第87話「届かなかった手紙と、届いた声」
間伐を始めて三日目。森の空気が変わり始めていた。
ほんの数本を伐っただけなのに、木漏れ日の差し方が違う。踏みしめる落ち葉の湿り気まで。
……まあ、作業するのは俺じゃなくてカイたちなんだが。
「ユウト! 次はこの木か!」
カイが手斧を肩に担いで、汗だくで振り返った。
朝から黙々と指定した木を伐り続けている。こいつの体力はどうなってるんだ。
「ああ、その隣の細い方。根元にマナの滞りがある。倒す方向は北側な」
俺は木陰に敷いた布の上から指示を飛ばす。
立ち上がるのがめんどい。声が届くんだから、わざわざ近くに行く必要はない。
「了解!」
カイの一撃で、乾いた音が森に響いた。
こいつに任せておけば間違いない。間伐の監督なんて、寝ながらでもできる仕事だ。
……さて、昼寝の続きを──
「ユウトさん! ユウトさん!」
ルナが走ってきた。鼻をひくひくさせている。
「この匂い……知ってる! 水のところ! 前に嗅いだのと同じ!」
「水のところ?」
「うん! こっち!」
袖を引っ張られる。
昼寝が遠のいていく。毎度のことだが、効率が悪い。
……しゃーない。ルナが興奮してるときは付き合った方が、あとで静かに寝られる。
ルナに引きずられていく途中、端材の山が目に入った。
間伐で出た枝や幹の切れ端──その中に、リタとルッツが潜り込んでいる。
ルッツは先月ルナが部族に帰ったとき、「ルナねえについていく!」と泣いてくっついてきた六歳の男の子だ。小さな狼耳と灰色の尻尾がルナの小型版みたいで、リタの後ろをくーんと鳴きながら歩いている。
「リタねえ、この枝すごい! 曲げてもバキってならない!」
エルフの木はマナを含んでいて、人族の木材とは弾力が段違いだ。ぐにゃりと曲がって、手を離すとびゅんと跳ね返る。
リタが蔓を結んで、小石を挟んで──びゅん。
石がカイの背中に当たった。
「いてっ!?」
「ごめんなさーい!」
二人が端材を抱えて逃げていく。ぱちん弓、とリタが走りながら名付けていた。
……あとで飛距離を制限させよう。めんどいが、カイに当たり続けると間伐が止まる。
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試験区画の端を流れる小さな水路。
幅は腕を広げた程度で、深さも膝ほどしかない。苔むした石の間を、透き通った水が静かに流れている。
水面に木漏れ日が落ちて、きらきらと揺れていた。かすかに、青い葉の匂いがする。
「あれ!」
ルナが水際にしゃがみ込んだ。
指先が水面を指す。
小さなものが、流れに乗ってゆっくりと漂ってきた。
手のひらに収まるくらいの──葉の小舟。
数枚の青い葉を細い蔓で精巧に編み合わせた、明らかに人工的な造形。
見覚えがあった。
ずっと前、集落の水路に流れ着いたことがある。あのときは「森の奥に誰かいる」と警戒したんだった。
あれと、同じものだ。
「おー! ちっちゃいふね!」
ルナが水から拾い上げる。
濡れた葉が陽光を反射して、深い緑に光った。
俺も受け取って、手のひらに乗せた。
見れば見るほど緻密だ。葉脈に沿って蔓が通され、ほつれひとつない。
【効率化】を発動する。
意識を小舟に向けた瞬間、情報が流れ込んできた。
『植物のマナで情報を織り込んでいる。極めて効率的な通信の仕組みだ。受け手がマナを読めれば、文字よりも多くの情報を伝えられる』
……通信の仕組み?
この小舟、ただの飾りじゃない。手紙みたいなものか。
「何を触っているの」
声がした。
振り返ると、フィーネが木の陰に立っていた。
翡翠の瞳が、俺の手の中の小舟に釘付けになっている。
表情が変わった。いつもの仏頂面でも、ツンとした顔でもない。
──翡翠の瞳が、小舟から離れなかった。
「フィーネ。これ、知ってるか」
「…………」
フィーネがゆっくりと近づいてきた。
長い指が、小舟に触れる。金色の光がかすかに灯った。マナを読んでいるのだ。
「……エルフの通信手段です」
静かな声だった。
「葉にマナを編み込んで、水路に流す。受け手がマナを読めば、言葉を交わさなくても想いが伝わる。……わたくしたちの、古い風習」
「じゃあ、これは誰かへの手紙ってことか」
「ええ」
フィーネの声が、少しだけ細くなった。
「外への手紙です。森の外に、同胞がいないか探すための」
金髪が頬に落ちて、フィーネの表情を半分だけ隠した。
「でも──誰にも、届いたことはない」
水路のせせらぎだけが、静かに流れていた。
「百年以上、流し続けています。返事は、一度も来たことがない」
百年。
俺には想像もつかない時間だ。
エルフは長寿だと聞く。フィーネは三百年以上生きている。その三分の一を、返事の来ない手紙を流し続けて過ごしたということか。
……それは、めんどくさいとかいう次元じゃない。
「フィーネさん」
ルナが、フィーネの横に立っていた。
声が、いつもより低い。
「ずっと、ひとりだったの?」
「……エルフは孤独に強い種族です。森があれば、それで──」
「でも、おてがみ出してたんでしょ? だれかに届いてほしくて」
フィーネの言葉が、途切れた。
水路の水が、きらきらと光っている。
木漏れ日が揺れるたびに、水面の模様が変わる。
百年分の手紙が、この水路を流れていったのだ。誰にも届かずに。
「あたしたちがいたよ」
ルナが、フィーネの手を両手で包んだ。
「届かなかったかもしれないけど──あたしたち、ここにいるよ。フィーネさんの声、聞こえてるよ」
フィーネの翡翠の瞳が、揺れた。
唇がわずかに震える。
「……あなたたちは、手紙の宛先では──」
「でも、いたよ!」
フィーネが目を伏せた。
長い金髪が頬にかかって、表情を隠す。
……俺は何も言わなかった。
ここで気の利いたことを言うのは、俺の仕事じゃない。ルナに任せた方が効率がいい。
しばらく、水の音だけが続いた。
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「おへんじ書く!」
ルナが突然叫んだ。
水辺の落ち葉を一枚拾い上げて、その辺の小枝で何かを描き始める。
「ルナ、何を──」
「おてがみのおへんじ! フィーネさんに届いたよって!」
ぐりぐりと葉っぱに模様を描いている。
丸い顔。三角の耳。にっこりした口。
……それ、自分の顔か。
「はい! これ流す!」
ルナが葉っぱを水路にそっと置いた。
落ち葉は流れに乗って、くるくる回りながら下流へ漂っていく。
「ルナ」
フィーネの声が、呆れと困惑の間で揺れていた。
「エルフの葉紙は文字ではなくマナで情報を──」
「まなってなに?」
「…………」
フィーネが額に手を当てた。
「つまり、絵を描いても意味が──」
「でもかわいい!」
「……もういいわ」
フィーネがため息をついた。
だが──口の端が、ほんのわずかに上がっていた。
笑っている。
ほんの少しだけ。
ルナはそれに気づいて、目を細めた。
「ね! フィーネさんも描く?」
「描きません」
「えー」
水路に浮かんだルナの落ち葉は、もうずいぶん下流に流れていった。
マナなんか一切込められていない、ただの落書き。
でもまあ。
百年間、誰にも届かなかった手紙に比べれば──ルナの落書きの方が、よっぽど届いてる気がした。
俺はそれを口には出さない。言葉にするのがめんどくさい。
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帰り道、ルナが小さく笑った。
「フィーネさん、明日も来るって。監視だって言ってたけど──嬉しいにおい、してたよ」
……エルフの嗅覚事情はどうなってるんだ。いや、嗅いでるのはルナの方か。
まあいい。
明日も来るなら、成果を見せてやればいい。
手紙が届かなかった分、目の前で森が変わっていくところを見せた方が早い。
俺はあくびを噛み殺した。
今日の昼寝は結局できなかった。明日こそは寝る。絶対に寝る。
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