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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第5章「森の隣人たち」

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第84話「ひとくちだけ、と言ったのに」

「……なんでまた来てるんだ、あのエルフ」


 フィーネが集落の入り口に立っていた。

 昨日『人間は変わらない』みたいな顔で去ったのに。腕を組んで、むすっとした顔で仁王立ちしている。


 いや、待て。

 俺はまだハンモックから起きたくない。朝日がちょうどいい角度で差し込んで、今がいちばん気持ちいい時間帯なんだ。

 あのエルフの相手は、誰かに任せたい。


「フィーネさん! また来た!」


 ルナが真っ先に駆け寄った。

 昨日あんなに険悪な空気だったのを覚えていないのか。いや、覚えてるだろうに気にしていない。獣人のコミュニケーション能力、おそるべし。


「……なぜそんなに嬉しそうなの、あなた」


 フィーネが一歩後ずさった。

 翡翠の瞳がわずかに泳いでいる。


「だって、来てくれたから!」

「来てくれた、ではありません。監視に来たんです。あなたたちが森に近づかないか見張りに」

「かんし! うん!」


 ルナ、たぶんその言葉の意味わかってないぞ。


 俺は渋々ハンモックから降りた。

 朝のまどろみを返してほしい。


「昨日のあれは何だったんだ。『人間は変わらない』って去っていったのに」

「勘違いしないでください。わたくしは森を守る義務があります。あなたたちの動向を把握するのは当然のこと」


 長い金髪が朝風に揺れる。

 端正な顔に、何か言い訳のようなものがにじんでいた。


 ……めんどくさいが、まあいい。追い返す方がもっとめんどくさい。


「好きにしろ。ただし集落の中を歩くなら、住民を怖がらせるな」

「怖がらせるつもりなどありません。わたくしはただ──」

「おなかすいた?」


 ルナがフィーネの袖を引っ張った。

 フィーネの言葉が途切れる。


「は?」

「おひるごはん、もうすぐだよ。マーレンのごはん、すっごくおいしいの!」


 フィーネの翡翠の瞳が、わずかに揺れた。


 ***


 昼になった。

 マーレンが広場に大鍋を運んできた瞬間、風向きが変わった。


 ──いや、比喩じゃない。本当に風が変わったのだ。


 鍋の蓋が開く。

 白い湯気がふわりと立ち上り、こんがり焼いた根菜と香草の匂いが広場に広がった。


 今日の献立は、干し肉と根菜の煮込み。

 ごろごろと大きく切った芋が黄金色に煮崩れかけている。干し肉から染み出た旨みが汁全体に行き渡って、仕上げのマナ香草の緑が鮮やかだ。


 ぐつぐつ、と鍋底から泡が上がるたびに、濃厚な匂いが波のように押し寄せる。


「ご飯よー! 並んで並んでー!」


 マーレンの声に住民たちが集まってくる。

 カイが真っ先に木の器を差し出した。いつものことだ。


 俺は定位置──広場の端の日陰に座って、器を受け取る。

 熱い。湯気が顔に当たると、鼻の奥がじんわりする。

 ひとくち啜ると、干し肉の塩気と芋の甘さが舌の上で混ざり合った。

 うまい。マーレンの飯はいつもうまいが、今日は特に芋の火の通り加減が絶妙だ。


「フィーネさん、たべて! おいしいよ!」


 ルナがフィーネの前に器を差し出していた。

 湯気の向こうで、フィーネが固まっている。


「……結構です。エルフは人間の食事など口にしません」

「えー」


 ルナがしょんぼりと肩を落とした。


 あの落ち込んだ顔の破壊力を、このエルフはまだ知らない。


 フィーネの視線がルナの耳に向かい、そして器に戻った。

 湯気が金髪にかかって、ふわりと揺れる。


「…………ひとくちだけ」


 フィーネが器を受け取った。

 長い指で木の匙を持ち、煮込みをすくう。


 ためらうように唇に運ぶ。


 ──瞬間、翡翠の瞳が見開かれた。


 フィーネの動きが止まった。

 匙を口に含んだまま、まばたきを三回。

 頬がわずかに紅潮している。


「……どう?」


 ルナが期待いっぱいの目で覗き込む。


「…………まあ」


 フィーネが匙を下ろした。

 顔をそむけて、早口で小さく言う。


「食べられなくは、ないわね」


 二口目。

 三口目。

 四口目。


 食べ続けている。


「エルフが人間の食事を口にするなど……三千年の歴史で初めてかもしれない……屈辱……」


 そう言いながら、三杯目に手を伸ばしていた。


 マーレンが腕を組んで、にやにやしながら見ている。


「あらあら〜。エルフのお嬢さん、お代わりもあるわよ?」

「お代わりなどしていません。器に残った分を片付けているだけです」

「はいはい、お片付けね〜」


 マーレンが大きなお玉で追加を注ぐ。

 フィーネは抗議の視線を向けたが、匙は止まらなかった。


 ルナが勝手にやった。

 だが土台はできた。


 まあ、俺がやったことはハンモックから降りただけだが。


 ***


 食後。

 フィーネが広場の木陰に座っていた。

 普段は背筋をぴんと伸ばしているのに、今は少しだけ姿勢が崩れている。満腹のせいだろう。エルフは木の実と果実を生のまま食べると聞いた。火を通した温かい料理は初めてだったのかもしれない。


「フィーネさん」


 ルナがフィーネの隣にちょこんと座った。


「なに?」

「ね、ね」


 ルナがフィーネの肩に顔を寄せた。

 金髪に鼻先をくっつけて、くんくんと嗅ぐ。


「いいにおい! はなのにおい!」


 フィーネの全身が硬直した。


「な、なっ──」

「ルナのまわり、土のにおいと、木のにおいと、ごはんのにおいばっかり。フィーネさんは、おはなのにおい。すき!」


 フィーネの言葉が一瞬止まった。

 長い耳がぴくぴくと震えている。


「ちょっ……離れなさい! エルフに許可なく触れるなんて……」

「えー、だめ?」


 ルナが上目遣いで見上げる。


 フィーネが目をそらした。


「……少しだけなら、いいけど」


 ルナの尻尾が爆発するように振れた。


「やった!」


 金髪に顔をうずめるルナと、視線を泳がせて固まるフィーネ。

 なかなかいい絵面だ。


「あらあら〜」


 マーレンが台所の窓から身を乗り出していた。


「エルフのお嬢さんも、素直じゃないわねぇ」

「素直も何も……! わたくしは監視に──いえ、別に」

「監視のお仕事、お疲れさま。お茶もあるわよ?」


 フィーネが言葉に詰まった。

 マーレンには敵わない。あの姉御のペースに巻き込まれたら、エルフの三千年の矜持も形無しだ。


 干し肉の煮込みを啜りながら眺めるには、なかなかいい光景だ。


 やがて、日が傾き始めた。

 フィーネが立ち上がる。金髪についたルナの銀色の毛を、そっと払っている。


「……また来るかもしれません。監視のためです。それ以外の理由はありません」


 背筋を伸ばして、凛とした声。

 だが耳の先はまだほんのり赤い。


「フィーネさん、あしたも来る?」


 ルナが駆け寄る。尻尾がぶんぶん。


「……森の状況次第です」


 フィーネが足早に去っていく。

 金髪がさらりと風になびいた。


「来るだろうな」


 俺はハンモックに戻りながら呟いた。


「あの反応で来ないわけがない。エルフのプライドより、マーレンの飯の方が強い」


 台所からマーレンの声が響いた。


「明日はシチューよー! エルフのお嬢さんの分も作っとくわね!」


 ルナの耳がぴんと跳ねる。

 尻尾がまたぶんぶん振れた。


「しちゅー! フィーネさん、ぜったいくるね!」


 たぶんな。

 まあ、あいつが来てくれりゃ、交渉の糸口も見えてくる。

 それまで俺はハンモックで寝てよう。


 ……働きたくないが、食わせるだけで話が進むなら、悪くない。

お読みいただきありがとうございました!

本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


本日から一旦100話まで【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励み(と睡眠時間の確保)になります!

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