第85話「お前それ、デレてるぞ」
フィーネが集落に来るのは、もう三度目だった。
本人は「監視」と言い張っているが、マーレンのシチューだけは毎回完食する。
……毎回相手するの、そろそろめんどくさいんだが。
いい加減、本題を切り出すか。
「フィーネ。ちょっと付き合え」
「……何をする気ですか」
「森を見に行く。お前がいた方が話が早い」
フィーネは翡翠の瞳を細めた。
疑っている。当然だ。俺だって怪しい誘いには乗りたくない。
でも怒鳴り込みが続くのは、もっとめんどい。
「ルナ、お前も来い」
「はーい!」
ルナが尻尾をぶんぶん振りながら駆け寄る。
フィーネの方を見て、ぱあっと笑った。
「フィーネさん、いっしょ! うれしい!」
「……そう言っていません」
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西の森の縁に着いた。
木漏れ日が地面にまだらな模様を描いている。ルナが足元の落ち葉を踏んで、くんくんと鼻を動かした。
俺は一本の木に手を当てた。
幹は太いが、葉がまばらで、樹皮のところどころが剥がれている。
「この木、見てくれ」
「……ただの弱った木です。森には珍しくありません」
「そう。弱ってる。問題は、なぜ弱ってるかだ」
【効率化】を発動する。
意識を木の内部に向けると、情報が流れ込んできた。
『根のマナ循環──低下。周囲の木が取るべき養分とマナを吸い上げている。回復の見込みなし』
やっぱりか。
「この木、根を通じてマナが滞ってる。自分では養分を吸えないくせに、周りの木のマナの流れを邪魔してる」
「……何が言いたいの」
「間伐だ」
フィーネの眉がぴくりと動いた。
「弱った木を間引けば、残った木がもっと健全に育つ。根の間を通るマナの流れが良くなるからな」
「屁理屈です」
即答だった。早い。
「木を伐る口実を作りたいだけでしょう。森はひとつの命。一本たりとも──」
「じゃあ確かめてみろ。お前の【植物操作】で、この木と隣の木のマナの流れを比べてくれ」
フィーネが口をつぐんだ。
翡翠の瞳が揺れている。
正直、ここで帰ってくれても構わない。俺は昼寝がしたい。
だが木材が要るのも事実だ。
しばらく睨み合いが続いた。
フィーネが、ゆっくりと弱った木に手を当てた。
長い指が樹皮に触れる。金色の光が指先から滲んで、幹を伝っていく。
「…………」
フィーネの表情が変わった。
怒りでも軽蔑でもない。困惑だ。
「この木……確かに、マナが滞って……」
「だろ。で、隣の健康な木と比べてみてくれ」
フィーネが隣の木に手を移す。
今度は光の広がりが早い。根を通じて周囲にマナが巡っているのが、光の脈動でわかる。
「……隣の木も、流れが悪い。この弱った木の根が、絡まって……」
「邪魔してるんだ。弱った木を残すと、健康な木まで道連れになる」
フィーネが手を下ろした。
何か言いたそうな顔で、でも何も言わない。
めんどくさいが──もう一押し。
「一本だけ伐ってみよう。それで周りの木がどうなるか、お前の目で見ればいい」
「…………好きにしなさい」
それは許可と受け取っていいのか。まあ、いいだろう。
俺は【効率化】で伐採の手順を組み立て、カイに借りた手斧を振った。
刃が幹に食い込む感触が手のひらに伝わる。二打目で木の繊維がめりめりと裂ける音がした。
三度目。乾いた音が森に響いて、弱った木がゆっくりと傾き始めた。
──あれ。方向が違う。
計算では反対側に倒れるはずだった。だが幹の内部が想定以上に腐っていたらしい。木は、俺の立っている側に向かって倒れてきた。
「危な──」
背中に何かが巻きつく。
蔦だ。フィーネの蔦が俺の腰に絡みつき、ぐいっと引っ張った。
体が宙を飛ぶ。
次の瞬間、柔らかいものにぶつかった。
花の匂いがした。
甘くて、清らかで、森の奥の泉みたいな匂い。
──フィーネの体だった。
蔦に引き寄せられた勢いで、真正面から密着している。
フィーネの金髪が頬にかかる。翡翠の瞳が、至近距離で見開かれていた。
「……っ」
「…………」
沈黙が二秒。体感では三十秒。
「は、離れなさい!」
「離れたいのは山々なんだが、お前の蔦がまだ俺の腰に巻きついてるぞ」
「──っ!」
蔦がばっと解ける。フィーネが二歩飛び退いた。
長い耳が、目に見えて赤い。
「か、勘違いしないでください! あなたが倒れそうだったから──木の下敷きになったら寝覚めが悪いだけです!」
「はいはい」
余計なことに、【効率化】が反応した。
『密着時の心拍数変動──フィーネ、平常時より23%上昇。ユウト、平常時より15%上昇』
……いらない情報だ。
「ユウトさん、ユウトさん!」
ルナが倒れた木の周りを駆け回っている。
鼻をひくひくさせて、目を輝かせた。
「まわりの木、元気になった! におい変わった! さっきより──みどりのにおい、つよい!」
ルナの嗅覚は伊達じゃない。
一本伐っただけで、周囲のマナの流れが変わったんだ。
フィーネが、ルナの言葉に弾かれたように周囲の木に手を当てた。
金色の光が走る。
「…………本当に……マナの巡りが……」
「な。弱った木を間引けば、森は元気になる。全部伐れとは言ってない。弱った木だけだ」
「……一本だけで何が分かるというの」
声が震えていた。
怒りじゃない。三百年以上信じてきた常識が揺らいだ震えだ。
ツンデレって概念が、この世界にあったら教えてやりたかった。──いや、教えたら蔦で吊るされる。
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日が傾き始めた頃、フィーネが森に帰ると言い出した。
「……一本では証明になりません。偶然かもしれない」
「そうかもな」
「次に来るときは──もっと厳しく見ますから」
次に来る。
自分で言って、自分で気づいたらしい。フィーネの足がぴたりと止まった。
「……い、今のは言葉の綾です。別に来たいわけでは──」
「お前それ、デレてるぞ」
「デレてません!」
長い金髪を翻して、フィーネが森の奥に消えていく。
背中が見えなくなる直前、長い耳の先が夕日よりも赤く染まっていた。
「ユウトさん」
ルナが俺の袖を引っ張る。
きらきらした瞳で、フィーネが消えた方角を見つめていた。
「フィーネさん、耳あかい」
「見えてるけど言うな」
伐り倒した木が一本、森の地面に横たわっている。
その周りの木々が、夕日の中でほんの少しだけ、生き生きとしているように見えた。
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