムと16分の1スライムが、またしても高速で跳ね回り始めた。こうなると僕では全く動きが捕らえられない。さっきより小さくなった分速度もあがってるし、さっきと違って2匹同時なので、もう完全に手も足も出ない。
しかも、さっきの16分の1スライムを倒した経験値らしきものが入ってくる様子が無い。これはつまり、ちゃんと1匹分全部を倒しきらなかったら駄目ということなんだろう。ということは、最低でもこの1匹を倒しきるまでは僕は一切成長しないということで……これはまた、長く苦しい戦いの日々が始まりそうだ……





