第四話 苦い凱旋
夕陽に照らされた国際特務防衛庁が見えてきた。
律駆馬の足音だけが静かな道に響く。
「なんだったんだよ、あれ」
最初に沈黙を破ったのは雷だった。
「異獣が術律なんてよ」
誰も答えなかった。
折嘉も腕を組んだまま考え込んでいる。
「……報告書、信じてもらえますかねぇ」
アルベールが苦笑すると、雷は肩をすくめた。
「信じてもらうしかねぇだろ。俺たち全員、見たんだからな」
格納庫に一番近い東門をくぐると、整備員や各部署の職員たちが自然と足を止める。
「……帰ってきた!」
「本当に討伐したらしいぞ」
「特甲級を?」
「さすが特殊機動隊だ」
「いつかやってくれるって信じてたんだよ!」
口々に声が上がる。
隊員たちは黙ったまま律駆馬を降りた。
黎は紅牙の頭をそっと撫でる。
「今日はありがとう」
紅牙は小さく鼻を鳴らした。
人だかりをかき分けるように、凛が玖狼たちの前へ出る。
「冠隊長。颯副隊長。特務総監がお呼びです。至急、総監室へ」
「……了解した。雷たちは先に休め。俺たちは総監の元へ行ってくる」
「了解っす」
「行くぞ」
二人と一頭は凛に続いて総監室へ歩き出した。
「凛さん!」
三人の後ろ姿を見ていた雷が、ふいに声をかける。
「あ、えっと……その、オレ……」
「雷さん、おかえりなさい」
「あ……ありがとうございます……!」
いつもなら、それだけで一日中浮かれていただろう。
だが今は、去っていく隊長たちの背中を見送ることしかできなかった。
「なあ、雷!」
玖狼たちの姿が庁舎の奥へ消えるや否や、残された隊員たちはたちまち人の輪に囲まれた。
「金瞳虎王、どうやって倒したんだよ?」
「特甲級だろ? やっぱり冠隊長の術律か?」
「《拳爪》も暴れたんだろ。聞かせろよ!」
次々と飛んでくる声に、雷は口を開く。
「あー……」
だが、言葉が続かない。
「……まあ、いろいろあったんだよ」
「なんだよ、それ」
「お前が戦いの話を濁すなんて珍しいな」
周囲に戸惑い混じりの笑いが広がる。
折嘉もアルベールも、曖昧な表情を浮かべるばかりだった。
「いやあ、本当にすごかったですよ!」
人だかりの向こうから、ひときわ大きな声が上がった。
律子災害対策部の男が、大きな布包みを抱えて歩いてくる。
「見てくださいよ、これ!」
男が布を開く。
夕陽を受け、巨大な律子結晶が鈍い光を放った。
「金瞳虎王の律子結晶です!」
どよめきが起こった。
「でかっ!」
「これが特甲級の律子結晶か……」
「待て。綺麗すぎないか?」
「本当に討伐個体から取り出したものなのか?」
集まった職員たちが、二つに割れた結晶を覗き込む。
砕けた破片はほとんど見当たらない。中央を走る断面は、磨き上げられたように滑らかだった。
「金瞳虎王の律子結晶ですよ。冠隊長が一太刀で斬ったんです!」
男は得意げに胸を張った。
「俺、情けねえことに手も足も出なかったんですが……冠隊長に助けられちゃって。いやあ、さすが特殊機動隊ですよ!」
「一太刀って……」
「結晶ごとか?」
「特甲級を?」
驚きの声が次々と上がる。
「やっぱり《紅剣龍将》だ!」
「颯副隊長の狙撃もすごかったんですよ! あの金瞳虎王の目を正確に撃ち抜いて!皐樹さんなんか、真正面から殴り合ってましたからね!」
「真正面から?」
「金瞳虎王と?」
「おい雷、お前また無茶したのかよ!」
「いや、そこ掘り下げんなよ!」
雷の返しに、どっと笑いが起こる。
男は構わず、興奮した様子で話を続けた。
「本当にすごかったんですって! 俺たちが二部隊がかりでも歯が立たなかった相手を、あっという間に追い詰めたんですよ!」
再び大きな歓声が沸き起こる。
男は何度も大きく頷いている。
誰もが笑っていた。
特甲級を討伐した特殊機動隊の帰還を、心から喜んでいる。
金瞳虎王は倒した。
行方不明者も救出した。
任務は完了している。
紛れもない勝利だった。
「……勝ったってのにな」
術律を使う異獣はもちろん、助けられなかった命が――ある。
その事実だけは、どれだけ歓声が響いても消えてはくれなかった。
◇ ◇ ◇
特務総監室。
「失礼します」
扉が開いた瞬間、空気が変わる。
威圧するつもりなどないのだろう。
それでも、その場を支配する存在感に、自然と背筋が伸びた。
「おう、玖狼。黎もご苦労さん」
執務机に腰掛けていた大柄な男が、親しみやすい笑みを浮かべた。
黎は、その笑顔を見て、肩の力が少し抜けたのを感じる。
「紅牙も、ご苦労だったな」
名を呼ばれた紅牙が、小さく鼻を鳴らす。
藍色の髪を後ろへ流し、左目元には一本の古傷が走る。屈強な体躯と鋭い風貌だけを見れば、気軽に声をかけようと思う者は少ないだろう。
国際特務防衛庁特務総監、獅岳羅豪。
「総監」
傍らから、静かな声が飛ぶ。
「まずは報告を」
「分かってるよ、静」
獅岳は苦笑しながら、執務机へ向き直った。
その隣には、深緑色の髪を七三に分けた細身の男が立っている。
特務副総監、景堂静。
室内には既に、ショウキョウの姿もあった。
「皆さま、お疲れさまでした」
ショウキョウが一礼する。
「それでは、討伐任務のご報告を始めます」
その一言で、獅岳の笑みが消えた。
和やかだった総監室の空気が、一瞬にして引き締まる。
ショウキョウが卓上の据置型律機端末を操作すると、複数の投影部が淡い光を放った。
空間に、金瞳虎王が術律を使用した瞬間の戦闘記録が立体的に映し出される。
「討伐対象である金瞳虎王は、戦闘中、術律を使用しました」
「……こんなこと、あってたまるか」
「あり……えない」
静が、投影された映像を凝視する。
「異獣が術律を扱うなど……」
「はい。戦闘映像、および観測された律子の変動から見ても、術律の発動で間違いございません」
ショウキョウが律機端末を操作すると、戦闘映像の周囲に新たな投影画面が次々と展開された。
複数の波形データが空間に並ぶ。
「そして、もう一点。こちらをご覧くださいませ」
いくつもの地点で、律子濃度が急激に跳ね上がっている。
しかし、その異常値はいずれも長くは続かない。直後には、何事もなかったかのように正常値へ戻っていた。
「以前より、各地で同様の変動が観測されております。発生地点、時刻ともに規則性は確認できておりません」
「待って」
黎が口を挟んだ。
「そんな調査、いつからしてたの?」
「玖狼さんからのご依頼です」
「玖狼が?」
思わず隣を見る。
何も、聞いていなかった。
――私には何も、相談してくれなかった……?
胸の奥が、ちくりと痛む。
自分には、頼られるほどの力がまだないのだろうか。
それでも、例年との僅かな差だけで異変を疑い、ここまで動いていたというのだ。
――どうして、そこまで先が見えるの。……遠いな。
「各部隊の討伐記録を見ていて、気になる点があった」
玖狼は宙に並ぶ波形へ目を向けた。
「例年より異獣の発生報告が増えている。それに対して、実際の討伐数が僅かに少ない」
「それだけで?」
「僅かな差だ。だが、偶然とは思えなかった」
「玖狼さんからは、関連の有無を問わず、異常が見られるデータを集めてほしいと頼まれておりました」
玖狼の言葉を継ぐように、ショウキョウが端末を操作する。
「こちらのデータについては、カイ様にも既にご報告しております。原因の分析と併せて、同様の事象が発生した際に有効な対策を取れないか、律機の開発も含めてご相談しております」
獅岳は空間に並ぶ波形を見渡した。
「玖狼、黎。お前たちはこの事態、どう見てる?」
「現時点では、判断できません」
玖狼が答える。
「自然発生した変異なのか、何者かが意図的に引き起こしたものなのか。どちらの可能性もあります」
「……人の手が加わっている可能性もある、と」
静が口を挟む。
「はい」
「ショウキョウ。そこは分からんのか?」
「申し訳ございません。現状のデータだけでは、どちらとも断定できません」
「そうか」
獅岳は腕を組み、投影された金瞳虎王を見上げた。
「俺も同じ見方だ。自然発生と決めつけるには異常すぎる。かといって、人為的だと断定する材料もない」
「ですが、今回だけとは思えません」
玖狼の低い声が室内に響く。
「今後も、同様の個体が現れる可能性があります」
「そうだな」
「そこでお願いがあります。各部から、異常事象に関する情報を機動隊へ直接共有していただきたい」
玖狼は獅岳へ向き直った。
「今回と関連がある状況と判断した場合、通常の出動要請は待ちません。私の判断で機動隊を出します」
「ずいぶん勝手を言うなあ、玖狼」
獅岳は困ったように笑った。
「必要です」
「即答かよ」
「はい」
短い返答に、しばらく特殊機動隊の隊長を見つめる。
「……分かった」
椅子の背へ深く身体を預けた。
「各部には俺から通達する。特殊機動隊の即時出動判断は、玖狼、お前に任せる」
「ありがとうございます」
「静、手続きを頼む」
「承知しました」
「よし!報告会は終わりだ!さて、俺は事務総長に報告を上げねえとだな」
張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
「それと、こいつをいつまでも『術律を使う異獣』と呼ぶわけにもいかんな」
獅岳が逡巡する。
「静。名前つけて」
「……私がですか?」
「おう」
「今、この場で?」
「今、この場で」
静はしばらく黙り込んだ。
「……異獣に、本来持たない何かが合わさった存在だと仮定するなら」
投影されている金瞳虎王を指さす。
「合獣、ではいかがでしょうか」
「よし、採用!」
「採用ですか?!」
「ついでに、こいつの名前もつけろ」
「これも?」
呆れている腹心に対して、総監は非常に楽しそうだった。
「頼むよ、静」
「……天金虎皇」
「よし、それでいこう!」
静は深いため息を吐いた。
「……では、合獣及び天金虎皇として記録を整備します」
「頼む」
「ほかには?」
「そうだな」
獅岳の表情から、再び笑みが消えた。
「事務総長との面会手配を頼む」
「承知しました」
「それから、今回の戦闘記録と律子濃度の観測データ。すぐに提出できるようまとめてくれ」
「……承知しました」
「各部への通達も忘れるなよ」
「分かっています」
返事が、僅かに低くなる。
それを聞いた獅岳は、満足そうに頷いた。
「さすが静。仕事が早い」
「まだ何もしていません」
総監は椅子から立ち上がった。
「お前たちも、お疲れさん。まあ、今日はゆっくり休め。詳しい報告書も明日でいい。それと玖狼」
「はい」
「仲間にはちゃんと相談しとけよ?」
「......はい」
玖狼は短く答え、一礼する。
黎とショウキョウもそれに続き、三人と一頭は総監室を後にした。
扉が閉まる。
静かになった室内には、投影された戦闘記録と波形データだけが残されていた。
「……世界が大きく変わるぞ、静」
先ほどまでの軽い調子はない。
「俺たちも、玖狼たちも。腹をくくっていかなきゃならねえな」
「ええ」
静は空間に浮かぶ天金虎皇へ目を向けた。
「そうでしょうね」
獅岳もまた、術律を放つ異形の虎を見上げる。
世界の常識を覆す存在。
この日、それは初めて『合獣』と名付けられた。
毎週土曜日12時更新予定です。
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