第三話 森での異変
「まだ終わりじゃない。行方不明者を捜索するぞ」
玖狼は振り返り、律子災害対策部の男へ目を向けた。
「この金瞳虎王を任せてもいいか」
「わ、分かった」
「頼む」
短く告げると、玖狼は森へ向き直った。
黎もその背を追うように、森の奥へ視線を移す。
「行くぞ」
特殊機動隊の姿が木々の奥へ消えていく。
残された男は、地元の防衛部隊の隊員数名とともに、横たわる金瞳虎王の処理に取りかかった。
やがて、胸部から取り出された律子結晶を前に、一人の隊員が言葉を失った。
本来なら、討伐の衝撃で砕けてもおかしくない。
ましてや、特甲級の活動を支えていた核だ。
巨大な結晶は――中央から、綺麗に二つへ割れていた。
「……斬ったのか?」
断面は、異様なほど滑らかだった。
砕いたのでも、焼き切ったのでもない。
ただ、一太刀。
巨躯の胸部を覆う筋肉と骨を断ち、その奥に埋まる律子結晶まで、真っ直ぐに斬り抜いている。
隊員は、特殊機動隊が消えた森の奥へ目を向けた。
「……化け物を斬る方も、化け物かよ」
◇ ◇ ◇
機動隊一行は、行方不明者の最終位置を目指して森を進んでいた。
「要救助者は二名。男性一名、女性一名だ」
玖狼の一言に、それぞれが森へ視線を巡らせる。
隊員たちが散開し始める中、黎だけはそっと、紅牙のもとへ歩み寄った。
「……さっきは助けてくれて、ありがとう」
紅牙はちらりと空色の瞳を見返すと、何事もなかったように前を向いた。その代わりと言わんばかりに、大きな尻尾が一度だけ静かに揺れる。
「……ふふ」
思わず頬が緩む。
少し素っ気ないようにも見えるその仕草が、不思議と嬉しかった。
『――玖狼さん』
通信越しに届いたショウキョウの声が、わずかに強張る。
『要救助者二名の生体反応が消失しました』
玖狼の深紅の瞳が鋭く細められた。
「全員、急げ!」
隊員たちが一斉に駆け出す。
「みんな!」
ほどなく、雷の声が森に響いた。
草木をかき分けた先には、男女二人の姿が横たわっている。
玖狼は無言でしゃがみ込み、二人の首元へ順に手を添え――やがて静かに首を横へ振った。
「……もう一匹、金瞳虎王がいたのか?」
雷の表情から、わずかに険が増す。
ほんの少し前まで、生体反応はあった。
玖狼の視線が、周囲の森へ向く。
「……周囲を警戒しろ」
隊員たちが即座に反応した。
雷と折嘉が前へ出る。祇珠とアルベールもそれぞれ武器を構え、背後へ視線を走らせた。
紅牙は鼻先をわずかに上げ、森を流れる風の匂いを拾う。
その中心で、黎だけが玖狼とともに遺体の傍へ残った。
――なんか、変な気がする。
膝をつき、傷へ目を向ける。
衣服は胸元から大きく裂け、その下には深い裂傷が刻まれていた。
「……違う」
思わず漏れた声に、玖狼が視線を向ける。
「何がだ」
黎は傷口をじっと見つめたまま、小さく首を振る。
「爪なら、もっと肉を抉る。……牙なら噛み跡が残るはず」
指先で裂傷の縁をなぞる。
森の暮らしで見た、獣が獲物を裂いた傷は、もっと荒い。
筋肉を引き千切り、骨を砕く。
「こんな傷にはならない……綺麗すぎる。まるで、刃物で斬ったみたい」
紙を裂いたような一直線の切断痕。
異獣が襲ったとは思えない、不自然な傷だった。
「狩人としての勘か?」
警戒を続けたまま、雷が問う。
「……うん」
黎は静かに頷いた。
「獣が獲物を傷つける跡とは違う」
『玖狼さん』
再び、ショウキョウの声が届く。
『さきほどの討伐終了後、新たな金属性術律の発動をこの周辺で確認いたしました』
玖狼の目が細められる。
『ですが……先ほどまで確認されていた術律反応とは波形が一致しません』
「敵か!?」
雷が拳を握る。
『断定はできません。ですが――』
ショウキョウの言葉が止まった。
『......反応が、定まりません』
紅牙の耳がぴくりと震えた。
「グルルルル……」
玖狼が剣の柄へ手を掛ける。
「来るぞ!」
ザンッ――
何かが視界を横切った。
そして、背後の大木が、音もなく斜めへ滑り落ちる。
「これは、敵ってことだよなあ!」
雷は赤い革手袋を軽く引っ張ると、拳を二、三度握り直す。
「まだまだ戦えるぜ」
褐色の瞳が獰猛に輝いていた。
「姿は見えたか」
玖狼は周囲へ素早く視線を走らせた。
「いや!」
雷は拳を構えたまま首を振る。
折嘉もまた大盾を構え剣の柄に手を添えた。いつでも動けるよう身構えている。
風に揺れる木々の葉擦れだけが、静寂をかすかに揺らしている。
「moque lf sense」
黎が木属性の術律を詠唱した。
淡い青緑色の律子が足元から森へ溶け込む。
草花が揺れ、木々の葉がかすかにざわめいた。
植物へ意識を広げる。
枝葉の揺らぎ。踏み荒らされた草。地中を這う根が捉えたわずかな振動。
森で育った狩人としての経験と、得意とする木属性の術律。
その二つを併せ持つ黎にとって、森林での索敵は十八番だった。
強い術律の反応を掴めた感覚が、した。
「......警戒して!」
黎の空色の瞳が、森の一点へ向く。
「すぐ近くに、いる」
「位置は?」
「……あっちだと、思うんだけど」
――うまく反応を絞り込めない……。
この森で、黎が敵の位置を捉えきれない。
玖狼の表情が険しくなる。
「隠蔽か」
誰一人として敵の姿を捉えられない。
「なら、炙り出すぞ」
紅牙が一度顔を下げる。
大きく胸を膨らませると――
「ゥオオオオオオオ――ッ」
森を震わせる遠吠えが響き渡る。
その遠吠えに返事をするように、黎が指した方角で木々が揺れた。
枝葉をかき分けながら、巨大な影がゆっくりと姿を現した。
「……金瞳虎王?」
雷が目を細める。
そこにいたのは、さきほどまで見ていた黄金の巨躯ではない。
全身を覆う毛並みは白銀にも似た、白金色。
陽光を浴びるたび、金属のような鈍い輝きを放っている。
玖狼も息を呑んだ。
「あれは……」
低く唸った金瞳虎王が、一歩踏み出す。
ギィン――
甲高い金属音が森へ響いた。
「毛じゃねぇ……?」
白金の毛並みが逆立つ。
否。
一本一本が、宙へ浮き始めた。
「――ッ?!」
無数の金属片が一斉に射出される。
「散れ!」
隊長の声と同時に、一行は左右へ飛ぶ。
黎も左に大きく避けて、玖狼と隊員たちの安全を視界に収める。
鋭い金属片が木々を切り裂き、地面へ深々と突き刺さる。
その着弾を待っていたかのように、地面が隆起した。
白金の鉱石が槍となって突き上がる。
「っぶね!!」
雷が身を捻って回避する。
玖狼の炎を纏った剣が目前の鉱石槍を断ち切る。
砕け散った破片の向こうで、白色の律子を帯びた黎の銃弾が次の一本を撃ち抜いた。
『そんな……』
通信越しに、ショウキョウの息を呑む声が聞こえる。
『金属性術律ですわ……』
玖狼は白金の虎を見据えたまま問う。
「近くに術律士は?」
一拍置き、『おりません』と、彼女は静かにそう告げた。
『異獣による術律の行使は、これまで一例も確認されておりません。少なくとも、現在判明している記録では』
異獣は、術律を使わない。
誰も疑うことすらなかった、その前提を。
目の前の白金の虎は、たった今覆していた。
『ですが、間違いなく金属性術律はあの個体から発動しています』
ショウキョウの言葉に、白金の虎だけが低く唸り返事をした。
玖狼だけは視線を逸らさない。
「なら、考えるのは後だ。……総員、構え!」
雷が前へ出る。
黎は一歩引き、銃を構える。
折嘉、祇珠、アルベールも迷いなく左右へ展開した。
「ショウキョウ」
『はい』
「解析を続けてくれ。何でもいい。あれの情報を集めるんだ」
『承知しました』
雷が獰猛に笑う。
「今日はいい日だって思ってたんすよ!まさか二戦目まであるなんてなぁ!!」
淡い黄色の律子を全身に纏ったまま、白金の虎へ肉薄する。
巨躯の脇腹へ、渾身の回し蹴りを叩き込んだ。
鈍い衝突音が響く。
しかし、巨躯は揺らがない。
鋼を殴りつけたような衝撃だけが、雷の脚へ跳ね返った。
「かっ……てぇ!!」
その隙に玖狼が踏み込む。
一閃。
赤く燃える剣閃が白金の腹部を浅く裂く。
紅牙は死角へ回り込み、牙を剥いて跳びかかった。
金瞳虎王の視線が揺れる。
玖狼の声が飛んだ。
「黎!」
黎の銃声が応える。
銃弾が白金の右肩を撃ち抜く。
「雷、折嘉!」
隊長の指示に、二人も迷わず飛び出す。
雷の蹴りが虎王の前脚を薙ぐ。
ほぼ同時に、折嘉が大盾を構えたまま巨躯へ突っ込む。
重い衝撃が立て続けに叩き込まれ、虎王の身体が大きく傾いた。
「隊長と一緒だと、やっぱ戦いやすい!」
雷が豪快に笑う。
折嘉も大盾を構え直しながら、同意するように一度頷いた。
黎は照準を微かに修正する。
――やっぱり。玖狼がいると、みんなの動きが噛み合う。
もう一発の弾丸も、先ほどとは反対の肩を打ち抜いた。
虎王が大きく体勢を崩す。
その隙を見逃さず、玖狼が跳ぶ。
「emn plsx surge」
赤い律子が剣身へ吸い込まれ、刀身が灼熱に染まる。
紅蓮の斬撃が白金の胴を深く裂いた。
鮮血が飛び散る。
「ヴガァアアアアアアアアア」
金瞳虎王が苦悶の咆哮を上げた。
『玖狼さん!』
ショウキョウの声が鋭く響く。
『金属性律子が急激に収束しています!』
白金の体毛がわずかに震えながら眩く輝き始める。
「来るぞ!」
玖狼が吠える。
全員が身構えた。
キィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン
甲高い金属音をたてながら、白金の身体が内側から軋む。
そして――
爆ぜた。
白金の巨躯が、一瞬にして微細な粒子へと砕け散る。
白い粒が辺り一面へ舞い上がり、視界を覆い尽くした。
誰も動けない。
『……術式が、崩壊しています』
ショウキョウが震える声で呟いた。
やがて、舞い上がった粒子が風に流されていく。
そこに、白金の虎の姿はなかった。
玖狼は何も残されていない地面を見つめ、静かに息を吐いた。
「何が、起きている……?」
誰もが、その光景をただ見つめていた。
異様な静寂だけが、森に残されていた。
毎週土曜日12時更新予定です。
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