第90話「悩ましい樹洞と盗めない技術」
フィーネが珍しく自分から声をかけてきた。
「……試験区画の経過を確認してもらいたいのですけれど」
あのツンデレエルフが、自分から誘ってくる。
──何かの罠か。
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カイが柵の修繕に精を出している横を通り過ぎ、俺たちは森の中に入った。
フィーネが先頭を歩き、俺とルナがその後を追う。
「試験区画ってこっちじゃないだろ」
「……少し遠回りします。森の状態を見たいので」
遠回り。この森の奥は、俺はまだ足を踏み入れたことがない。
正直、めんどくさい。試験区画で十分じゃないか。
「もう少しです。我慢しなさい」
「我慢って、俺は歩きたくないだけなんだが」
道なき道を進むうちに、木々の密度が変わった。
細い若木が混じっていた森の縁とは違う。幹の太さが倍になり、三倍になり、やがて根元だけで俺の背丈を超えるような巨木が立ち並び始めた。
空気が変わる。
肺に入ってくる息が、重い。冷たくて、甘い。
「すごい! もりの奥! きれい!」
ルナが目を輝かせて走り出した。
両手を広げて、足元の苔を踏みしめている。
「ルナ、あまり離れないで。この辺りは道を知らないと戻れません」
「はーい!」
返事だけは元気だ。聞いてないだろうけど。
さらに歩くこと十分ほど。
フィーネが足を止めた。
「──着きました」
目の前に、一本の巨木がそびえていた。
巨木というか──もはや建物だ。
幹の直径は、ざっと十メートル以上。根元が大地に深く食い込み、樹皮は苔と蔦に覆われている。だが枯れているわけではない。見上げれば、遥か頭上に青々とした葉が広がり、木漏れ日が金色の筋となって降り注いでいる。
「でかい。これは、すごいな」
素直に出た言葉だった。
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巨木の根元に、入り口があった。
自然にできた洞──ではない。アーチ状に整えられた開口部だ。
「ここがわたくしの住処です」
フィーネがさらりと言った。
まるで道端の小屋を紹介するみたいに。
「……自分の家に招くってことは、相当信頼されてるのか」
「勘違いしないでください。試験区画の報告に必要な資料があるだけです」
耳の先がほんのり赤い。はいはい。
中に入ると、息を呑んだ。
巨木の内部が、くり抜かれていた。
外から見た太い幹の中に、螺旋状の空間が広がっている。壁面は滑らかに磨かれた木肌で、指で触れるとしっとりとした温もりがあった。生きている木の体温だ。
そして──光っている。
壁面の木目に沿って、淡い緑色の光が脈動していた。マナだ。木の内部を流れるマナが、天然の照明になっている。
「きれい……」
ルナが口を開けて見上げている。螺旋状の空間は上へ上へと続き、途中に棚のような張り出しや、蔦で編まれた手すりが見える。
木の香りが濃い。外の森とは違う、もっと深くて温かい匂い。樹液の甘さと、どこか懐かしい安心感。
……悔しいが、すごい。
俺は壁面に手を当てた。
【効率化】が反応する。
『巨木の内部構造──分析。木を傷つけずに内部を空洞化している。成長を阻害せず居住空間を確保する仕組み。壁面の厚さは均一に保たれ、マナの循環経路を遮断していない。木の生命活動と居住空間が共存……この発想は応用できる』
三千年。
エルフがそれだけの時間をかけて磨いた建築の技。木を殺さずに、木の中に住む。
「……効率的だ」
フィーネが振り返った。
「何を」
「この構造。木の成長を邪魔せずに内部空間を作ってる。しかもマナの流れを照明に使ってるから、別の光源がいらない。無駄がない」
フィーネの翡翠の瞳が揺れた。
自分の住処を褒められて、複雑な顔をしている。
「……それは、長い年月をかけて、わたくしたちが──」
『応用案──提示。集落の建材として木造構造を採用する際、この空洞化の仕組みを部分的に取り入れれば、生きた木をそのまま柱や壁として利用できる。建材の伐採量を大幅に削減可能』
「お前の技術、集落の建築に使えるかもしれない」
フィーネの表情が凍った。
「──技術を盗む気ですか!?」
「盗むとかじゃなくて、応用だ。効率がいいものは使わないと──」
「三千年の技をひと目見ただけで『応用できる』ですって? あなたという人は……!」
怒っているのか照れているのか。たぶん両方だ。
「すごい! きのなか! おうちだ!」
ルナが螺旋の通路を駆け上がっていく。
途中にある小さな穴──部屋と部屋を繋ぐ通路だろう──に頭を突っ込んだ。
上半身はすんなり入った。
だが──途中で止まった。
「あれ? あれれ?」
腰から下がこちら側に残っている。尻尾がぱたぱたと揺れている。
「ルナ?」
「は、はまっちゃった……」
通路の幅が狭い。エルフの細い体型を前提に作られた穴だ。
ルナの体は──その、上半身に比較的豊かな箇所があるわけで。
「ちょ、動かないで! 引っ張りますから!」
フィーネが慌ててルナの腰を掴んだ。
「いたた、フィーネさん引っ張らないで──」
「あなたが入るからでしょう! 獣人は身体の大きさを考えなさい!」
フィーネが力を込めた瞬間、ルナの体がずるっと抜けた。
反動でフィーネがよろけ、ルナと絡まり合いながら──俺の方に倒れ込んできた。
柔らかい重みが二つ、同時に覆いかぶさる。
ルナの銀色の髪が視界を埋め、フィーネの金髪が頬をくすぐる。
どちらかの髪が俺の顎をくすぐっている。誰のかはわからない。
──けしからん光景だ。
「ごめんなさぁい!」
「きゃ──っ、離れ──は、早く離れなさい!」
俺は天井を見上げたまま、冷静に言った。
「……構造上の問題だ。入口を広げるべきだな」
……していないことにする。
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「もう来なくて結構です!」
樹洞住居の外に追い出された。
フィーネの声が、言葉にならないくらい上ずっていた。
「二度と! わたくしの家には!」
「いや、あの構造はもっと見たかったんだが」
「構造の話をしているのではありません!」
フィーネが蔦で入口を塞いだ。ばさばさと葉が茂って、あっという間に壁になる。
「フィーネさーん! また来ていい?」
ルナが手を振った。
蔦の壁の向こうから、小さな声が返ってきた。
「……勝手にしなさい」
拒否じゃない。フィーネ語で「来てもいい」だ。
帰り道。
ルナが鼻歌を歌いながら前を歩いている。ご機嫌だ。
……けしからん光景はともかく、あの建築の仕組みは使える。木を殺さず内部を空洞にする技術。もし集落の建築に応用できたら、伐採の手間が大幅に減る。
つまり、俺がもっと楽できる。
「ユウトさん、顔にやけてる」
「にやけてない。効率のことを考えてただけだ」
……いや、待て。
今日のフィーネ、自分の家に招いたってことは──あいつなりに心を開き始めてるのか。
これ以上面倒な関係が増えるのは、効率が悪い。




