第97話「キノコが4000年の矜持を折った日」
あの頑固ばあさんを黙らせるには、二つ必要だ。
数字と、飯。
俺の経験上、理屈で動かない相手には胃袋から攻めるのが一番手っ取り早い。
---
試験区画の朝は、三ヶ月前と別の世界だった。
灰色だった下草が青く芽吹き、木々の幹は一回り太くなっている。梢の隙間から射し込む朝日が、露に濡れた葉を光らせていた。
踏みしめた下草が靴底で弾んで、湿った土の匂いが立ちのぼる。
間伐前には聞こえなかった虫の声が、あちこちから響いていた。
「フィーネ、ここの土壌の状態を見てくれ。お前の目でも変化が分かるはずだ」
「……ええ。根の張り方が、明らかに変わっています」
フィーネが地面に片手をかざした。
指先から淡い緑の光が広がり、土の中の根を透かすように走っていく。
「マナの流れが太い。以前の倍近くあります。間伐で日光が入ったことで、下層の植物も活性化している」
よし。それなら数字も出る。
俺は【効率化】を起動した。
『この区画のマナ循環量は間伐前の一・四倍。樹木の幹の太りは二割三分上がっている。根の張りが深くなったことで、土壌の保水力も向上。下草の回復率は七割、小動物の回帰も確認できる』
三ヶ月でこれだ。
数字は嘘をつかない。あのばあさんが何を言おうとも。
「フィーネ、この数字を補強できるか」
「わたくしの【植物操作】で年輪を読めます。成長速度の変化を、木そのものに語らせましょう」
フィーネが近くの木に手を当てた。
幹の断面が淡く光り、年輪の間隔が浮かび上がる。直近三ヶ月の成長層が、それ以前の三年分より厚い。
フィーネが息を飲んで、指先が幹に押し当てられたまま動かない。これならいける。
「ユウトさーん! 見て見て!」
ルナが森の奥から駆けてきた。
両腕に、籠を抱えている。
籠の中には肉厚のキノコがぎっしり詰まっていた。傘の表面がつやつやと濡れて、朝露を弾いている。
「このキノコ、すっごくいいにおい! ここの区画だけ生えてるの!」
ルナの声がいつもより高い。琥珀色の目がきらきら光っている。
「……マナが豊かな土壌にしか生えない種か」
『希少菌──マナ茸。マナ含有量の高い土壌にのみ発生する。食用可能。風味は極めて良好と推定される』
マナ茸。名前のまんまだな。
俺はキノコと、ルナの輝く目を見比べた。
……胃袋作戦も仕込んでおくか。数字だけであのばあさんが折れるとは限らない。
「ルナ、そのキノコ、マーレンに渡して料理してもらえ。なるべく旨そうに頼む」
「うん! マーレンさんの料理おいしいもんね!」
ルナが嬉しそうに駆けていった。
めんどくさいが、二段構えにしておいた方が楽に済む。
---
長老の広間は、巨木の幹をくり抜いた空洞だった。
天井にはマナの光が蒼白く灯り、壁面を覆う苔が仄かに発光している。根が床を這い、自然の椅子のようにうねっていた。
四千年を生きた長老が、その根の玉座に座っている。
皺だらけの顔。翡翠の瞳だけが鋭い。
「……また来たのか、人間」
「結果を持ってきた。見てくれ」
俺は広間の中央に歩み出た。
地面に片膝をつき、【効率化】を起動する。
土の上に、光の線が浮かんだ。
淡い金色の筋が地面を走り、試験区画のマナ循環図を描き出す。木の根のようにうねる光の流れ。左半分が間伐前──細く、途切れがちな線。右半分が間伐後──太く、滑らかに巡る線。
並べて見れば、一目瞭然だ。
「マナの循環量は間伐前の一・四倍。木の幹の太りは二割三分の向上。下草が戻り、小動物も帰ってきている。たった三ヶ月でこれだけ変わった」
光の線が広間を照らしている。
フィーネが一歩前に出た。
「長老。わたくしの【植物操作】でも検証しました。年輪の成長速度が、過去三年の平均を大きく上回っています」
長老は光の図を見下ろしていた。
皺の奥の翡翠が、微かに揺れる。
──が。
「……偶然かもしれぬ」
声は平坦だった。
「エルフの森は数百年の単位で移ろうもの。三ヶ月など、瞬きにも満たぬ」
フィーネの手が、ぎゅっと握られた。
指先が白くなっている。
「長老、これは偶然ではありません。わたくしが──」
「フィーネ。お前はまた人間の言葉に踊らされている」
広間の空気が冷えた。
フィーネが唇を噛む。
……まあ、想定内だ。
理屈で動かない相手がいることくらい、俺だって知っている。だからこそ、二段構えにした。
ここからが本番だ。
「ユバアチャ!」
ルナが広間に飛び込んできた。
長老が目を見開いた。
ユバアチャ──獣人の言葉で、年長者への敬称。エルフが呼ばれ慣れていない響きだ。
「な……何だ、獣人の小娘」
「これ食べて! あの区画で採れたキノコなの! マーレンさんが焼いてくれた!」
ルナが差し出した木皿の上に、それはあった。
肉厚のキノコが、木の実のソースで焼き上げられていた。
傘の表面にソースが照りをまとい、切れ目から透明な汁がじわりと滲んでいる。湯気が立ち上り、焦げた木の実の甘い香りと、キノコそのものの土っぽい芳醇な匂いが広間に広がった。
……俺の腹も鳴りそうだ。サボって昼飯にしたい。
「エルフは人間の食事など──」
「おいしいよ? あたし味見した!」
ルナが耳をぴんと立てて、にっこり笑った。
長老が押し黙った。
木皿を見下ろしている。湯気が皺だらけの顔を撫でた。
「……ほんの、ひとくちだけだ」
長老の細い指が、キノコをひとつ摘んだ。
口に運ぶ。
噛んだ。
眉間の皺が深くなり──ほどけた。
それだけだった。
「……おいしい」
小さな声だった。
長老自身が驚いたような、掠れた声。
広間が静まり返った。
フィーネが目を見開いている。
ルナの目が嬉しそうに細くなった。
「でしょ! あの区画のキノコ、すっごくいいにおいなの!」
長老は黙ったまま、二つ目のキノコに手を伸ばした。
……三つ目も。
俺は壁にもたれて、その光景を眺めた。
結局、胃袋作戦の方が手っ取り早かったじゃないか。
---
帰り道。
森の小径を三人で歩いていると、集落から使いの者が走ってきた。
手に木の箱を持っている。
「賢者さま! マーレンさんから、おすそ分けです!」
箱を開けると、キノコ料理が綺麗に並んでいた。
蓋の裏に、木の札が貼ってある。
『怠惰の賢者さまとエルフの知恵の融合食』
「……誰がこんな名前つけたんだ」
「集落のみんなで決めたそうですよ! マーレンさんが名前を募ったら、満場一致だったって!」
満場一致でこれか。もう少しまともな名前はなかったのか。
使いの者が嬉しそうに帰っていった。
ルナがキノコをもう一つ頬張っている。こいつ、さっきも味見してなかったか。
「……ユウト」
フィーネが足を止めた。
珍しく名前で呼んでいる。
「あの長老が『おいしい』と言ったのは、わたくしの記憶では初めてです」
翡翠の瞳が、夕暮れの木漏れ日を受けて揺れていた。
少しだけ、潤んでいるように見えた。
「……もう一度、提案してみます。今度は、あの人も聞いてくれるかもしれない」
俺は肩をすくめた。
「好きにしろ。俺は寝るぞ。今日は疲れた」
フィーネが小さく笑った。
三百年生きたエルフの笑顔は、やっぱりちょっとだけ、けしからんと思った。
お読みいただきありがとうございました!
本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。
本日から一旦100話まで【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!
もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励み(と睡眠時間の確保)になります!




