第98話「俺は寝る。お前らで回せ」
「……三年だ」
長老の声は、四千年分の重みを持っていた。
「三年だけ、試させてやる。それ以上は、認めぬ」
巨木の広間に、沈黙が落ちた。
マナの光が天井を流れている。琥珀色の微光が、長老の深い皺を照らしていた。
フィーネが息を飲んだ。
隣で、ルナの耳がぴくりと立つ。
「……十分です」
フィーネの声が震えた。
深く、深く頭を下げる。金髪が肩からこぼれ落ちた。
「ありがとう、ございます」
エルフにとって、三年は一瞬だ。
長老もそれを分かっている。つまりこれは、ほとんど猶予のない試験だ。
……だが、三年あれば十分だ。仕組みさえ作ってしまえば、あとは勝手に回る。回ってくれないと困る。俺が楽できない。
「あの人間」
長老の視線が、こちらに向いた。
四千年分の眼力で睨まれると、足の指先が無意識に床を掴んでいた。
「本当にあれで大丈夫なのか」
大丈夫じゃないかもしれない。大丈夫じゃないほうが楽だし。
「……大丈夫ではないのですが」
フィーネが顔を上げた。
翡翠の瞳がまっすぐこちらを──いや、長老を見ている。
「結果は出すのです。あの人間は」
……どういう言い方だ。
長老が深い溜息をついた。
---
集落に戻り、俺の家の作業台に地図を広げた。
窓の外では秋の風が木々を揺らしている。昼下がりの日差しが作業台の上に暖かい四角を描いていた。
フィーネが向かいに座る。ルナが横からひょいと顔を覗かせている。
「さて。三年で結果を出す仕組みを作る」
「仕組み、ですか」
「計画なしに三年動いても無駄だ。まず全体を設計して、誰が何をやるか決める。そうすれば──」
あとは寝てても回る。
口に出すと怒られそうなので、飲み込んだ。
「【効率化】、使うぞ」
目を閉じて、森全体の構造を思い浮かべる。
三ヶ月の間伐で得た土壌とマナの情報、フィーネから聞いた植生の特性、温泉周辺の地質。全部をまとめて、【効率化】に流し込んだ。
頭の中に声が響く。
『森林全域のマナ循環地図を生成。北西部の枯死区画を起点に、マナの流れを十二の区画に分割。間伐の優先順位は、枯死隣接部から外周へ。フィーネの植物操作で補助すべきポイントは三十七箇所──季節ごとの作業配分を最適化した場合、年間の必要作業日数は現行の六割に圧縮できる』
六割。つまり四割サボれる。素晴らしい。
「フィーネ、書けるか。全部口で伝える」
「……書けますが」
フィーネが鞄から巻物を取り出した。
植物の繊維を編んだ薄い紙だ。指先に淡い緑の光を灯し、巻物の表面をなぞる。光が通った跡に、濃い茶色の文字が浮かび上がった。
植物操作でインクを繊維に染み込ませている。エルフの記録方法か。墨も筆もいらない。便利だな。
「まず、森を十二の区画に分ける。北西から時計回りに番号を振れ。一番が枯死区画の中心、二番がその東隣──」
俺が口述し、フィーネが巻物に書き留めていく。
区画の境界線、マナの流路、間伐の優先度。季節ごとの作業計画。春は新芽の保護を優先、夏は下草の管理、秋は間伐の本番、冬はマナの蓄積期。
「次。作業の分担だ」
ここが肝だ。
「フィーネが植物の状態を診る。お前の【植物操作】なら、木の内部のマナの流れまで分かるだろう」
「……ええ。触れれば分かります」
「ルナが嗅覚で異変を察知する。病気の兆候とか、マナの偏りとか。ルナの鼻は半日先の変化まで拾える」
「えへへ、任せて!」
「カイが人手を回す。実際の伐採や運搬は力仕事だからな。あいつの統率力なら村の連中も動かせる」
「では、あなたは?」
フィーネの翡翠の目が、真正面からこちらを射抜いた。
「俺は──」
指示を出して寝る。
「全体の進み具合を見て、段取りを調整する。必要なときだけ」
「……必要なときだけ」
「そうだ。仕組みがちゃんと回っていれば、俺が毎日出る必要はない。昼寝しながら待ってるほうが効率的だろ」
「聞こえてますよ。『昼寝』の部分、しっかり聞こえてます」
フィーネの眉が吊り上がった。
だが──巻物に書き留める手は止まらない。
俺の口述する計画を、一字一句、丁寧に記録している。
『三種族の能力を組み合わせた場合の管理効率は、単一種族の四・二倍。特にエルフの診断力と獣人の早期察知は相乗がいい』
四・二倍か。
……そりゃきつい。一種族で四倍以上の手間を抱えていたわけだ。
「……三種族の組み合わせが鍵だ。エルフだけ、人間だけじゃ無理だった。フィーネの診断とルナの嗅覚が合わされば、異変に半月早く気づける。その分、対処も楽になる」
フィーネの筆が止まった。
巻物の上に、びっしりと文字が並んでいる。区画図、作業工程、季節計画、分担表。一枚の巻物に、森の未来三年分が詰まっていた。
「……認めたくないけれど」
フィーネが小さく呟いた。
巻物から目を離さないまま。
「あなたのやり方は……合理的、です」
耳の先が赤い。
巻物に目を落としたまま、一字一句丁寧に書き留めている。
「そうか」
それだけ返した。
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「すごい! ユウトさんとフィーネさんが一緒に何かしてる!」
ルナが身を乗り出して、巻物を覗き込んだ。
「……一緒にじゃない。俺が設計して、フィーネが実行するんだ。効率的だろ」
「わたくしを下請けのように言わないでいただけます?」
「下請けじゃない。現場責任者だ」
「どう違うのですか」
「責任者のほうが偉い。俺は寝てるだけだから」
フィーネが巻物を丸めかけて、ふっと手を止めた。
小さく──本当に小さく、唇の端が上がった。笑ったのだと気づくのに、一拍かかった。
「ルナ」
「なに?」
「匂い嗅がなくていい。嗅ぐな」
「え? あたし何も言ってないよ?」
言ってないが、鼻がひくひくしていた。何を嗅ぎ取ったのかは聞かない。聞いたら負けだ。
フィーネが巻物を丸め、大切そうに胸に抱えた。
植物繊維の紙が、微かに土と若葉の匂いを漂わせている。
「明日から、共同管理の初日です」
翡翠の目が、初めて柔らかく笑っていた。
長老の前では見せない顔だ。巨木の広間で震えていた声とは別人のように、穏やかで。
「……遅刻しないでくださいね」
「俺が遅刻するわけ──」
いや。する可能性はある。朝は眠いし、布団から出るのが人生で一番めんどい。
「……善処する」
「善処、ではなく。来てください」
フィーネの声に、少しだけ力がこもっていた。
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