第88話「森が喜んでるにおいがする」
「ユウトさん! ユウトさん! 来て! 早く来て!」
ルナが全力で駆けてきた。
……昼寝を邪魔されるのは効率が悪いが、あの尻尾の振り方は「いい知らせ」だ。
「んー……何」
「いいから! 早く! 見て!」
腕を掴まれて引きずられる。
抵抗する気力もない。ハンモックの温もりが名残惜しかった。
間伐を始めて二週間。
カイたちが毎日汗を流して、俺の立てた計画通りに弱った木を伐り続けた。
俺は木陰で昼寝をしながら、たまに【効率化】で次に伐る木を指定するだけの生活。
理想に近い。だから邪魔しないでほしかった。
「ほら、ユウトさん! ここ!」
試験区画に踏み込んだ瞬間、足が止まった。
──違う。
二週間前とは、景色が違う。
木漏れ日が地面まで届いている。林の底に光の模様が広がって、下草が一面に芽吹いていた。
踏みしめた土が柔らかい。湿り気を含んだ土と、青々とした葉の匂いが鼻を突いた。
頭上の枝葉は、前より少ない。間伐で木を減らしたんだから当然だ。
だが残った木の一本一本が、明らかに色が濃い。葉の緑が深くなって、幹に力がある。
下草の間を、小さな影が走った。
トカゲだ。二週間前にはいなかった。日差しが届くようになったから、戻ってきたんだろう。
「ね! ね! 分かる?」
ルナが目を輝かせて振り返る。鼻をひくひくさせて、両手を広げた。
「この区画だけ、森が喜んでるにおいがする!」
目尻が下がって、頬がほんのり赤い。
「ね、ユウトさん、分かる? あったかくて、甘くて……木がね、うんと伸びをしてるみたいなにおいなの。ルナ、この森に来てから一番好きなにおい」
尻尾がぶんぶん振れている。本人は絶対に気づいていない。
──森が喜ぶ。
普通なら笑い話だが、ルナの嗅覚は伊達じゃない。マナの流れが変われば空気の匂いも変わる。ルナはそれを「感情」として嗅ぎ取っているんだ。
「ルナ、ちょっと待ってろ」
俺は手近な木に触れた。
【効率化】を発動する。
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情報が流れ込んできた。
二週間前に同じ区画で調べた記録と、今の状態。比較が頭の中で重なる。
『木と木の間隔を整えたことで、日照が改善。根の水吸い上げが向上。結果として、マナの巡りが以前の一・四倍に』
一・四倍。
たった二週間で、だ。
俺は別の木にも手を当てた。同じ結果。三本目も同じ。
区画全体で、マナの循環が上がっている。
……サボった甲斐があったな。いや、サボったのは俺で、働いたのはカイたちだが。
「何をしているの」
振り返ると、フィーネがいた。
相変わらず「監視」のていで毎日通ってくる。そろそろ建前も限界だろうに。
「ちょうどいい。フィーネ、この木に触ってみろ」
「……命令しないでください。わたくしが確認するのは、あなたのためではなく森のためです」
はいはい。
フィーネが木に手を当てた。金色の光が指先から滲んで、幹を伝っていく。
【植物操作】。エルフの固有スキルだ。
植物のマナの流れを直接感じ取れる。俺のスキルより精度は劣るかもしれないが、エルフが三千年かけて磨いてきた感覚は嘘をつかない。
フィーネの手が止まった。
翡翠の瞳が、わずかに見開かれる。
「……マナの流れが……」
「上がってるだろ。俺のスキルだと一・四倍。二週間前と比べて」
フィーネが二本目の木に手を移した。三本目。四本目。
どんどん歩いて、次々と木に触れていく。
金色の光が走るたびに、フィーネの表情が硬くなった。
怒りじゃない。困惑だ。自分の手で確かめた事実を、どう処理すればいいのか分からない顔。
「……伐ることが、壊すこととは限らない……?」
小さな呟きだった。
三百年以上信じてきた常識に、亀裂が入った音。
ルナがフィーネの横に並んだ。
「フィーネさん、ここ、すごくいいにおい。あったかいにおい。木が元気なにおい」
「…………」
「ユウトさんがね、弱い木を抜いたら、強い木がもっと元気になるって。ほんとだったね!」
フィーネは何も言わなかった。
翡翠の瞳が、木漏れ日の中で揺れている。
---
「よっしゃあ! 俺にもやらせてくれ!」
カイが走ってきた。
肩に大振りの斧を担いでいる。どこから持ってきたんだ、それ。
「ユウト、次に伐る木はどれだ!」
「いや、お前は力加減を──」
「任せとけ!」
カイが適当な木に斧を振り下ろした。
──ばきっ、と音がした。
木ではなく、斧の柄の方だ。
折れた柄がくるくると宙を舞い、草むらに落ちた。
カイが斧の刃だけを握りしめて、固まっている。
「…………」
「……言わんこっちゃない」
「い、いや、今のは柄が腐ってただけで──」
「カイ。間伐ってのは力任せにやるもんじゃない」
俺は【効率化】で一本の木を指定した。
幹の根元の、ここ。この角度で、三回。それだけで倒れる。
カイが言われた通りに、予備の手斧で三度だけ振った。
こん、こん、こん。乾いた音。
木がゆっくりと傾いて、計算通りの方向にすとんと倒れた。
「おお……」
「な。正しい場所を正しく伐れば、力はいらない。効率がいいだろ」
「……ユウト、お前すげえな」
「すごいのは計画を立てた俺じゃなくて、毎日伐ってくれたお前たちだけどな」
つい口が滑った。
カイが目を丸くしている。
「……今のは、効率の話をしただけだ。深い意味はない」
「ははは、お前も素直じゃないよな!」
うるさい。
フィーネが、倒れた木のそばに立っていた。
切り株の断面を見つめている。年輪の中心が黒く変色していた。
──芯が腐っていたんだ。立っていても、もう長くなかった木。
「……偶然かもしれない」
フィーネがそう呟いて、背を向けた。
金髪が木漏れ日の中で揺れる。
「この木がたまたま弱っていただけ。マナの改善も、季節の変動の範囲内かもしれない」
「成果出てるのに認めないとか、効率悪すぎだろ……」
聞こえたのか、フィーネの足が一瞬止まった。
でもそのまま、森の奥へ歩いていく。
……ま、いいけど。
認めたくないなら、勝手にしろ。俺は木陰で寝る。
ちょうどいい木を見つけた。間伐で隣の木が消えて、日当たりが良くなった一本。
根元の草が柔らかい。枕にぴったりだ。
寝転がって目を閉じた。
風が頬を撫でる。二週間前より暖かい。
木陰は静かだった。
鳥の声が聞こえる。トカゲが草を踏む音。遠くでカイが何かを運んでいる気配。
──と。
頭上で、かすかな声がした。
「偶然よ。……偶然に、決まっている」
フィーネだった。
帰ったんじゃなかったのか。木の反対側にいたらしい。
その声は、俺に言い聞かせているというより──自分自身を説得しているように聞こえた。
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