第19話「集落の完成と、カイの合流宣言」
朝靄の中、集落が動き始めていた。
畑の方からテオの掛け声が聞こえ、建築現場ではカルルが木を組む小気味よい音が響く。かまどからは煮込みの匂いが漂ってきて、水路のせせらぎが朝の空気に溶けていく。
そして俺は──木陰に吊るしたハンモックの上で、盛大にあくびをかましていた。
朝だっつーのに、もう眠い。
だが、これでいい。いや、これが正しい。
俺が寝ていても集落が回る。それこそが、俺があの夜に荷物を下ろして選んだ道の正解だ。
「大賢者様、おはようございます! 朝露でお体が冷えてはいけません、温かい汁物をお持ちしました!」
……だからその呼び方やめろっつってんだろ。
住民の一人が、湯気の立つ椀を恭しく差し出してくる。
断るのも面倒なので受け取ると、根菜の出汁がふわりと鼻をくすぐった。悔しいが、うまい。
ハンモックに揺られながら集落を見渡す。
テオが鍬を振るう畑には、もう青い芽が顔を出し始めている。あの怪力は伊達じゃなかった。固い土を掘り返す速さが尋常じゃない。
カルルは新しい小屋の骨組みを黙々と仕上げていて、継ぎ目の精度が日に日に上がっている。
「大賢者様の分は特盛りっすよ!」
ドスが朝飯の椀を並べながら叫んでいる。やめろ。普通盛りでいい。
見回り組のレオンたちが交代で柵の外を巡回していた。
誰に急かされるでもなく、各自が自分の持ち場で動いている。
数日前の怒号が嘘みたいだ。
『余剰生産の見込みあり──本日中に食料の蓄えが必要量を上回る。余りはおよそ二割強』
頭の中に、スキルの冷静な声が響いた。
余剰、だと?
つい数日前まで「飯が足りない」で殴り合い寸前だったこの集落に、食い物が余る日が来たのか。
俺は椀の汁を啜りながら、ハンモックの上で小さく笑った。
「ユウト、またサボってんのか!」
声のでかい男が、斧を肩に担いで近づいてくる。カイだ。
朝から汗だくで、妙に清々しい顔をしている。こいつの体力は本当にどうかしている。
「サボってんじゃない。監督だ。目を閉じてるのは瞑想だ」
「嘘つけ。さっきいびきかいてたぞ」
「……それは風の音だ」
カイは豪快に笑いながら、隣にどかりと腰を下ろした。
「なあユウト。俺にも何かもっとやらせてくれよ。丸太の伐採だけじゃ物足りねえんだ」
「お前はもう十分やってる。昨日だけで何本運んだ。休め」
「休むのが一番苦手なんだよ、俺は!」
「……お前と俺は根本的に相容れない生き物だな」
呆れながらも、俺はスキルで集落の細かい部分をざっと確かめた。
『水路の流量にやや偏りあり──畑側への配分をもう少し増やすのが望ましい。洗い場は今の量で十分足りている』
水路の分岐点にある石を少しずらせばいいだけだ。あとでカルルに頼んでおくか。
『南側の巡回について──魔物の活動の痕跡がわずかに増えている。見回りの回数をもう少し増やすことを勧める』
南か。大狼の群れを潰したばかりだ。縄張りが空いた所に別の連中が入り込んできてもおかしくない。
レオンに伝えて間隔を詰めさせればいい。
「……よし」
ハンモックの上で腕を組み、俺は目を閉じた。
微調整は全部、口で言うだけで済む。自分の手を動かす必要は一切ない。
これぞ究極の怠惰。最高だ。
「あんた、寝るのはいいけど晩飯の相談があるの」
マーレンが腰に手を当てて立っていた。
赤毛が夕陽の色に染まり始めている。いつの間にか夕方だ。体感では三分しか寝ていない。
「余りが出そうだって話、ドスから聞いたわよ。せっかくだから今夜は宴にしない? みんな、ここ数日ずっと張り詰めっぱなしだったし」
「好きにしろ。俺は寝てる」
「あんたも食べなさい。作る側としては、食べてくれないのが一番腹立つの」
「……わかったよ」
逆らうだけ無駄だ。この女に食い物の話で勝てた試しがない。
日が暮れる頃、広場の中央に焚き火が組まれた。
マーレンの指揮で、ドスと数人の住民が腕を振るう。
燻製肉を炙る音が、じゅう、と夜の空気を裂いた。
脂が炎に滴り落ちて弾け、香ばしい煙がもうもうと立ちのぼる。匂いだけで腹が鳴った。
隣では根菜をごろごろ放り込んだ大鍋がぐつぐつ煮立ち、蓋を開けるたびに湯気と一緒に旨味の香りが広場に広がる。
ほくほくに崩れた芋を一切れつまみ食いしたが、塩しか入っていないのに、しみじみとうまい。
木の実を砕いて練り上げた焼き菓子は、外がカリッと、中がほろりと崩れる。
素朴な甘みが口いっぱいに広がって、思わず二つ目に手が伸びた。前世のどんな菓子とも違う、焚き火で焼いた荒っぽい味がやけに腹に染みる。
極めつけは甘酒だった。
穀物を発酵させただけの簡素な飲み物だが、ほんのり甘くて体の芯がじんわり温まる。作り方を俺が助言したら、スキルが発酵の加減まで勝手に教えてきやがった。
酒の仕込みまで最適化するのはどうかと思う。だがうまいから許す。
住民たちが焚き火を囲み、椀を手に笑い合っている。
数日前に殴り合い寸前だった連中が、今は隣同士で肉を分け合い、菓子の出来を褒め合っていた。
「大賢者様のおかげだ!」
「大賢者様がいなかったら、俺たちはまだ争ってた!」
だからやめろと言っている。
「……頼むから静かに飯を食わせてくれ」
俺の抗議は歓声にかき消された。完全に無視だ。
もう諦めた。飯がうまいから許す。今日は何でも許す。
と、不意にカイが立ち上がった。
焚き火の光を正面から浴びて、二十五人の顔をゆっくり見渡す。
「みんな、聞いてくれ」
がやがやとしていた広場が、すっと静まった。
カイの声には、いつもの暑苦しさとは違う、腹の底から絞り出すような重みがあった。
「俺たちは旧大陸を追われた。領主に使い潰されて、仲間を失って、明日があるかもわからないまま、この土地に流れ着いた」
住民たちの顔が引き締まる。誰もが、自分の過去を噛みしめているようだった。
「だけど──ここには、俺たちの畑がある。俺たちの水路がある。俺たちの屋根がある。旧大陸じゃ、宴は領主だけのもんだった。でも今夜は、俺たち全員で飯を食ってる」
カイの声が、夜空に真っ直ぐ伸びていく。
「俺は、ここを俺たちの集落にしたい。帰る場所なんてねえ。だったら──ここが、俺たちの居場所だ!」
一瞬の静寂。
そして、地面を揺らすような歓声が広場を満たした。
椀を掲げる者。涙を拭う者。隣の肩を叩き合う者。
カイの目も赤くなっていたが、泣くのを堪えて笑っていた。不器用な男だ。
カイが俺の方を向いて、ぶっきらぼうに頭を下げた。
「ユウト。お前がいなかったら、俺たちはとっくにバラバラだった。……ありがとな」
「……礼を言われるようなことはしてない。俺が楽したくて、お前らを勝手に使っただけだ」
「それでいいんだよ。お前はそういう奴だ」
カイは笑った。まっすぐで、暑苦しくて、少しだけ眩しい笑顔だった。
──こういう真っ直ぐさは、ちょっとだけ眩しい。ちょっとだけだ。
俺は輪から少し離れた木の根元に座って、甘酒をちびちびやりながら、その光景を眺めていた。
焚き火の灯りに照らされた広場で、住民たちが歌い、笑っている。調子っぱずれの歌と、誰かが叩く手拍子。下手くそだが、やかましくて、妙に温かい。
マーレンが隣に来て、同じように木の幹に背を預けた。
「どう? あんたが作った仕組み、ちゃんと回ってるじゃない」
「……別に。俺が楽するためにやっただけだ」
「はいはい」
マーレンは笑って、甘酒の椀を傾けた。
前世じゃ、飲み会はただの残業の延長だった。上司の愚痴を聞かされ、断れない二次会に引きずられ、翌朝は寝不足で出社する。あれは宴じゃない。ただの苦行だ。
でも今夜の飯は、うまかった。
「……悪くない、か」
口から零れた言葉は、焚き火の爆ぜる音にかき消された。
たぶん、誰にも聞こえていない。それでいい。
夜風が草原を渡り、焚き火の火の粉が夜空に舞い上がる。
二十五人の笑い声と、肉の焼ける匂いと、甘酒のぬくもり。
この集落の最初の宴は──たぶん、俺がこの世界に来てから一番長く起きていた夜になった。
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