第96話「4000年の頑固には勝てません」
エルフの集落は、静かすぎた。
鳥の声も、虫の羽音もない。ただ巨木の枝の間を、マナの光が音もなく流れている。
フィーネの背中が、いつもより小さく見えた。
昨日の温泉で回復したフィーネは、朝一番に俺たちを集落へ案内すると言い出した。
長老に、森の回復計画を直接提案するのだと。
「ユウトさん、すごい……木がぜんぶ生きてるにおいがする」
ルナが目を見開いて、ぐるぐると首を回している。
俺も思わず足を止めた。
巨木だ。
見上げると、幹の中をくり抜いた回廊が何層にも重なっている。螺旋状の階段が枝に沿って伸び、枝と枝の間には吊り橋が架かっていた。
壁はない。代わりに、木の表皮そのものが建築の外壁になっている。窓にあたる穴からは、青白いマナの光がこぼれていた。
住居としての効率性は認めざるを得ない。木を伐らず、生かしたまま建築に転用する。三千年かけて作り上げた技術だ。
──ただし、会議の効率は最悪らしい。
「フィーネ、長老って話が通じるのか」
「……長老は、聡明なお方です」
答えになっていない。
もう確信だ。めんどくさいことになる。
フィーネの足が止まった。
一際太い巨木の前。幹だけで家が三軒は入りそうだ。根元に彫り込まれた門の奥に、薄暗い広間が見える。
「……わたくしが話します。あなたたちは、後ろに」
声が硬い。
フィーネのこういう顔は初めて見る。怒っているのでも、呆れているのでもない。
指先が、袖の端をぎゅっと掴んでいた。
……昼寝して待ってたいところだが、さすがにまずいか。
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広間は、巨木の内部をそのまま活かした空間だった。
天井は高い。見上げると、木の年輪が渦を巻いている。壁面に沿って青いマナの光が脈動し、それだけで室内を照らしていた。松明も蝋燭もない。三千年前からこの光で暮らしてきたのだろう。
空気がひんやりして、樹液の甘い匂いが鼻をくすぐった。
広間の奥に、一人のエルフが座っていた。
老婆──と呼ぶには、背筋が伸びすぎている。
白い髪が腰まで流れ、皺の刻まれた顔にはまだ翡翠の光が宿っている。フィーネの目と同じ色だ。
四千年。人間の寿命で四十回以上。ちょっと想像がつかない。
「──久しいな、フィーネ」
長老の声は、低く、ゆっくりとしていた。
急ぐ理由がないのだろう。四千年も生きていれば。
「長老。お時間をいただき、感謝します」
フィーネが腰を折った。
いつもの高飛車な態度はどこにもない。声が一段低い。
「森の東部、枯死区画の件でまいりました。現在、人間の──」
フィーネがちらりと俺を見た。
「──協力者の手法を用いて、回復の実験を行っています。間伐によるマナ循環の改善は、試験区画で既に結果が出ています。木の成長率が二割以上向上し──」
「フィーネ」
長老の一言で、フィーネの口が止まった。
「人間の手法を、森に持ち込んでいるのか」
静かな声だった。
フィーネの足が一瞬止まり、喉が小さく動いた。
「は、はい。ですが、結果は──」
「お前は以前にも、外の者に関わって問題を起こしたな」
フィーネの肩が跳ねた。
広間が沈黙に包まれる。
フィーネの手が、腿の上で硬く握られていた。
「……あれは、二百年前のことです」
フィーネの声が掠れた。
「人間の学者を森に招き入れた。あの者は森の研究をしたいと言っていた。わたくしは信じた。──結果、古木の枝を何本も持ち去られました」
長老が目を細めた。
「お前の信用で招いた者が、森を傷つけた。その責はお前にある」
「……存じて、います」
「追放を免れたのは、お前の母の嘆願があったからだ。覚えておろう」
フィーネが唇を噛んだ。
拳が白くなるほど握りしめられている。
──こいつ。二百年間、ずっとこれを背負ってきたのか。
「長老。今回は違います。枯死区画を放置すれば、あと百年で東部の森は完全に死にます。わたくしは──」
「百年か」
長老がゆっくりと瞬きをした。
「百年あれば、森は自ら治る。千年前にもそうだった。二千年前にもそうだった。人間の焦りで森を弄る必要はない」
百年を「焦り」と呼ぶのか。
このペースで会議してたら、結論が出る頃には俺は寿命で死んでるんだが。
「──では、その百年の間に失われる命は、どうなるのですか」
フィーネの声が震えた。
「枯死区画の周囲に暮らす小動物たちは。マナの枯渇で弱っていく若木たちは。百年待てない命が、あるのです」
長老は黙って、フィーネを見つめた。
ルナの耳がゆっくりと伏せられていく。俺も息を止めていた。
「……フィーネ。お前の気持ちは分かる。だが、外の者を信じるのは、もうよせ」
それで、終わりだった。
長老が目を閉じた。
それが「話は終わりだ」の合図なのだと、フィーネの表情で分かった。
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集落を出て、森の中を歩いた。
フィーネが一言も喋らない。
金髪が顔にかかっているのに、払おうともしない。
「……また、同じだった」
ぽつりと、声が落ちた。
「わたくしが何を言っても、二百年前のことを持ち出される。百年前の焼却事件のことも。──わたくしは、信じたかっただけなのに」
足が止まった。
細い肩が、微かに震えている。
ルナが、そっとフィーネの手を握った。
「フィーネさん。かなしいにおい、する」
「──ルナ」
「だいじょうぶ。あたし、ここにいるよ」
フィーネが目を伏せた。
握り返す力だけが、答えだった。
……こいつ、三百年間ずっとこの板挟みかよ。
効率悪すぎだろ、その人生。
四千年生きてて視野が狭いとか、あのばあさんも大概だ。だが──悪意で言っているわけじゃない。四千年守ってきたものを、そう簡単には変えられない。それは分かる。
分かるが、めんどい。
ここまで来て結果が認められないのは、もっとめんどい。温泉のマナ成分、試験区画の数値、三ヶ月分の実績。全部揃ってるのに。
言葉で駄目なら、やり方を変えるしかない。
俺は足を止めた。
「フィーネ」
「……なんですか」
「諦めるのは効率が悪い」
フィーネが顔を上げた。
翡翠の目が、赤くなっている。
「……何を、言って」
「言葉じゃ動かないなら、結果を見せればいい。──三ヶ月分の数字は、もう揃ってる。枯死区画の回復が目に見えて進めば、さすがにあのばあさんも無視できないだろ」
「でも、長老は──」
「四千年の頑固に正面から挑んでも勝てない。なら、回り道するだけだ」
サボりの極意だ。正面突破がめんどいなら、横から行け。
まさかエルフの政治問題に役立つとは。
「……あなたは、どうしてそう簡単に言えるのですか」
「簡単じゃない。めんどい。すげえめんどい」
本心だ。
「だが、ここで引いたら、もっとめんどいことになる。それだけだ」
フィーネが俺を見た。
翡翠の瞳が揺れている。
何か、別のものが混ざっていた。
「見せてやるか。……いや、まだめんどいが」
俺は、半分本気で呟いた。
「……三ヶ月分の結果は、もう出てる。突きつけてやれば、あのばあさんも黙るだろ。……たぶん」
フィーネの唇が、かすかに動いた。
笑ったのか、泣きそうなのか。どちらとも取れる表情だった。
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