第172話「旧大陸の商人が頭を下げに来た」
町の入り口に、見慣れない馬車が止まっていた。
見慣れない、というのは正確じゃない。旧大陸の紋章が入った馬車だ。金の縁取りに、交差した天秤の紋章。あれは商人ギルドの印だ。
……なんか、やばいのが来た気がする。
以前、来訪者の分類をしたときに紛れ込んでいた「非公式の接触」の男。外交窓口の列の最後尾で、旧大陸の正装を着て並んでいた男。フィーネが「ただの商人ではありません」と言っていた。
あの男が――今度は正式に、馬車で来た。
「ユウトさん、だから言ったでしょう?」
隣にトビアスがいた。いつの間に来たんだ、こいつ。
「お前が噂を広めたせいじゃないのか」
「噂じゃありませんよ。事実を正確に伝えただけです。結果として、ギルドが動いた。それだけのことです」
トビアスの目が光っている。商人の目だ。獲物を見つけた目。こいつ、絶対に楽しんでいる。
***
外交窓口。フィーネが対応に出た。
商人ギルドの代表は、恰幅のいい中年の男だった。上等な革の靴が、泥道を歩くたびに不快そうに沈む。舗装された旧大陸の街から来た人間が、新大陸の泥に足を取られている。
だが、その不快な顔が――町を見た瞬間、変わった。
水路を見て、足が止まる。石と木の融合建築を見て、目が見開かれた。広場の中央にある共同井戸――ドワーフの技術とエルフの知恵が混ざった、多種族協働の結晶を見て、呆然と立ち尽くしている。
「これは……旧大陸にもない」
代表の声が、震えていた。驚きの震え。
トビアスが横で「ね?」という顔をしている。うるさい。
「お初にお目にかかります。わたくしはフィーネ。当共同体の外交顧問を務めております」
フィーネが完璧な外交用の微笑みで迎えた。昨日まで認証状を抱えて感動していたのに、切り替えが早い。さすがだ。
「商人ギルド旧大陸支部、代表のマルクスと申します。本日は――交易協定のご提案に参りました」
代表が頭を下げた。商人ギルドの代表が、新大陸の小さな共同体に頭を下げている。
……世の中、何が起きるかわからない。
***
作業場に場所を移した。交易品の一覧を前に、俺はスキルを起動する。
頭の奥に軽い振動。昨日の書類整合より、少し強い。
「交易品の需給と価値を見る。フィーネ、品目を読み上げてくれ」
「マナ含有農作物。ドワーフ精錬金属。融合建築技術。マナ香草。保存食」
スキルが動いた。
『交易品需給分析――マナ含有農作物の品質指数、旧大陸産と比較して四・七倍。要因は地下を流れるマナ脈の影響。主幹十二本、枝流路四十七本が作物に直接作用している。旧大陸ではこの規模のマナ脈は枯渇しつつある』
四・七倍。
俺がただ楽をしたくて効率化した農作物が、旧大陸の四倍以上の品質になっている。マナ脈のおかげだ。この土地に流れる地下のマナが、作物を勝手に強化していた。
「……マナ脈か」
「マナ脈?」
フィーネが訊き返した。代表のマルクスも身を乗り出している。
「この土地の地下にマナの流れがある。主幹が十二本、枝が四十七本。それが作物に影響して品質を上げてる」
マルクスの顔色が変わった。
「旧大陸では――マナが枯渇しつつあるのです」
声が低くなった。商人の値踏みの顔ではない。もっと深刻な表情だ。
「農作物の品質が年々落ちている。特にマナ香草は、もう旧大陸では栽培が困難になりつつある」
つまり、この町の作物は旧大陸にとって喉から手が出るほど欲しい。そういうことか。
トビアスが横でにやにやしている。
「マナ含有作物一キロが旧大陸では金貨十枚相当。この畑の年間収量が――」
「計算するな」
「いやあ、つい。商人の性でして」
こいつは本当に――。
そのとき、鍛冶場の方角から怒号が聞こえた。
「誰が気づくんだ、こんな歪み!」
「師匠、見る人は見ます! 0.3ミリずれてます!」
ガロンとニーナだ。商人ギルドに見せる展示品の仕上げで揉めているらしい。ニーナの甲高い声と、ガロンの太い怒号が交互に飛ぶ。
「……あいつら、来客中に喧嘩するな」
マルクスが目を丸くしていた。ドワーフの師弟喧嘩を見るのは初めてだろう。
「精錬の品質管理がそこまで厳密なのですか」
「弟子が厳密なんだ。師匠は豪快なだけ」
トビアスが「いい仕事をする工房ですね」と補足した。商人の顔に戻っている。
***
交渉はフィーネに任せた。条件の整理もスキルで済ませてある。
『交易条件の公平性検証――提示された条件に大きな偏りなし。ただし、マナ香草の独占買付条項は不均衡。共同体側に価格決定権を保持する条項を追加すること推奨』
「フィーネ、マナ香草の独占買付は外せ。うちに値段を決める権利がないと、あとで揉める」
「承知しております。わたくしも気づいておりましたわ」
……なら言ってくれ。
俺は高台に上がった。町を見渡す。
水路が走っている。畑が広がっている。石と木の建物が並んでいる。鍛冶場からまだガロンの怒号が聞こえる。住民たちが行き交い、来訪者と言葉を交わしている。
「賢者さまのおかげだ」と通りすがりの住民が言った。
「やめろ」
俺がやったのは、楽するために仕組みを作っただけだ。保存食の効率化とか、水路の設計とか、畑の作付けとか。それがなんで、旧大陸の商人ギルドが頭を下げに来る展開になるんだ。
全てを無駄なく使い切る。それだけを考えてきた。余りが出たら保存する。保存したら交易に回す。交易に回せば流通が生まれる。流通が生まれたら――旧大陸から人が来る。
……やりすぎた。
だが、悪い気分じゃない。高台から見下ろす町並みは、「楽をしたかった男」の仕組み作りの結果だ。怠惰が作った景色。
昼寝の時間が欲しい。切実に欲しい。でも――まあ、もう少しだけ。もう少しだけ、仕組みを整えてから寝る。
作業場に戻ると、フィーネが待っていた。
「ユウト殿」
声をひそめている。
「商人ギルドの代表が、もう一つ持ってきた情報があります」
「……まだあるのか」
「ルナさんの部族から、返事が来たそうです。兄君ルガ殿が――直接こちらに来ると」
フィーネの翡翠色の目が、まっすぐに俺を見ていた。
ルナの兄が、来る。あの、金色の狼耳と瞳を持つ大男が。
……めんどくさいのが、また一つ増えた。
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