第5話「罠と保存食と、俺の完璧な怠惰計画」
毎日の食料確保に費やす時間──約四時間。
採集に一時間半。魚突きに一時間。下処理と調理に一時間半。
一日の三分の一が飯のためだ。残りは寝ているからいい気もするが、よくない。
寝る時間が削られている。これは由々しき事態だ。
昨日の夕暮れに考えた「罠と保存食」の構想を、今朝から実行に移す。
未来の俺が一秒でも長く昼寝できるよう、今日の俺が仕組みを作る。
怠惰のための労働だ。
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まず、罠。
森の入り口に足を踏み入れ、獣道を探させる。
『南東に十歩。獣道が二本交差している──小型の獣が頻繁に通る痕跡あり。足跡の深さから体重は三キロ前後。跳ね上げ式のくくり罠が最適』
頭の中に、罠の構造が立体的に浮かび上がった。
蔓をどう結び、枝をどの角度で撓ませ、どこに輪を置けば獲物の足が掛かるか。
全部、一瞬で分かる。
……やっぱり、このスキルおかしくないか?
ともかく、俺は示された場所に移動し、罠作りに取り掛かった。
しなりの強い若木を引き倒し、蔓で輪を編む。
だが、手先が器用じゃない。結び目が甘い。
『注意──結び目の強度が足りない。三回巻きに修正すること。獲物の引き抜く力を考慮すると、現状では確保できる見込みが四割を下回る』
はいはい。分かったよ。
言われた通りに巻き直すと、蔓の張力がぐっと安定した。
めんどくさいが、未来の俺が楽になるなら仕方ない。
同じ要領で、森の各所に計五箇所。
スキルが示す「獣道の交差点」に、一つずつ罠を仕掛けていく。
三つ目あたりから手が慣れてきて、蔓を結ぶ速度が倍になった。
四つ目では、スキルの指示が出る前に構造が頭に浮かんだ。
五つ目を終えた時、俺は枯葉で罠を覆い隠し、立ち上がった。
「あとは寝て待つだけか」
待つのは得意だ。寝てりゃいいんだから。
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次は保存食。
昨日モリで突いた魚が三匹、今朝追加で二匹。計五匹。
下処理を済ませた魚を並べ、スキルに訊ねる。
長持ちさせるにはどうすればいい、と。
『燻製を推奨。煙に含まれる成分が表面を覆い、腐敗の進行を大幅に遅らせる──この周辺の香木を薄く削ったものが最適。かまどの上部を塞ぎ、空気穴を三割まで絞ること。煙の滞留する時間が味と保存性を左右する』
燻製か。前世で知識としては知っていたが、実際に作ったことはない。
だがスキルが全工程を教えてくれるなら、話は別だ。
まず、かまどの改造。
上部に粘土と枝で蓋を作り、煙が逃げにくい構造にする。
次に、スキルが指定した香木──甘い匂いのする灰褐色の木──を石のナイフで薄く削り、チップにした。
下処理した魚を、かまどの上部に蔓で吊るす。
チップを火にくべると、白い煙がもうもうと立ち昇り、魚を包み込んだ。
『火加減を維持。強すぎると焼き魚になる。弱すぎると腐敗が始まる──現在の火力を基準に、薪の追加は四半刻に一度』
四半刻に一度。つまり、その間は寝ていてもいい。
俺は寝床に戻り、煙の番をしつつ、うとうとと微睡んだ。
薪を足す。眠る。足す。眠る。
至福の繰り返しだ。
どれくらい経っただろう。
甘く、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐって、俺は目を覚ました。
蓋を開ける。
吊るされた魚が、飴色に変わっていた。
表面にはうっすらと脂の照りが浮かび、煙の名残が薄い膜のように魚全体を覆っている。
かまどの中に充満した甘い煙と、脂が焦げる香ばしさが混ざり合って、鼻の奥をじんわりと刺激する。
見るからに美味そうだ。
一匹を外し、手で割ってみる。
身はしっとりと引き締まり、割った断面から凝縮された旨味の香りがふわりと立ち昇った。
……保存食のつもりだったのに。
我慢できなかった。
「いただきます」
一口、齧る。
「──っ、うま……っ!」
昨日の焼き魚とは別物だ。
燻された香りが口の中いっぱいに広がり、噛むたびに旨味がじわじわと溢れ出してくる。
塩がないのに、煙の風味だけでここまで味が深くなるのか。
気づけば一匹まるごと食べていた。
……保存食とは。
『残り四匹。三日分の食料に相当。ただし気温と湿度を考慮すると、保存の限界は五日。乾燥用の棚を設ければ十日まで延ばせる』
四匹あれば十分だ。五匹中一匹くらいは味見。必要経費。
罠が機能すれば、獲物の肉も同じ要領で燻製にできる。
ふと、頭の中で繋がるものがあった。
罠で獲れた獲物。肉は燻製にする。骨は削れば道具になる。皮はなめせば袋や敷物に使える。
内臓だって、いずれ畑を作るなら肥やしになるはずだ。
全部、無駄なく使い切れる。
一つの獲物から、暮らしの全部が回っていく。
その流れが頭の中で一本の線になった瞬間、妙な心地よさを感じた。
前世じゃ、どれだけ効率の良いやり方を提案しても「じゃあもっとやれ」としか言われなかった。
でもここでは、俺が考えた仕組みが、俺の暮らしを直接良くしてくれる。
悪くない。
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夕方。
俺は拠点の真ん中に立ち、ぐるりと見渡した。
屋根付きの寝床。かまど。燻製の吊るし台。排水溝。五つの罠。
川へ続く安全な通り道。
寝ている間に罠が獲物を捕まえ、燻製が食料を長持ちさせてくれる。
水は川から汲むだけ。火はかまどで管理。寝床は雨風を凌げる。
「完璧だ。完璧な引きこもりライフの完成だ」
思わず声に出した。
俺はこのために転生したんだ。きっとそうだ。
そこへ、スキルが水を差してきた。
『提案──土器を作れば食料の保存の幅が広がる。貯水用の器があれば水汲みの回数を一日三回から一回に減らせる。さらに寝床を拡張すれば──』
「やらない」
『排水溝の勾配を見直せば泥の堆積を防げる。現在の排水の効率は六十──』
「やらないって言ってるだろ」
お前は本当に働かせたがるな。
俺は今のこの規模で十分なんだ。これ以上広げてどうする。住むのは俺一人だぞ。
一人で暮らすには、もう十分すぎるほど──
その時だった。
──た、助けてくれぇっ!
川の上流から、悲鳴が響いた。
男の声。一人じゃない。少なくとも二人以上。
切羽詰まった叫びが、森の木々に跳ね返って消えていく。
……嘘だろ。
俺は固まった。
なんでだ。なんで、完璧な引きこもりライフを宣言したその瞬間に。
関わりたくない。絶対に、めんどくさいことになる。
ここで知らん顔をして寝床に戻れば、俺の完璧な暮らしは守られる。
だが──脳裏に、前世の光景がよぎった。
隣の席の同僚が、上司に詰められていた夜。
俺は目を逸らして、自分の仕事に戻った。翌日、その同僚は来なくなった。
あの時の、腹の底に溜まった嫌な後味。
何年経っても消えなかった、あの感覚が──今、鮮明に蘇る。
「ああもうッ! くそっ!」
俺は石のナイフを掴み、声のする方へ走り出した。
お読みいただきありがとうございました!
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