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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第5章「森の隣人たち」

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第83話「100年前の怒りは効率が悪い」

 翌朝、集落に乗り込んできたのは、あのエルフだった。

 住民たちがざわめく。カイが大剣に手をかける。

 フィーネは全員を見回して、冷たく言い放った。


「森の木を一本でも切ったら──許しません」


 朝っぱらから怖い。せっかくの穏やかな朝が台無しだ。

 俺はハンモックから半身を起こして、目をこすった。


 ……もう少し寝ていたかったんだが。


「おい、いきなり来て何だそれ!」


 カイが一歩前に出る。大剣の柄を握ったまま、フィーネを睨んでいた。

 住民たちも顔をこわばらせている。昨日、俺が森の端で蔦に縛られた話はもう広まっていたらしい。

 朝の支度をしていた手が止まり、広場に緊張が満ちていく。


「昨日、そこの人間に警告しました。にもかかわらず、あの男はまた森に近づくつもりのようですね」


 フィーネの翡翠の瞳が、俺を射抜く。

 ……近づくつもりというか、木材が必要なだけなんだが。


「だからって集落に乗り込んでくるか? ここは俺たちの場所だ!」

「あなたたちの場所。ええ、そうでしょうね。人間はいつもそう言って、自分の都合で土地を切り拓く」


 カイの顔が赤くなる。まずい。こいつは真っ直ぐすぎるから、売り言葉に買い言葉になりかねない。


「待て、カイ」


 俺は重い体を起こして、二人の間に入った。

 めんどくさい。朝から本当にめんどくさい。でも、ここでカイが暴れたら余計にめんどくさくなる。


「話を聞いてからでも遅くない」


 カイが唇を噛む。だが、大剣から手を離した。

 よし。こいつは頭に血が上りやすいが、引くべきときは引ける男だ。


「……話? わたくしに話すことなどありません。警告に来ただけです」


 フィーネが腕を組む。金髪が朝日に透けて、まぶしい。美人だが怖い。昨日も思ったが、やっぱり怖い。


「警告ってのは、理由があって初めて意味がある。なぜそこまで森の木に拘る?」


 フィーネの瞳が揺れた。

 ほんの一瞬だったが、確かに揺れた。


「……あなたたちに、わかるはずがない」


 声が低くなる。冷たさの奥に、別の何かが滲んでいた。


「100年前のことです」


 住民たちが静まり返った。カイも口を閉じている。


「人間の探検隊が、あの森に入りました。木材が欲しいと言って。わたくしたちは断りました。それでも人間は引き下がらなかった」


 フィーネの声は淡々としていた。だが、握りしめた拳が白くなっていた。


「彼らは火を放ちました。森が邪魔だというなら、焼き払えばいいと」


 一瞬、広場の空気が変わった。

 ルナの耳がぴくりと動いて、ぺたんと伏せた。


「煙が空を覆いました。灰色の、重い煙です。木々が──悲鳴を上げました。幹が裂け、葉が燃え、根が焦げるにおいが何日も消えなかった。枝がはぜる音が、夜になっても止まなかった」


 フィーネの声が、かすかに震えていた。


「焼けた幹から立ち上る煙は、甘い木の香りなどではありません。苦く、重く、喉を焼く煙でした」


 フィーネの目が、ここではない遠くを見ていた。


「わたくしは覚えています。あの煙の色も。木々の叫びも。焼けた大地に立ち尽くした朝のことも。すべて、昨日のことのように」


 100年前。

 人間にとっては、もう誰も覚えていない昔の話だ。

 だがエルフにとっては──300年以上生きる種族にとっては、「最近の出来事」なのか。


 ……100年前。俺には長すぎて、想像できない時間だ。エルフにとっては、時間の流れ方がそもそも違うのか。


 住民たちが黙っている。カイも黙っていた。さっきまでの威勢はどこにもない。


「人間は変わらない」


 フィーネが言った。静かな、けれど決定的な一言だった。


「あなたたちも、いずれ同じことをする。だからわたくしは──あの森には、指一本触れさせない」


 広場に沈黙が落ちた。

 誰も何も言えなかった。100年前の火を見た目で、「信じろ」と言われても無理だろう。そりゃそうだ。


 フィーネが踵を返した。金髪が揺れる。

 もう用は済んだとでも言うように、背筋を伸ばして歩き出す。


 ──まあ、気持ちはわからなくもない。100年前に森を焼かれたら、そりゃ怒る。

 だが木材は要る。


 そのとき、銀色の影が走った。


「フィーネさん、待って!」


 ルナだった。

 フィーネの袖を、両手でぎゅっと掴んでいる。銀色の耳がぺたんと伏せていた。


「……離しなさい」


 フィーネの声が冷たい。だがルナは手を離さなかった。


「だめ。まだだめ」


 ルナの耳が伏せたまま、尻尾が低く揺れている。怯えているのに、手だけは離さない。

 フィーネが眉をひそめた。


「離しなさいと言っています」

「フィーネさん……泣いてるにおいがする」


 フィーネの目が見開かれた。


「……何を言っているの」

「泣いてないけど、泣いてるにおい。ずっとしてる。昨日も。今日も」


 ルナの鼻がひくひく動いている。

 あいつの嗅覚は感情を読む。怒りも、悲しみも、匂いでわかってしまう。


 フィーネの表情が、一瞬だけ崩れた。

 本当に一瞬だけだった。すぐに冷たい仮面を被り直して、ルナの手を振り払った。


「……余計なお世話です」


 フィーネが森に向かって歩き出す。振り返らなかった。

 金髪が風に揺れて、木立の影に消えていく。


 ルナが、フィーネの消えた方をじっと見つめていた。

 伏せていた耳が、ゆっくりと起き上がる。


「泣いてるにおいがした」


 100年前の傷を、俺が治す義理はない。

 だが木材は要る。あのエルフを説得する方法を考えないと、集落の拡張が止まる。


 腕を組んで、フィーネが消えた森の方角を見た。


「……まあ、話にならないなら放っておく。だが交渉の余地があるなら──めんどいが、やるか」


 ルナの耳がぴくっと動いた。


「ユウトさん、フィーネさんのこと、助けるの?」

「助けるとか大げさなこと言うな。木材が欲しいだけだ」


 ルナが首をかしげる。尻尾がゆっくり揺れている。


「でも、ユウトさん──やさしいにおい、してる」


 ……余計なことを嗅ぐな。

お読みいただきありがとうございました!

本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


本日から一旦100話まで【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励み(と睡眠時間の確保)になります!

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