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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第5章「森の隣人たち」

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第95話「目のやり場に困る湯煙」

 この日の作業で、俺は人生で三番目くらいにけしからん光景を目撃することになる。

 いや、効率的に考えれば疲労回復は重要だ。温泉はそのための手段であり──

 ……言い訳を先に考えている時点で負けている。



---



 昨日のマナ循環の流路図を頼りに、枯死区画の奥へ踏み込んだ。


 灰色の木々の間を縫って、最初の腐った根に辿り着く。

 地面から太い根が飛び出している。表面が黒ずんで、触れるとぬるりとした感触が指に残った。百年かけて腐り続けた木の残骸だ。


「ここだ。この根がマナの流れを塞いでる。フィーネ、抜けるか」


「やってみます」


 フィーネが両手を地面に向けた。

 指先から淡い緑の光が伸びて、腐った根を包み込む。【植物操作】で周囲の土を緩め、根を浮かせていく。


「俺の合図に合わせろ。上に引くんじゃなくて、南西に向かって──そう、マナの流路に沿って滑らせるように」


『根の除去率、三割……五割……マナの流路が部分的に復活。この方向を維持すること』


 なるほど。半分まで来たか。


 フィーネの指先が震え始めた。

 額に汗が浮いている。緑の光が明滅する。


「もう少し、もう少しです──」


 根がずるりと抜けた。

 黒い液体がどろりと溢れて、土に染み込んでいく。


「一本目終了。あと二本」


「……分かって、います」


 フィーネが荒い息をついた。

 三百年生きたエルフだが、体力は見た目通りだ。細い腕、薄い肩。長寿と引き換えに、持久力はない。


 二本目の根は一本目より太かった。

 フィーネの【植物操作】で引き抜くのに、倍の時間がかかった。指先の光が弱くなっていく。


 三本目に取りかかったとき、フィーネの膝が折れた。


「……っ」


 地面に手をつく。金髪が土にかかった。

 肩で息をしている。


「……少し、休ませて」


 声が掠れていた。

 プライドの高いこいつが「休ませて」と口にするのは、よほどだ。


「ルナ、水」


「うん!」


 ルナが革袋を差し出す。フィーネが受け取り、小さく口をつけた。


 ……三本目はまだ残っている。

 だが、今のフィーネに続行させるのは効率が悪い。体力が尽きた状態で無理をしても、作業精度が落ちるだけだ。


 楽に済ませる方法を考えないと。めんどいが。


「あっちにお湯のにおいする!」


 ルナの鼻がひくひく動いた。

 耳がぴんと立って、森の奥を指差している。


「お湯?」


「うん! あったかくて、ちょっとぴりぴりするにおい! こっち!」


 ルナが駆け出した。

 フィーネと顔を見合わせる。温泉か。



---



 森の奥の岩場に、湯が湧いていた。


 苔むした岩の割れ目から透明な水が溢れ出して、自然にできた窪みに溜まっている。湯気が立ち上り、硫黄と——何か甘い匂いが混ざった蒸気が漂っていた。

 周囲だけ草が青々としている。枯死区画の灰色の世界とは別物だ。


「温泉です。森の奥にはいくつか湧いている場所があるのですが、ここは知りませんでした」


 ルナの鼻は大したものだ。


 俺は岩の縁に手を浸した。温かい。

 【効率化】が反応する。


『温泉分析──マナ含有量が通常水の十二倍。筋肉の疲労回復を促進し、マナの循環を活性化させる成分あり。入浴による回復効率は休憩のみの場合の約三倍と推定。適正入浴時間は十五分から二十分。長湯はマナ酔いの可能性あり──』


 マナ含有量が十二倍か。そりゃ周囲の草が元気なわけだ。


「疲労回復に効く温泉だ。マナの含有量がかなり高い。フィーネ、入れば体力が戻るはずだ」


 フィーネが湯気の向こうに目をやった。


「……そうですね。作業を続けるためにも、回復は必要です」


 実に合理的な判断だ。

 俺は効率化が弾き出した適正入浴時間を伝えようとした。


「十五分から二十分が──」


「ユウトさんも入ろう!」


 ルナがもう革靴を脱ぎかけている。早い。


「ルナ。男がいるのですが」


「え? ユウトさんは、ユウトさんだよ?」


 その理屈はおかしい。


 フィーネが腕を組んだ。

 翡翠の瞳が据わっている。


「女性同士ですから構いませんが──あなたは、離れていてください」


「最初からそのつもりだ」


 言われなくても分かっている。

 俺はそのまま温泉から離れ、十分ほど歩いた岩陰に腰を下ろした。


 ……楽な場所を見つけて座る。これも才能だ。

 苔の上は柔らかくて、背中をもたれるのにちょうどいい岩がある。昼寝スポットとしては悪くない。



---



 水音が聞こえてくる。


 距離はあるのに、森が静かすぎるせいだ。ぱしゃん、という軽い音。


「きもちいい〜! あったかい!」


 ルナの声が森に響いた。

 声がでかい。もう少し小さくしてくれ。


「フィーネさんのお肌すべすべ! ねえ触って! つるつる!」


「触らないで! というかルナ! そんなところを触らないでください!」


「えー、だってすべすべなんだもん!」


「だ、だからって──きゃっ、やめ──っ!」


 水の跳ねる音と、甲高い悲鳴が交互に聞こえてくる。

 俺は岩に背を預けたまま、空を見上げた。


 ……何も聞いていない。俺は何も聞いていない。


 【効率化】が勝手に動き始めた。


『温泉水の追加分析──この温泉水に含まれるマナは、植物の成長を促進する性質を持つ。枯死区画の土壌に直接散布することで、マナ循環の回復を補助できる可能性あり。さらに──』


 ありがたい。実にありがたい。

 今は温泉の成分分析にでも集中していないと、理性が保てない。


「ユウトさーん! もう来ていいよー!」


 ルナの声が飛んできた。

 俺は立ち上がり、ゆっくりと──わざとゆっくりと──温泉の方へ戻った。



---



 戻るんじゃなかった。


 温泉の縁の平たい岩に、二人が並んで座っていた。

 服は着ている。着ているが──髪が濡れている。


 フィーネの長い金髪が、しっとりと背中に貼りついていた。

 湯上りの肌が、木漏れ日を受けてほんのりと上気している。翡翠の瞳が湯気の中でいつもより潤んで見える。


 ルナがフィーネの髪を梳かしてあげていた。

 銀髪と金髪が指の間で交差して──二人が並んでいる絵面が。


 ……けしからん。


 絶対にけしからん。


「何を見ているのですか!」


 フィーネが声を上ずらせて叫んだ。


「何も見てない」


 見てた。全部見てた。


「ユウトさん、フィーネさんの髪きれいだよ! さらさらになった!」


「ルナ、余計なことを言わなくていい」


「余計じゃないよ? ほんとにきれいだよ?」


 フィーネが頬を押さえた。

 三百歳が十代の少女みたいな反応をしている。


 ……とりあえず、効率の話をしよう。理性を保つために。


「フィーネ、体力は戻ったか」


「──ええ。嘘のように、身体が軽くなりました」


「マナ含有量が高い温泉だ。疲労回復の効率がいい。三本目の根も、明日なら抜けるだろう」


「そう、ですね」


 フィーネが髪を耳にかけた。

 濡れた金髪が、指の隙間から光を散らす。


 見るな。目を逸らせ。効率の話だ。


「……この温泉は、毎日来ても構いませんから」


 フィーネが小さく言った。


「森のためです。作業後の回復手段として、合理的ですから」


「ああ。合理的だな」


 合理的。そうだ。合理的な話をしている。

 それ以外の話ではない、まったく。


 ルナの尻尾がぱたぱた揺れている。

 嗅覚でどこまで察しているのか。何も言わないのが余計に怖い。



---



 帰り道、ふと気づいた。


 温泉のマナ成分を分析した結果が、まだ頭に残っている。


『この温泉水──枯死区画の根に直接流し込めば、マナ循環の回復を大幅に早められる』


 ……なるほど。つまり、あの温泉にはまた来る理由があるわけだ。

 効率的な理由が。それだけだ。

お読みいただきありがとうございました!

本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


本日から一旦100話まで【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励み(と睡眠時間の確保)になります!

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