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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第5章「森の隣人たち」

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第93話「あの子の鼻は嘘をつかない」

 ルナの耳が、ぺたんと伏せた。


 フィーネが森から戻ってきた朝──長老との交渉が不調に終わったのは、表情を見れば分かった。


 だが、ルナはその前に気づいていた。匂いで。



---



 集落の入口で水汲みをしていた俺は、遠巻きにその光景を見ていた。


 フィーネの足取りが重い。いつもの背筋の伸びた歩き方ではなく、肩が少しだけ落ちている。

 翡翠の瞳がどこか曇って見えるのは、朝日の角度のせいじゃないだろう。


 ……めんどくさいことになった予感がする。


 ルナが駆け寄った。


「フィーネさん」


「……おはようございます、ルナ。何か用──」


「フィーネさん、悲しいにおいがする」


 フィーネの言葉が止まった。

 ルナの鼻がひくひくと動いている。


「昨日の夜から、ずっと泣いてたにおい。目の周りも、ちょっと赤い」


 フィーネの顔が強張った。

 三百年鍛えたポーカーフェイスが、獣人の鼻の前では紙切れ同然らしい。


「……嗅がないでください」


「ごめんね。でも、においは勝手に来るの」


 慰めようとしているのか、ただの反射なのか。たぶん両方だ。

 ルナが小さな手を伸ばして、フィーネの手を握った。


 フィーネが固まる。


「その──その耳で慰めるのは反則よ……」


 声が少しだけ震えていた。


 ……あれは、交渉が失敗したな。

 昨日の夜、フィーネは「もう一度、長老に掛け合います」と言って森に帰った。

 結果は──見るまでもない。


 俺は水桶を置いて、木陰に座り直した。

 関わるべきか、放っておくべきか。

 正直なところ、エルフの内輪揉めに首を突っ込むのはめんどくさい。昨日もそう思ったし、今朝も変わっていない。


 だがまあ、あの枯死が広がれば試験区画にも影響が出る。俺の昼寝場所がなくなる。

 それは困る。



---



「フィーネさん、こっち! 来て!」


 ルナがフィーネの手を引いて走り出した。

 どこに行く気だ、あいつ。


 仕方なく後を追う。

 ルナの足は試験区画に向かっていた。


 森の中に踏み込む。

 日差しが枝の隙間から降り注いで、地面に金色の模様を描いている。


 間伐を始めてもう三週間になる。

 試験区画の変化は、最初に来た頃とは比べものにならない。


 残った木々は幹が太くなり、葉の色が深い。根元には下草がびっしりと茂って、その間を小さなトカゲが走り回っている。

 鳥の囀りが頭上から降ってきた。二週間前には聞こえなかった声だ。


 フィーネが思わず深く息を吸い込んだ。腐葉土と若葉の匂い──森が生きている匂いだ。


「ここ見て! フィーネさん!」


 ルナが両手を広げた。


「間伐した森、こんなに元気! ユウトさんの効率化で、木がね、前より太くなったの!」


 フィーネが足を止めた。

 翡翠の瞳が、木漏れ日の中を泳いでいる。


「……見れば分かります」


「でしょ! すごいでしょ!」


 フィーネが近くの木に手を当てた。

 指先から金色の光が滲む。【植物操作】だ。


 しばらく黙ったまま、光が幹を伝っていく。

 やがてフィーネが目を見開いた。


「……マナの巡りが、以前の一・五倍近くに……」


「でしょ! ルナね、鼻で分かるよ! この区画だけ、森の空気があったかいの!」


 ルナの鼻がひくひく動く。

 こいつの嗅覚は、本当にスキルと同じくらい正確だ。


 フィーネが木から手を離した。

 金色の光が消える。

 その手が、わずかに震えていた。



---



「でも、長老たちは……」


 フィーネの声が小さくなった。

 試験区画の木陰に座り込んで、膝を抱えている。三百歳のエルフとは思えない、小さな姿だった。


「伝統の方法で対処すると。外の力に頼ることは、エルフの誇りを──」


「フィーネさん」


 ルナがフィーネの隣に腰を下ろした。

 耳が穏やかに揺れている。


「あたしもね、部族の掟に反したの」


 フィーネが顔を上げた。


「……あなたが?」


「うん。部族の森を出ちゃダメって決まりだった。でもあたし、知らないにおいを嗅ぎたかったの。外の世界のにおいが、ずっと気になってた」


 ルナが空を見上げた。

 木漏れ日が銀色の髪をきらきら光らせている。


「にいにに怒られた。すっごく怒られた」


 ルナが少しだけ笑った。

 俺はそれを聞きながら、木の幹にもたれかかっていた。

 ルガの顔が浮かんだ。南の草原で、あの巨体を揺らしながら「任せたぞ、人間」と言った獅子の横顔。


「でもね、にいにとは約束したの。たまに帰るって。だから──あたしはここに来てよかった」


 ルナがフィーネの方を向いた。

 まっすぐな瞳だった。


「新しいにおいがいっぱいあった。おいしいごはんも。すてきな人たちも。それに──フィーネさんにも会えた」


「──」


「フィーネさんも、きっとだいじょうぶ」


 唇を噛んで、噛んで、でも堪えきれなかった。


「……あなたは、ずるい」


 涙がこぼれた。

 翡翠の瞳から、一筋、二筋。


「そんな──そんなまっすぐに言われたら……」


 ルナがフィーネに身を寄せて、小さな腕を回した。

 くすぐったそうにフィーネが身を捩じった。


 ──それでも、離れなかった。


 サボりたい。

 木陰で寝ていたい。あっちに行きたい。

 だが、目が離せなかった。


 泣いているエルフと、それを抱きしめている獣人。

 種族も年齢も何もかも違うのに、あの二人の間にある何かを──俺のスキルでは測れない。


 人の心は、効率化できない。

 それだけは、はっきりと分かった。



---



 しばらくして。

 フィーネが立ち上がった。

 目元は赤いが、瞳の曇りは消えていた。


 ルナの手を一度だけ握り返してから、俺の前に歩いてきた。


 まっすぐ立って、背筋を伸ばして。

 ──そして、頭を下げた。


「……森を、見てくれませんか」


 三百年のプライドを曲げた声だった。

 震えている。──でも、頭を下げたまま動かない。


「長老たちは反対しています。でも、このままでは森が死にます。わたくしの【植物操作】だけでは、もう……」


 言葉が途切れた。

 頭を下げたまま、拳が白くなるほど握りしめている。


 俺は木の幹にもたれたまま、空を見上げた。


 めんどくさい。

 本当に、めんどくさい。


「……しゃーないな」


 フィーネの肩が震えた。


「ただし、条件がある。俺のペースでやる。急かすな、働かせすぎるな。あと昼寝の時間は確保しろ」


「……あなたは──」


「楽にやれる方法を考えるのが俺の仕事だ。大変なことを大変なままやるのは、効率が悪い」


 ルナが両手を握りしめて、声にならない声で飛び跳ねている。嬉しいんだろう。分かりやすいやつだ。


 フィーネが顔を上げた。涙の跡が、翡翠の瞳を光らせている。


「明日、森の奥に案内します。覚悟してきてください」


 ……覚悟って何だ。昼寝の覚悟ならいつでもできているんだが。

お読みいただきありがとうございました!

本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


本日から一旦100話まで【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励み(と睡眠時間の確保)になります!

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