第100話「ヒゲのオッサンが来た」
村が変わった。
森から届く高品質の木材で、新しい家が次々と建ち始めている。
木の香りが風に乗って、朝の空気を満たしていた。
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通りを歩くだけで分かる。
二週間前とは別の場所だ。
柱の太さが違う。壁板の厚みが違う。マーレンの食堂は壁を一枚ぶち抜いて、隣の空き地まで広がっていた。入口に掲げられた看板は新しい木の色をしている。
「朝ごはん置いてくわよー! あんたたちの分もあるからねー!」
マーレンの声が通りに響いた。
食堂の前を通りかかると、大きな鍋から湯気が立ち上っている。香草と木の実を煮込んだ粥のいい匂いだ。
……腹は減っているが、今は食堂に入りたくない。
入ったら最後、住民に捕まる。
「賢者さま、おはようございます!」
遅かった。
道を整備していた若い住民が、満面の笑みで近づいてきた。
その後ろからもう二人。三人。気づけば五人に囲まれている。
「賢者さま、新しい家が素晴らしくて! 木の質が全然違います!」
「森のエルフの方からいい木材を分けていただいて──」
「賢者さまがエルフまで味方に引き入れるとは。もはや怠惰の賢者を超えて、大賢──」
「次の二つ名を言うな」
俺は全力で遮った。
「絶対にやめろ。これ以上の称号はいらない。俺は楽に暮らしたいだけだ」
住民たちが顔を見合わせて、感動したような表情をしている。
その反応がもう駄目だ。
「ユウトさーん! フィーネさん来たよー!」
ルナが駆けてきた。
その後ろを、長い金髪のエルフが歩いてくる。背筋が伸びた足取りは優雅だが、視線はあちこち泳いでいる。
「……森の状態を確認しに来ただけです。毎日来るのは監視のためです」
フィーネが早口で言った。
耳の先が赤い。
「はいはい。監視な」
「そうです。監視です。人間の集落に興味があるわけでは断じてありません」
「フィーネさん、今日も嬉しいにおいするー」
「嗅がないで!」
フィーネがルナから距離を取ろうとしたが、ルナの方が速い。いつの間にか隣に並んで、尻尾をぱたぱた振っている。
「匂いを嗅ぐのは……もう、諦めました」
「えへへ」
二人が並んで歩いていく。
二週間前に睨み合っていたのが嘘みたいだ。
……まあ、平和ならいい。平和なら昼寝ができる。
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だが、昼寝の前にやることがある。
作業場の長机に地図を広げた。
カイが向かいに座り、フィーネとルナは少し離れた場所に立っている。
「木材の供給は安定した。森との共同管理で、質のいい木が定期的に入ってくる」
「おう。大工連中も腕が鳴るって喜んでるぜ」
カイが腕を組んだ。
頼もしい反応だが、俺はそう楽観していない。
……現実から目を逸らすと後が怖い。
地図に手を置いて、【効率化】を発動した。
『現在の木材供給量で建築可能な住居数は最大五十棟。ただし構造強度に限界がある。石材との組み合わせが理想だが、周辺に適した石切り場がない』
五十棟が天井か。
今の集落は三十棟弱。あと二十棟は建てられるが──木だけで建てた家には限界がある。二階建ては厳しい。倉庫も、食堂の拡張も、壁の厚みで制約がかかる。
「石がない。木だけじゃ、ここから先の発展に天井がある」
「石か……」
カイが顎に手を当てた。
「北の山に石切り場があれば、運べなくはないが」
「距離がな。往復で丸一日かかる」
サボる時間がなくなるのは困る。
根本的にどうにかしないと、俺の昼寝ライフに響く。
そのとき──
ガァン、ガァン。
遠く、北の山の方から、金属を叩く音が聞こえた。
リズミカルで力強い。規則正しい間隔で、硬いものが硬いものを打つ音。
風に乗って、断続的に響いてくる。
ルナの耳がぴんと立った。
「……この音、知らない。すごく遠いけど、金属のにおいがする」
ルナの鼻がひくひく動く。
匂いまで嗅ぎ分けるのか。どういう鼻だ。
振り返ると、フィーネの顔色が変わっていた。
翡翠の瞳が見開かれ、北の山を凝視している。
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「……この音を、わたくしは知っています」
フィーネの声が硬い。
「山の民の鍛冶の音です」
「山の民?」
カイが眉を寄せた。
「ドワーフ。北の山脈に住む種族です。金属を鍛え、石を削り、地下に都市を築く民」
フィーネが北を見つめたまま続けた。
「三千年のあいだ、彼らは山を降りなかった。エルフとの交流も途絶えていました。それが──動き出した」
三千年。
エルフの長老が四千歳だから、長老の記憶にすら新しい時代の話だ。
「金属加工の種族なら、石の扱いにも長けているか」
「……ええ。石材、鉱石、金属。地のものを扱わせれば、右に出る者はいません」
ちょうど石がないと嘆いていたところに、石と金属の専門家がいるわけだ。
出来すぎている。
内心でため息をついた。
……ドワーフか。次は何だ。ゴブリンか?
いやそれは勘弁してほしい。
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数日後の朝だった。
ルナが真っ先に気づいた。
「──ユウトさん! 北から誰か来る!」
耳がぴんと立ち、鼻がひくひく動いている。
瞳がきらきらしていた。未知の相手への好奇心が隠せていない。
「……鉄のにおい。すごく強い。あと──お酒のにおい」
朝から酒臭いのか。
北の山道を見れば、小柄な影が一つ。
近づくにつれて、輪郭がはっきりしてくる。
背丈は俺の胸くらい。だが肩幅が広い。逞しいなんてもんじゃない。腕が丸太のように太く、首にはゴーグルをかけている。
背中に背負ったハンマーは、本人の体に見合わない巨大さだ。
そして──赤い髯。
顎から胸まで届く見事な赤髯が、朝の風に揺れていた。
男は村の入口で足を止め、ぐるりと周囲を見渡した。
新しい木造の家並み。整備された道。朝靄に煙る集落の全景。
目が輝いた。
大声が、村じゅうに響き渡った。
「おい! この辺に面白い設計をする人間がいると聞いたんだが! ガハハハ!」
笑い声が地面を揺らすかと思った。
住民が驚いて家から顔を出す。カイが腰の斧に手をかけた。フィーネが眉をひそめている。
ルナだけが尻尾を振っていた。
「ユウトさん! あの人、すっごくいいにおいする! 鉄と……なんか楽しいにおい!」
楽しいにおいとは。
赤髯の男が、こちらに気づいた。
ずんずんと歩いてくる。一歩が重い。地面が軋む。
「お前か? 木だけでこれだけの村を建てた人間ってのは!」
至近距離で見ると、さらに酒臭い。
ゴーグルの奥の瞳は、鍛冶の炎を映したみたいに赤みがかっている。
……ヒゲで小柄で酒臭い。
定番すぎる。
俺の平穏な昼寝ライフに、また新しいめんどくさいのが来やがった。
お読みいただきありがとうございました!
本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。
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