第91話「認めたくない味がする」
木の実を割った瞬間、甘い蜜の匂いが鼻をくすぐった。
黄金色の果肉から湯気が立つ。マーレンの鍋からは香草の匂いが広がり、隣ではルナの見つけた茸が炭火の上で弾けている。
……腹が減った。こうなると仕事にならない。
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ことの発端は、食材が増えすぎたことだった。
試験区画の間伐が進んで、日当たりがよくなった一角に木の実がごろごろ成り始めた。ルナは森の奥で知らない茸を次々に見つけてくるし、マーレンが集落の裏で育てている香草も山ほどある。
問題は、何と何を合わせればいいか分からないことだ。
……めんどくさ。
「マーレン、この木の実と茸、一緒に煮ていいのか」
「さあねぇ。あたしも初めて見る食材ばっかりだし」
マーレンが鍋をかき混ぜながら肩をすくめた。
食堂の竈には三つ鍋が並んでいて、どれもぐつぐつ煮えている。試行錯誤の最中らしい。
めんどいが、しゃーない。
俺は木の実を手に取って、【効率化】を発動した。
『食材分析──開始。この木の実は加熱すると糖度が増し、甘みが強くなる。茸は長時間加熱すると旨味が抜ける。軽く炙るだけが最適。組み合わせとして、木の実の甘みと茸の旨味は相補的。香草を少量加えれば風味が締まり、栄養の吸収効率も向上する』
……なるほど。
要するに、木の実は煮込め、茸はさっと炙れ、ということだ。
「マーレン。この木の実は鍋に入れろ。茸は出して、炭火で軽く焼くだけにした方がいい」
「あんた、味より先に栄養の話する?」
「効率のいい食い方を言ってるだけだ」
「はいはい。でも、当たってんのよね、あんたの勘」
マーレンが茸を鍋から引き上げて、炭火の上に並べた。
じゅっと音がして、香ばしい匂いが立ち上る。
「ユウトさん! いいにおい!」
ルナが駆け寄ってきた。
鼻をひくひくさせて、鍋と炭火の間をうろうろしている。
「つまみ食いするなよ」
「しない! ……ちょっとだけ」
する気だ。
「そうだ! フィーネさんも呼ぶ!」
ルナが目を輝かせた。
つま先が、もう森の方を向いている。
「え、いや、あいつは──」
止める前に、ルナは走り出していた。
銀色の髪が風に流れて、あっという間に森の方へ消えていく。
……まあ、来るかどうかは、あいつ次第だ。
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来た。
渋々という顔を全身で表現しながら、フィーネが広場の食卓についた。
ルナに手を引かれて、半ば強制連行されたらしい。
「別に、お腹が空いていたわけではありません」
耳の先が赤い。空いてたんだろ。
マーレンが木の器に料理を盛りつけた。
木の実の甘い煮込みと、炙った茸、香草を散らした汁物。三種族の食材が一つの食卓に並ぶのは──たぶん、初めてだ。
「はい、スプーン」
マーレンがフィーネの前にスプーンを置いた。
木を削って作った、素朴なやつだ。
フィーネが、スプーンを見つめた。
見つめたまま、動かない。
「……どうした」
「何でもありません」
何でもなくない。
フィーネの細い指がスプーンの柄を掴んだが──握り方がおかしい。拳の中にすっぽり収めて、短剣みたいに持っている。
フィーネがスプーンをぐるりと回し、握り直した。だが指先の迷いは消えない。エルフの食卓にこの道具は存在しないのだろう。
「フィーネさん、こうだよ!」
ルナが自分のスプーンを掲げた。
──が、ルナの持ち方も怪しい。人差し指と中指で挟んで、箸みたいに使おうとしている。
「ルナ、お前もだいぶ変だぞ」
「え? あたし上手だよ?」
上手ではない。
汁物をすくおうとして、半分こぼした。
「あらあら、お嬢さん方は揃って不器用ねぇ」
マーレンが楽しそうに笑った。
フィーネの眉が吊り上がる。
「不器用ではありません。道具が悪いのです」
「はいはい、道具のせいね〜」
フィーネが意地になってスプーンを操った。
ぎこちない手つきで汁物をすくい、慎重に口元へ運ぶ。
こぼさなかった。
それだけで妙に誇らしげな顔をしている。
そして──一口。
スプーンが唇に当たったまま、動かない。
「……っ」
止まった。
フィーネの指が、スプーンの柄をきつく握りしめている。
「フィーネさん? おいしい?」
ルナが覗き込む。
「……認めたくないけれど」
フィーネが小さく呟いた。
「この味は──エルフの食事にはない、深みが」
木の実の甘みと茸の旨味。香草の風味が後から追いかけてくる。
三種族の食材が、一つの器の中で混ざり合っている。
「おいしいんだ! やった!」
ルナが喜びの声を上げた。
フィーネが慌てて顔を背ける。
「勘違いしないでください。エルフの食事の方が身体には合っているのですけれど──」
「おかわりする?」
「……少しだけ」
素直じゃない。
だが二杯目を受け取る手は、さっきより迷いがなかった。
住民たちも集まってきて、広場がにぎやかになった。
カイが「俺にも!」とでかい声を上げ、マーレンが追加の鍋を火にかける。
……初めての、三種族合同の食事会だ。
いつの間にか、そういうことになっていた。
食卓の端に、おもちゃが転がっていた。
リタの木の実玉。ルッツの音当て玉。二人で作ったぱちん弓。
人族の素材、獣人の革、エルフの木──三種族の遊び道具が、ごちゃ混ぜに並んでいる。
誰が計画したわけでもない。子供は勝手に遊んで、勝手に混ざる。
俺はそっと席を立ち、木陰に向かった。
腹も膨れたし、あとは昼寝だ。
「どこ行くのよ、あんた」
襟首を掴まれた。マーレンだ。
「食事会の言い出しっぺが抜けるんじゃないわよ」
「言い出したのはルナだろ……」
「味の指示出したのはあんたでしょうが」
引きずり戻された。
楽に暮らすために効率化したのに、なぜ余計に忙しくなるのか。
ルナがフィーネの隣に座って、足をぶらぶら揺らしている。
不意に、ルナがフィーネの金髪に顔を近づけた。
すんすん。
「フィーネさん、いいにおい! はなのにおい!」
「な──っ、嗅がないでください!」
フィーネの声が早口になった。
言葉がろくに続かない。
「やわらかい! きらきらしてる!」
「だから離れ──っ」
エルフの三千年の威厳が、獣人の鼻に敗北している。
フィーネがルナを押し返そうとしているが、力加減が優しい。本気で嫌がってはいない。
──いい光景だ。
俺は木の器を抱えたまま、ぼんやりとそれを眺めた。
楽でいい。こういう日は。
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食事会がひと段落した頃。
広場の隅で、フィーネが俺の袖を引いた。
小さく、遠慮がちに。
「……あの木の実の保存方法を教えてくれませんか」
「ん。興味あるのか」
フィーネが視線を逸らした。木の実をひとつ手に取って、指先でくるくると回している。
「森の保存食の参考に、少し」
耳の先が赤い。もう隠す気もないらしい。
「乾燥させて、日の当たらない場所に吊るせばいい。マナを含んだ木の実は湿気に弱いから、風通しが大事だ」
「……覚えました」
フィーネが小さく頷いた。
翡翠の瞳が、さっきまでとは違う色を帯びている。柔らかい、というほどではない。だが、硬くはない。
「あなたの料理は──あなたの効率化は、たまに、認めたくない結果を出しますね」
「褒めてるのか」
「褒めていません」
褒めてるだろ、それ。
食後の片付けを住民に任せ(効率的だ)、木陰に転がる。
ルナが隣にごろんと転がってきた。いい一日だった。
……と思ったのに。
翌朝、フィーネが来た。いつもの高飛車な声ではなく、唇を噛んだまま。
「……相談が、あります」
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