第五話 重なる異変
特殊機動隊の初出動から、一週間が経った。
国際特務防衛庁の発着場。玖狼たちの前には、見慣れない一機の飛行艇が翼を休めていた。
流線型の艇体は律駆馬よりも遥かに大きい。
左右に伸びた短い翼と、後部に備えられた複数の噴射口。滑らかな艇体の継ぎ目から淡い光が漏れ、静かに明滅している。
「以前から試作していた小型飛行艇だ」
その傍らに立つカイが、いつもの淡々とした口調で説明する。
「飛行機構も制御系も完成していた。ただ、実用に耐えうる出力を確保できる動力核がなくてな」
カイは薄灰色の瞳を飛行艇へ向ける。
「金瞳虎王の律子結晶を使って、その問題も解決だ」
「……あの核か」
玖狼の言葉に、カイは頷く。
「半分だけだ。残りは研究用に回している」
特甲級の王種が残した巨大な律子結晶。
その半分だけで、長らく実用化を阻んでいた動力の問題は解消されたらしい。
「す、すげえ……いつの間に造ったんですか……」
折嘉が飛行艇を見上げたまま、感嘆の声を漏らす。
「一週間前からだ」
「そのせいで、カイ様はこの一週間ほとんど寝ておりませんけど」
横に立つショウキョウが冷ややかに付け加えた。
カイが黙る。目元には、いつにも増して濃い隈が浮かんでいた。
「完成したから問題ない」
「大ありですわ」
即座に返された言葉に、それ以上何も言えなかった。
「ってか、この機体の操縦?とか制御?って誰がやるんすか?まさか、カイさん?!」
飛行艇を眺めていた雷が、ふと思い出したように尋ねる。
「いや――」
「ふふん! 操縦はワタシが担当します」
聞き慣れない声が割り込んだ。
声のした方へ視線を向ける。
そこには、白銀の獣が胸を張って鎮座していた。
「えっと――……こいつは?」
「可愛い……」
黎がぽつりと呟いた。その空色の瞳は、柔らかな白銀の毛並みにすっかり目を奪われている。
「僕の助手だ」
「……」
「……」
「……って、えぇ?!マスター!それだけですか?!」
主人であるらしいカイの言葉に、白銀の獣は目を見開いた。なかなか表情が豊かである。
「こほん!ワタシは、マスターであるカイ様に創られた、天演機搭載猫型電脳機器、チャールズです!」
天演機は、膨大な律式演算を自動で処理する高度な演算機構だ。
それを本物の猫と見紛うほど小さな躯体へ収めたというだけでも、カイの律機技術が並外れていることは十分に分かる。
「ふふふ、この美しく愛らしい見た目に驚いていますか?」
「なんだこの、しゃべる珍獣」
雷が呆れたように呟く。
紅牙も気になったのか、チャールズへ鼻先を近づけた。
白銀の毛並みを何度か嗅ぎ、ふん、と鼻を鳴らす。
生き物の匂いがしないのだろう。
紅牙の深紅の瞳が、目の前の珍妙な何かを訝しげに見つめていた。
「んにゃっ?!ワタシは可愛い上にとっても賢いのです!そこの話せないワンコロと同列に扱わないでいただきたい!皐樹 雷隊員!」
雷の言葉に、チャールズが全力で抗議する。
「……少々、自信家なところがある子ですが、優秀なのは私が保証いたしますわ」
ショウキョウが一歩前へ出る。
「操縦だけでなく、私たちが現場へ赴けない代わりに、現場データの収集・観測・分析もこなします。きっとお役に立てるかと」
「本機の設計には、ワタシも携わっておりますので!」
チャールズが得意げに付け加える。
実際の操縦は、チャールズが機体の制御系へ直接接続して行う。
ほぼ自動制御に近い仕組みだが、本猫としては紛れもなく『ワタシが操縦している』らしい。
「了解した」
玖狼が頷く。
「お任せください!ワンコロよりもお役に立ってみせますとも」
紅牙の尾がぴたりと止まった。
「あまり煽るな。度が過ぎる場合は――」
玖狼がチャールズへ視線を向ける。
「しっ、失礼いたしました!紅牙さんとも、仲良くさせていただきますっ!にゃん?」
玖狼の圧を察したチャールズは、ころりと仰向けになった。白銀の腹を惜しげもなく晒し、四肢を僅かに丸める。
紅牙はその姿をじっと見下ろすと、再び鼻を鳴らした。
どうやら第一印象が悪すぎたらしい。
少なくとも今のところ、紅牙の方はあまり仲良くする気がなさそうだった。
「それでは、そろそろ出発いたしましょう」
ショウキョウの声に、玖狼が飛行艇へ視線を戻した。
今朝、龍華王国西部山脈で紅羽鷹が確認された。
翼開長十メートルを超える大型異獣。
付近を通行していた商隊が襲撃を受け、特殊機動隊へ討伐要請が出ている。
「行くぞ」
玖狼の短い号令に、隊員たちが飛行艇へ乗り込む。
「チャールズ、ちゃんとお役目を果たすのですよ」
「もちろんですとも!」
ショウキョウの言葉に、チャールズが胸を張る。
「現場の観測はワタシにお任せください!」
カイは白銀の猫へ視線を向けた。
「データは随時送ってくれ」
「承知しております、マスター!」
チャールズは軽やかに艇内へ飛び乗った。
「では皆様、どうぞお気をつけて」
扉が閉じる。
「それでは――出発します!」
白銀の猫が操縦席の前へ陣取る。
薄紫色の瞳に淡い光が走った。
直後、低い駆動音が艇内へ響く。
後部の噴射口から淡い光が溢れ、飛行艇がゆっくりと地面を離れた。
「おお……!」
折嘉が窓の外を覗き込む。
高度を上げた飛行艇は、ほどなくして新龍市の上空を抜けた。眼下に広がる街並みが遠ざかり、青い海が視界いっぱいに広がる。
「はっや!」
雷が窓へ顔を寄せた。
「当然ですとも!」
得意げな声が艇内に響く。
「長距離移動を想定して設計しておりますので!」
これまでなら、律駆馬を乗り継ぎ、海路を経ても一日以上はかかる距離だった。
それが、僅か一時間足らず。
青い海を越えた先に、険しい山々が連なる。
龍華王国西部山脈だ。
「到着しました!」
「……マジかよ」
雷が窓の外を見つめたまま呟く。
飛行艇は山間の開けた岩場へゆっくりと高度を落とした。
着陸と同時に扉が開く。
冷たい山風が艇内へ吹き込み、玖狼たちは次々と外へ降り立った。
紅牙が岩場へ飛び降り、鼻先を持ち上げる。
「紅牙」
玖狼の声に、漆黒の狼は山頂へ顔を向けた。
鋭い耳が僅かに動く。
「いるな」
紅牙が低く唸った。
「準備しろ」
雷と黎がそれぞれ戦闘態勢を取る。
折嘉も背負っていた大盾を下ろした。
「折嘉・グラード隊員。少々よろしいですか?」
足元から声がして、折嘉が視線を落とす。
「……なんだ?」
「その盾をお借りします」
「盾を?」
チャールズは返事の代わりに折嘉の前へ歩み寄った。
白銀の前脚を持ち上げ、律機盾の表面へそっと触れる。
「接続開始――律機構造を確認。観測系統へ接続します」
「……接続?」
「はい。これで、この盾が受けた律子干渉をワタシにも共有できます」
チャールズが前脚を離す。
「先日の個体と同様の異常がないか、可能な限り情報を収集します」
「なるほど……」
折嘉が大盾へ視線を落とした。
「つまり、俺が攻撃を受ければいいんだな」
「はい!」
チャールズは元気よく答える。
「盾を壊さない程度にじゃんじゃんっと!攻撃を受けまくってくださいね!
ま、盾は壊れたら応急処置の修理くらいならワタシでできますけどね」
「……盾は、か……とりあえず分かった」
「いや、待て」
玖狼が即座に口を挟む。
「無理に受ける必要はない。通常通り動け」
「りょ、了解です!」
「えっ」
チャールズが小さく声を漏らす。
玖狼は白銀の猫へ視線を落とした。
「観測のために隊員を危険に晒すな」
「……承知いたしました」
チャールズの耳が、しゅんと伏せられる。
その横で、折嘉は何事もなかったかのように大盾を構え直した。
「行くぞ」
隊長を先頭に、一行は山道へ踏み入った。
山道へ足を踏み入れて、ほどなく。
「……暑くね?」
雷が隊服の襟元を引っ張った。
標高はかなり高い。
吹き抜ける山風も、飛行艇を降りた直後までは冷たかったはずだ。
しかし、進むにつれて肌を撫でる空気が熱を帯びていく。
「確かに……」
黎が額に浮かんだ汗を拭う。
玖狼も足を止め、周囲を見渡した。
岩肌。
僅かに生える低木。
空には雲一つない。
陽射しのせいかとも思ったが――。
「……四十二度を超えています」
チャールズの声が低くなる。
「こんな山頂付近で……」
先ほどまでの得意げな様子は消え、白銀の猫は周囲を見回している。
「周辺温度、急激に上昇中――ッ!」
「来るぞ」
玖狼が剣の柄へ手を掛けた。
紅牙の耳が鋭く立つ。
漆黒の狼が空を仰ぎ、低く唸った。
直後。
甲高い鳴き声が山々を震わせた。
巨大な影が頭上を横切る。
「紅羽鷹!」
黎が即座に狙撃銃を構えた。
翼開長十メートルを超える巨体。赤褐色の羽毛に覆われた大型猛禽類。
その姿は、討伐対象として知らされた紅羽鷹に違いない。
だが――。
大翼が羽ばたく。
灼熱の炎が噴き上がった。
「……今度は火属性か」
玖狼の目が細まる。
「空から見えた、あの燃えた地面の跡……コイツの仕業ってことかよ」
雷が歯を見せる。
「さすがにこんな、燃える標的は殴ったことねぇぜ」
紅羽鷹が再び翼を打った。
炎を纏った羽毛が空中へ舞い散る。
「散開!」
隊長の声が飛ぶ。
燃える羽毛が雨のように降り注いだ。
地面へ突き刺さった羽毛は消えない。
岩肌の僅かな草木へ燃え移り、炎が瞬く間に広がっていく。
通常の紅羽鷹では、ありえない攻撃だった。
「右上方!次撃、来ます!」
チャールズが叫ぶ。
ほぼ同時に、紅牙が牙を剥いた。
「――ッ!」
玖狼が視線を上げる。
紅羽鷹が翼を畳んだ。
炎に包まれた巨体が、一直線に落下してくる。
「折嘉!」
「はい!」
折嘉が前へ出た。
大盾を地面へ叩きつけるように構える。
紅羽鷹が地表へ迫る。
轟音。
爆炎が弾けた。
凄まじい衝撃波が岩場を薙ぎ払う。
「ぐっ……!」
折嘉の両脚が地面を削った。
律機盾の表面を淡い光が走る。
受け止めた衝撃と律子干渉を解析し、分散する。
「観測しました!」
折嘉の背後で、チャールズの瞳が明滅した。
「高密度の律子干渉を確認! これは――」
「後だ!」
玖狼の声に、わずかに興奮しかけたチャールズが口を閉じる。
爆炎を突き破り、紅羽鷹が再び上空へ舞い上がった。
紅羽鷹の動きを追いながら、黎は戦況を見渡す。
折嘉が前線を支え、
雷が飛び込む機会を窺っている。
――まずは、高さの不利を減らす……!
「黎!翼を狙え!」
「了解!」
銃声が連続して響く。
金属性術律によって強化された銃弾が、紅羽鷹の右翼へ集中する。
一発。
二発。
三発。
寸分違わぬ位置へ弾丸が叩き込まれた。
赤褐色の羽毛が弾け飛ぶ。
紅羽鷹の巨体が僅かに傾いた。
「雷!」
「待ってました!」
雷が両拳を打ち合わせる。
土属性の律子が全身を巡った。
岩場を蹴る。
「おらぁッ!」
常人では届くはずもない高さまで跳び上がり、傾いた紅羽鷹の腹部へ拳を叩き込む。
鈍い衝撃音。
巨体が大きく揺れた。
「っしゃ!」
紅牙が激しく吠える。
「雷、下がれ!」
玖狼の声が飛んだのは、ほぼ同時だった。
「は?」
落下する雷が、間の抜けた声を漏らす。
「急降下します!先ほどより出力上昇!」
チャールズが叫ぶ。
体勢を立て直した紅羽鷹が、高空へ駆け上がる。
炎が翼を包んだ。
先ほどよりも激しい。
「また来るぞ!」
雷は着地するなり、折嘉の背後へ駆け戻る。
「折嘉隊員!衝撃到達まで五秒!」
紅牙が低く唸る。
チャールズの薄紫色の瞳に、目まぐるしく光が走った。
「出力上昇……先ほどの一・四倍!術律構成は――」
白銀の猫が、いつの間にか折嘉の盾より前へ出ていた。
「三――軌道修正! 左へ二・三メートル!」
紅牙がチャールズの首根っこを咥える。
「んにゃっ?!」
そのまま後方へ引きずり、折嘉の盾の内側へ放り込んだ。
「ちょっ、紅牙さん?!今いいところ――」
炎の塊が迫る。
「……って、あと一秒!」
大盾を構えた。
爆炎。
山肌が震えた。
衝撃波が岩石を吹き飛ばす。
折嘉の盾が正面から受け止める。
「ぐ……ぅっ!」
「折嘉!」
「問題、ありません……!」
歯を食いしばり、踏み留まる。
「紅牙さん……ありがとうございました」
感謝の言葉に、漆黒の狼は呆れたようにチャールズを見つめた。
盾の背後で、玖狼が剣を抜いた。
刀身へ炎が走る。
「隊長?!」
雷が目を見開く。
爆炎へ踏み込むその背中を見ても、黎は不思議と焦りはなかった。
紅羽鷹の炎は、未だ折嘉の盾を呑み込んでいる。
――玖狼なら。
そこへ玖狼が踏み込み、剣を振り抜く。
炎の斬撃が爆炎へ衝突した。
同じ火属性。互いに喰らい合い、相殺する――。
はずだった。
玖狼の炎が、紅羽鷹の爆炎を呑み込んだ。
「……は?」
雷の口から再び、間の抜けた声が漏れる。
深紅の炎が灼熱の奔流を押し返す。
紅羽鷹の巨体まで一気に駆け上がった。
炎に包まれた翼が大きく揺らぐ。
「黎!」
「もう狙ってる!」
銃声。
強化された弾丸が、傷ついた右翼を貫いた。
紅羽鷹が甲高い悲鳴を上げる。
大翼が崩れた。
巨体が高度を失い、岩場へ墜落する。
「雷!」
「うす!」
地面を蹴る。
土属性術律で強化された脚力が、雷の巨体を弾丸のように押し出した。
倒れた紅羽鷹の懐へ潜り込む。
「これで――終わりだ!」
金属性の律子が拳を覆う。
硬質化した一撃が、紅羽鷹の頭部へ叩き込まれた。
岩を砕くような音が響く。
紅羽鷹の巨体が跳ねた。
やがて、翼から噴き上がっていた炎が静かに消えていく。
「……討伐完了」
玖狼が剣を下ろした。
「ふぅ……」
折嘉が大盾を地面へ置く。
「折嘉隊員!」
チャールズが駆け寄った。
「先ほどの攻撃、素晴らしい観測値でした! 盾を介して律子干渉も十分に――」
チャールズの耳が、ぴくりと動いた。
「お怪我はありませんか?」
「ない」
「よかったです!」
切り替えが早い。
雷は呆れたように白銀の猫を見下ろした。
「さて――」
チャールズが焔紅羽鷹の死骸へ向き直った。
「個体の走査を開始します」
巨体へ近づく。
薄紫色の瞳に、再び淡い光が走った。
黎は無意識に、紅羽鷹へ一歩近づいた。
胸の奥が、小さくざわつく。
――何だろう。
耳の奥で、聞き覚えのない音がした気がした。
どこか遠くで響くような、それでいて、自分の内側から聞こえてくるような不思議な音。
思わず足を止める。
――今のは、何……?
チャールズの視線が頭部から胴体へゆっくりと死骸をなぞっていく。
「火属性の律子干渉を確認。先ほど収集した戦闘データと一致しています」
「やっぱり、術律を使ってたってことか」
雷の言葉に、チャールズが頷く。
「はい。少なくとも、通常の紅羽鷹には確認されない事象ですね」
玖狼は黙ったまま、焔紅羽鷹を見下ろしていた。
「続いて、律子結晶を――」
チャールズの言葉が止まる。
薄紫色の瞳が細められた。
「……?」
黎が僅かに首を傾げる。
白銀の猫は何も答えない。
焔紅羽鷹の周囲を歩き、角度を変えて再び巨体を走査する。
「チャールズ?」
「少々お待ちください」
先ほどまでの軽い調子は消えていた。
数秒の沈黙。
チャールズが足を止める。
「律子結晶反応――検出されません」
誰も言葉を発しなかった。
「……またか」
玖狼の低い声が落ちる。
金瞳虎王。
術律を行使し、討伐後に律子結晶を残さなかった個体。
そして今、目の前に横たわる紅羽鷹もまた、同じだった。
「先日の個体と、同様です」
チャールズが静かに告げる。
「収集した戦闘データと個体の走査結果を、マスターへ送信します」
薄紫色の瞳が淡く明滅した。
玖狼は、炎を失った赤褐色の翼を見下ろす。
術律を使う異獣。
律子結晶を持たない異獣。
あの森で起きた異変が、再び目の前に横たわっていた。
毎週土曜日12時更新予定です。
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次回更新:8月8日(土) 12:00 公開予定




