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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第5章「森の隣人たち」

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第99話「嗅ぐな。絶対に嗅ぐな」

 フィーネが来た。

 自分から。


 朝靄がまだ残る集落の入口に、金髪のエルフが立っていた。

 腕を組んで、翡翠の瞳をすっと逸らしている。


「森の監視のために来ただけです。勘違いしないでください」


 監視って。

 ここは森じゃないんだが。


 昨日の共同管理協定の初日。フィーネが自分から集落に足を運んでくるなんて、長老が聞いたら気絶するんじゃないか。

 あのばあさんの驚く顔は見てみたいが──まあ、めんどくさいことになりそうだからいい。


「フィーネさん来たーっ!」


 ルナの声が集落中に響いた。

 銀色の尻尾がちぎれるんじゃないかってくらい振れている。


「ルナ、走るな。朝から──」


 遅い。


 ルナが全力で駆け寄って、フィーネに飛びついた。

 小柄なエルフが受け止められるわけもなく、二人がまとめて倒れた。


「きゃっ──!」


「フィーネさーん! 会いたかったー!」


「ちょ──っ、ルナ! 重い……!」


 地面に倒れたフィーネの上で、ルナが顔を擦り寄せている。

 銀髪がフィーネの顔にかかって、ルナの尻尾が嬉しそうにぱたぱた揺れて。

 ……で、ルナの胸元にフィーネの顔が押しつけられている。


「む、むぐっ……! い、息が──!」


 フィーネが手足をばたつかせた。

 三百歳のエルフが獣人族の豊かな胸に窒息しかけている。朝からなんて光景だ。


 けしからん。

 実にけしからんが、助けないと死ぬ。


「ルナ、いい加減に離してやれ」


「えー、でもフィーネさんあったかい!」


「あったかいじゃない。窒息してる」


 俺はルナの背中を掴んで引き剥がそうとした。

 ルナを引っ張ると、フィーネも一緒にずるずると引きずられてくる。しがみついてるのかしがみつかれてるのか分からない。


 しゃーない。

 フィーネの手を掴んで引き起こすしかない。


 手を伸ばした。

 フィーネの右手を取る。


「──っ」


 ……細い。


 思っていたより、ずっと細い指だった。冷たくて、でも柔らかい。あの【植物操作】で巨木の根を引き抜いた手とは思えない華奢さだ。


 こいつ、見た目は強気だけど──


「て、手を……!」


 フィーネの声が裏返った。

 翡翠の瞳が至近距離で俺を見上げている。視線が泳ぎ、すぐに横を向いた。


 そして──耳。

 長い耳の先端が、真っ赤になっている。


 エルフって、耳に出るのか。


「すまん」


 引き起こして、すぐに手を離した。

 フィーネが俺から二歩、三歩と距離を取る。

 離した手がまだ冷たい。指先に、あの柔らかさの感触が残っている。


「……き、汚れました」


 フィーネが服の土を払っている。

 耳はまだ赤い。


「フィーネさん、ごめんね? でもうれしくて!」


「次からは走らないでください。というかぶつからないでください」


「はーい」


 ルナはまるで反省していない。また何か言いたそうな顔をしている。


 俺とフィーネの間に、妙な沈黙が流れた。

 ルナだけが首をかしげて「?」という顔をしている。


 ……とりあえず、仕事をしよう。楽になるために。



---



 共同管理の初日は、順調に終わった。


 枯死区画に温泉水を運ぶ水路の設計を俺が考えて、フィーネが植物で水路の壁を作って、ルナが嗅覚で地下水脈の位置を嗅ぎ当てる。

 水路の傾斜は【効率化】で算出した。温泉水の温度が下がりすぎない距離と、マナの滞留点を避ける角度。フィーネが蔦で編んだ水路に最初の一筋が流れ込んだとき、ルナが「あったかい水のにおい!」と尻尾を振った。

 三人いると、一人でやるより圧倒的に楽だ。

 楽ができるなら、何人仲間がいてもいい。俺は怠惰を愛する者だ。


 午後の作業を終えて、集落の広場で休憩していた。

 フィーネが木のベンチに座って、集落の様子を眺めている。子どもたちが走り回っている光景を、翡翠の瞳がじっと追っていた。


「……で、本当に何しに来たんだ? 監視なら森でやればいい」


 水の入った杯を差し出しながら訊いた。


「……べ、別にお礼を言いに来たのではありませんから。森のために来ただけです」


 三百年も生きてるくせに、嘘が下手だ。


「フィーネさん」


 ルナがくんくんと鼻を鳴らした。


「……ルナ?」


「フィーネさん、うそ! うれしいにおいだよ!」


 フィーネの動きが止まった。


「いまのにおい、すっごくうれしいにおい! あたし、このにおい好き!」


「──嗅ぐな!」


 フィーネの声が集落中に響いた。

 鳥が数羽、驚いて飛び立つ。


「えー、でもほんとにうれしいにおいだもん。隠してもにおいは隠せないよ?」


「獣人の嗅覚は……プライバシーの侵害です……!」


 フィーネが早口でまくし立てた後、両手で顔を覆った。

 長い耳が隠しきれていない。耳がぴくぴく動いている。


「フィーネさん、ここ好き? みんなのこと好き?」


「好きとか嫌いとかそういう話ではなく──森の管理のために必要な連携先として──」


「においはうれしいって言ってるよ?」


「鼻を信じるな! わたくしの言葉を信じなさい!」


 無理がある。


 俺は杯の水を飲みながら、赤くなったエルフをぼんやり眺めた。

 ……あいつが来てくれた方が、森の管理は楽だ。



---



 夕方。

 西の空が橙色に染まる頃、フィーネが立ち上がった。


「……そろそろ戻ります」


「また来てね! 絶対だよ!」


 ルナが両手を振った。銀色の尻尾がブンブン揺れている。


「来ません。森の管理のために必要な時だけ来ます」


 フィーネが背を向けた。

 夕日を受けた金髪が、橙色に透けている。


 ……あいつ、尻尾があったらブンブン振ってるタイプだな。


 フィーネの背中が、森の入口に向かって遠ざかっていく。

 小さくなっていく背中を見送っていたら──ルナが俺の袖を引いた。


「ユウトさん」


「ん?」


 ルナがくんくんと鼻を鳴らした。

 琥珀色の目が、にっこり笑っている。


「ユウトさんも、うれしいにおいする」


「……嗅ぐな」


「えへへ、フィーネさんとおんなじこと言ってる」


「嗅ぐな。絶対に嗅ぐな」


 ルナの尻尾がぱたぱた揺れた。

 俺は顔を背けて、沈んでいく夕日を睨んだ。


 フィーネの背中が、夕日の中で森に消えていく。


「また来てねー!」


 ルナが手を振る。尻尾がブンブン揺れている。


「……来ませんからっ!」


 遠くから返事が聞こえた。


 明日も来るな、あいつ。

お読みいただきありがとうございました!

本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


本日から一旦100話まで【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励み(と睡眠時間の確保)になります!

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