第4話「昼寝の合間に改良する人生」
腹が鳴った。
それも、盛大に。寝床の屋根から漏れる朝日を浴びながら、俺は自分の腹に目を落とした。
昨日あれだけ頑張って寝床を建てたのに、こいつはもう次の要求を突きつけてくる。
「……お前、少しは空気読め」
独り言が虚しく響く。壁のない空間を風が吹き抜けて、頬を撫でていった。
昨日集めた木の実の残りを齧る。甘みがあって悪くないが、やはり足りない。
暖かいものが食べたい。肉か、魚か。
腹が満たされないと、良質な昼寝は得られないのだ。
『周辺の水域に魚影あり。現在の気温と水温から推測するに、浅瀬に集まる時間帯は早朝──つまり、今』
「……やけに具体的だな、朝から」
怠惰を極めるには、まず食を整えねばならない。
俺は渋々起き上がり、川へ向かった。
***
川辺で、昨日作った石のナイフを使って平たい石を削る。
魚取り用のモリだ。
『先端角度は三十度が最適。返しをつければ捕獲率が四割は上がる』
「四割か。つまり返しがないと半分以上逃げるってことだろ。最初から言え」
木の枝と石を蔓で縛る。不格好だが、先端の鋭さだけは一人前のモリが完成した。
川の浅瀬に入り、水面を見つめる。
前世の都会の川とは違う。澄み切った水の中を、掌ほどの銀色の魚が悠々と泳いでいた。
『直進予測を算出。着水による屈折を補正──三、二、一、今』
ザシュッ。
「おお」
自分の腕とは思えない正確さで、モリが魚を貫いた。ビチビチと跳ねるそいつを陸に放り投げる。
一発だ。前世なら釣り竿があっても半日ボウズだったのに。
『次の個体が射程内に入った。続行する?』
「いや、一匹で十分。欲張ると疲れる」
問題はここからだった。
昨日、摩擦で火を起こしたが、毎回あの重労働をやるのはご免だ。焚き火の直火で焼くと焦げたり生焼けだったりで、効率が悪い。
「……かまど、作るか」
めんどくさい。
だが、ここでかまどを作れば、明日からの俺が楽になる。
未来の自分を救うために、今の自分がちょっとだけ頑張る。それが怠惰のための労働だ。
***
寝床のすぐ横。延焼の危険がなく、風の影響を受けすぎない場所。
『石材は三十個ほど。粘土質の土で接着し、空気の通り道を下部に確保すること』
「三十個って、結構あるな……」
『川原に適した石材が集中している。往復四回で済む』
「四回も往復すんのかよ」
文句を言いつつ、川原から手頃な石を拾い集め、川底の粘土を掬い取った。
石をコの字型に積み上げ、隙間を粘土で埋めていく。
『煙突効果を利用する形状に修正。開口部をもう少し狭めると、燃焼の効率が最大になる』
指示通りに粘土をペタペタと塗りつける。
図工の時間みたいだ。前世じゃ泥遊びなんて小学生以来やっていない。手が汚れるのも、今は不思議と嫌じゃなかった。
一時間ほどで、立派とは言えないが無駄のないかまどが完成した。
昨日の残りの火種を移し、乾いた小枝を入れる。
ごうっ、と火が燃え上がった。
「完璧」
串に刺した魚を、かまどの火にかざす。熱が逃げない構造のおかげで、じっくり均一に火が通っていく。
脂がジュッと滴り落ちて、白い煙がふわりと立ちのぼった。
「……美味そう」
焼き上がった魚に齧り付く。
「ッ……うまっ」
塩すらない。ただ焼いただけの淡水魚だ。
なのに、ふっくらとした白い身から上品な脂と旨味が口いっぱいに広がる。皮は薄くてパリパリで、身はしっとり柔らかい。
『加熱が最適化されたことで、身の旨味が逃げていない。かまどの構造が正しく機能している』
「うん、お前の解説はいいから。黙って味わわせろ」
腹が満たされると、急激な眠気が襲ってきた。
「……よし、寝よう」
かまどの火を弱め、寝床の屋根の下に転がる。
満腹。屋根がある。適度な疲労。
最高の条件が揃っている。
昼寝をして、起きたらまた少しだけ暮らしを良くする。疲れたらまた寝る。
ただ自分の生活のためだけに、時間と頭を使う。
これこそが、俺の理想──怠惰のための労働だ。
***
昼寝から目覚めると、もう夕方だった。
寝すぎた。でも誰にも怒られない。
前世なら携帯が十件くらい鳴ってる時間帯だ。ここには上司も、締め切りも、何もない。
寝床から這い出し、小高い丘に登った。
オレンジ色の光が、広大な草原と背後の森をやわらかく染め上げている。
前世の俺が見たら、泣いて羨ましがるだろう。
何もしなくていいという、究極の贅沢。
だが──焚き火の前に座り直したとき、ふいに、空間が広すぎるような感覚を覚えた。
チロチロと燃える炎。
響くのは風の音と、虫の声だけ。
なんとなく、振り返った。
後ろには誰もいない。いるはずもない。
「…………」
なんで今、振り返ったんだ。
前世からずっと、一人で生きてきた。一人が楽だった。
会社でも、休日でも、一人のほうが気楽だったはずだ。
『かまどの保温性能は現状七十パーセント。追加の石材で九十パーセントまで向上が見込める』
「……一人なら、七十で十分だ」
これ以上広くしても、暖かくしても、恩恵を受けるのは俺だけ。
独り言が、夕暮れの風に吸い込まれて消えた。
焚き火の炎を見つめる。パチリ、と薪が小さく爆ぜた。
いい暮らしだ。本当にいい暮らしだ。
でも──
食料の問題だけが、まだ完全に解決していない。
毎日川に行って魚を突き、木の実を拾い集める。今日は楽しかったが、これを毎日繰り返すのは……めんどくさい。
保存食、作れないかな。
あと、罠。寝ている間に、勝手に食べものが手に入る仕組み。
未来の俺を徹底的に楽にする仕組みを──そろそろ、本格的に考えるか。
風が吹いた。焚き火の炎が大きく揺れて、俺の影だけが地面に長く伸びる。
一人分の影は、夜になると妙に、大きく見えた。
お読みいただきありがとうございました!
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