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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第5章「森の隣人たち」

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第92話「めんどい問題が来た」

 昨日あんなに美味そうに木の実を食べていた女が、今日は唇を噛んでいる。

 フィーネの翡翠の瞳に、いつもの鋭さがない。


 ……また何か来る。



---



 朝飯の片付けもそこそこに、フィーネは集落の広場に現れた。

 いつもなら腕を組んで「おはようございます」のひと言もなく用件を切り出すくせに、今日は入り口で立ち止まったまま動かない。


「フィーネさん、悲しいにおいがする」


 ルナの耳がぺたんと伏せた。

 鼻をひくひくさせて、まっすぐフィーネの方を見ている。

 ──その目が、潤んでいた。

 フィーネの悲しみを嗅いで、ルナ自身が泣きそうな顔をしている。こいつにとって匂いを嗅ぐというのは、たぶん俺たちが誰かの泣き顔を見るのと同じなのだ。嗅いだ瞬間に、もう感じてしまっている。


「……匂いで分かるの?」


「うん。昨日はね、うれしいにおいだった。今日は、ちがう」


 ルナの声が小さく震えていた。

 情報を伝えているんじゃない。一緒に悲しんでいる声だ。


「……フィーネさん、だいじょうぶ?」


 ルナが一歩、前に出た。

 伏せた耳のまま、上目遣いでフィーネを見上げている。


 フィーネの唇が震えた。

 一瞬、泣きそうな顔をして──すぐに持ち直した。さすがの三百年だ。


「……相談があります」


 声は低い。

 俺は木の柵にもたれたまま、あくびを噛み殺した。


 めんどくさい話が来る。絶対に来る。


「森の奥で──木が枯れ始めている区画があるのです」


 フィーネの声は淡々としていた。

 だが、それが逆に深刻さを物語っている。


「枯れる? この森で?」


「ええ。わたくしの【植物操作】でも止められない。マナを注いでも、木が受け取らない。まるで──拒絶しているように」


 ルナがフィーネの手をそっと握った。

 フィーネは振り払わなかった。



---



 森の奥へ向かう道すがら、空気が変わった。


 緑の匂いが薄くなる。代わりに、湿った土と腐葉土の匂い──いや、違う。腐葉土よりもっと嫌な、澱んだ匂いだ。水たまりが干上がった後の、あの淀んだ臭気に似ている。


「ここ、くさい……」


 ルナが鼻を押さえた。

 あの超嗅覚には堪えるだろう。


 木々の色が変わっていた。

 幹は灰色に褪せ、枝先の葉は茶色く縮れている。地面を覆っていた苔も黒ずんで、虫の音もしない。


 ──死んでいる。この区画だけ、森が死にかけている。


「いつ頃からだ」


「気づいたのは半年ほど前です。最初は一本だけでした。それが、今では──」


 フィーネが手を広げた。

 見渡す限り、灰色の木が続いている。数十本はある。


 俺は腰を下ろして、地面に手をついた。

 土の感触が違う。普通の森の土は湿っていて柔らかい。指を差し込めば虫や根の気配がある。ここの土は、冷たくて硬い。指先が弾かれるような拒絶感があった。


 【効率化】が反応した。


『土壌分析──開始。マナの流量を測定……通常値の八分の一以下。マナが地中で滞留し、循環していない。滞留したマナが変質し、周囲の土壌を汚染。根がマナを吸い上げられず、栄養の循環が途絶している』


 ……なるほど。

 マナの流れが止まって、腐っている。木が枯れるのは結果であって原因じゃない。


「地中でマナが詰まって腐ってる。木が枯れるのはその結果だ」


 フィーネの目が見開かれた。


「触っただけで分かるのですか」


「スキルの仕業だ。俺の手柄じゃない」


 面倒なので立ち上がりたくないが、もう少し調べないとまずい気がする。


 隣の区画との境界まで歩いて、もう一度地面に触れた。


『追加分析──滞留の起点を逆算。マナの流れの阻害点は、この区画の南西方向。およそ百年前に高温にさらされた痕跡あり。焼損した根の残骸が地中でマナの通り道を塞いでいる』


「百年前に焼かれた区画、ここの近くにあるか」


 フィーネの顔色が変わった。


「……あります。南西に。百年前、人間の開拓者が放った火で──焼け落ちた森の跡が」


「そこだ。焼けた木の根が地中に残って、マナの通り道を塞いでる。それが原因だ」


 フィーネが言葉を失った。

 地面に膝をついた手が、小刻みに震えている。


「……百年。百年も、あの火の傷が残っていた」


 声が掠れていた。



---



 枯死区画を離れ、少し戻った森の木陰に腰を下ろした。

 生きている木の根元は、苔の匂いがして落ち着く。やっぱり楽な場所がいい。


 フィーネが木の幹にもたれた。

 いつもの姿勢の良さが崩れている。


「長老たちには話したのか」


「……ええ。伝統の方法で対処する、と言われました。祈りと、【植物操作】の儀式で浄化する、と」


「それで効くのか」


 フィーネは答えなかった。

 沈黙が答えだ。


「わたくしは──他の種族に助けを求めるべきだと進言しました」


「それも却下か」


「……はい。エルフの森の問題を外の者に明かすなど、恥だと」


 長老の考えは分からないでもない。三千年の誇りがある。外に助けを求めるのは、その誇りを傷つける。


 だが、誇りで枯れた木は治らない。


「以前にも……似たことがあったのです」


 フィーネの声が小さくなった。


「わたくしが──外の技術を取り入れるべきだと主張して」


 そこで言葉が途切れた。

 唇を噛んで、俯いている。


 ルナがフィーネの隣にそっと座った。

 何も言わずに、肩に寄りかかっている。


「フィーネさん……」


 ルナの声が、かすれた。


 めんどくさい。

 エルフの内部事情なんて、俺にはどうしようもない。


「……エルフの内部問題に首を突っ込むのは、めんどい。めんどいんだが」


 フィーネが顔を上げた。


「分かっています。無理にとは──」


「あの枯れ方を放っておくと、試験区画にも影響が出る」


 フィーネの目が見開かれた。


「試験区画が駄目になると、せっかく作った間伐の仕組みも台無しだ。つまり──俺の昼寝場所がなくなる」


 あの試験区画の木陰は最高なのだ。風通しがよくて、木漏れ日が程よくて。あそこでの昼寝を失うわけにはいかない。


「……あなたは」


 フィーネが呆れたような、泣きそうな、よく分からない顔をした。


「昼寝場所のために、ですか」


「俺が楽できなくなる問題は、俺の問題だ。それを解決するのは、めんどいけど──しゃーない」


 ルナが少しだけ前に出た。

 嬉しそうに両手を胸の前で握っている。こいつは嘘の匂いが分かるくせに、何も言わない。


「……あなたは、変わった人間ですね」


「よく言われる。サボりたいだけの男だ」


 風が吹いた。

 生きている木の葉が揺れて、さわさわと鳴った。枯死区画の方からは、何の音もしない。


 ──放っておくと広がる。あの枯れ方は、止まらない。

 面倒だが、もっと面倒になる前に手を打った方が楽だ。


 フィーネが立ち上がる。翡翠の瞳が、まっすぐこちらを見た。

 唇が震えている。でも、声は震えなかった。


「もう一度、長老に掛け合います。……結果は、明日」

お読みいただきありがとうございました!

本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


本日から一旦100話まで【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励み(と睡眠時間の確保)になります!

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