第17話「崩壊の足音と、面倒さのピーク」
翌朝、広場の真ん中で怒鳴り声が飛んでいた。
「俺たちの方が重い仕事してるだろ! なんで取り分が同じなんだ!」
「はあ? あたしらだって朝から晩まで働いてんのよ!」
昨夜、マーレンに食料配分の揉め事を聞かされたばかりだった。一晩経てば落ち着くかと思ったが、甘かった。むしろ一晩かけて怒りを熟成させてきたらしい。
早朝の広場で、テオとカルルが向かい合って睨み合っている。
テオが丸太を運びすぎて泥だらけになった腕を突き出し、カルルは木材を削り続けて皮が剥けた指先を見せつけ返す。その周りで、他の住民たちがそれぞれの側に加勢するように声を上げ始めていた。
「堀の補修で腰が死んでんだぞ!」
「こっちは二十五人分の飯を作ってるのよ! 火の番がどれだけ大変か知ってるの!?」
……朝飯前から全力で面倒くさい。
俺は広場の隅に立ったまま、腕を組んでその光景を眺めていた。眺めていたかったのではなく、割って入る気力がなかっただけだ。
「落ち着けお前ら!」
カイが割って入った。声がでかい。腹の底から響く怒声で、一瞬だけ周囲が静まる。
「仲間同士で争ってどうすんだ! 旧大陸じゃ、こういう時こそ力を合わせて──」
「黙ってろ新参! お前らが来てから食い扶持が足りなくなったんだろうが!」
正論は、空腹の人間には届かない。
カイの顔が殴られたように歪んだ。それでも食い下がろうと声を上げるが、火に油を注ぐだけだった。
「いいか、皆で力を合わせればな──」
「合わせてるから言ってんだよ! 力仕事の方が腹が減る、それくらいわかるだろ!」
「それは──いや、だからな、そういう話じゃなくて──」
カイの言葉が空を切る。この男は真っ直ぐすぎて、感情の渦の中では的を外す。熱いもの同士をぶつけたら、そりゃ燃え広がるに決まっている。
「大賢者様!」
来た。一番嫌な流れだ。
「大賢者様に決めてもらおう! 大賢者様なら公平な裁きを下せるはずだ!」
二十何人もの視線が、一斉に俺に向いた。
期待と不満の入り混じったその目。前世の会議室で、上司が判断を丸投げしてきたときの空気と同じ匂いがした。
「……知らん。自分たちで決めろ」
口を開いたら、そう出た。
静寂。
そして、爆発。
「大賢者様がそう仰るなら、つまり力仕事組が多く貰っていいってことだ!」
「違うでしょ! 関係ないってことは今まで通り均等ってことよ!」
「都合よく解釈してんじゃねえ!」
……なんでそうなる。
俺が放り投げた一言が、燃料になった。声の塊がぶつかり合い、砂埃が舞い上がり、誰かの肩が誰かの胸を押す。
「うるっさいわね! 全員黙りなさい!」
マーレンの一喝が、広場を切り裂いた。
腰に手を当て、赤毛を逆立てるようにして仁王立ちする姿は、旧大陸の将軍でも通用しそうな迫力だった。
「今日のところは均等割り! 文句がある奴は飯抜き! さあ散った散った!」
誰も逆らえなかった。住民たちが不満顔のまま散っていく。テオが「すみません」と小声で頭を下げ、カルルは唇を噛んだまま背を向けた。
カイが俺の隣に来て、力なく笑った。
「すまん。止められなかった」
「お前のせいじゃない」
「でもよ、俺がもっとうまく──」
「やめろ。お前の仲裁は熱すぎるんだ。旧大陸じゃそれで通ったかもしれないが、飢えた奴らに正論は響かない」
カイは少し傷ついた顔をしたが、すぐに「次はちゃんとやる」と拳を握った。
その真っ直ぐさが、今の俺には少し眩しかった。
日が暮れた。
俺は寝床に転がったまま、天井の木目を数えていた。
百十三本。百十四本。百十五──だめだ。眠れるわけがない。
頭の中を、朝の光景がぐるぐると回る。
怒鳴り声。睨み合う顔。「大賢者様に決めてもらおう」という期待の目。上司の丸投げ。終わらない残業。前世の記憶と、今の現実が重なって、吐き気がした。
人の揉め事の調停。それが、俺にとって一番面倒くさいことだ。
水路を引くより面倒くさい。堀を掘るより面倒くさい。大狼の群れを迎え撃つより、ずっと。
──逃げよう。
昨夜もそう考えた。でも今度は、本気だった。
荷物をまとめる。干し肉を少し。水筒。火打ち石。ナイフ。毛布。
リュックの紐が肩に食い込んだ。この重さだけが、やけに現実だった。
前世でもこうだった。嫌なことがあると、いつも逃げてきた。面倒になったら距離を置く。辞表を出す。引っ越す。連絡先を消す。
逃げるのは恥じゃない。合理的な撤退だ。……たぶん。
荷物を背負い、寝床を出る。
夜の空気が冷たかった。虫の鳴く声と、遠くの森から届くかすかな獣の遠吠え。見上げれば、旧大陸とは違う配置の星々が、やけに明るく瞬いている。
一人で、どこまで行ける?
頭の中で、あの声に問いかけた。
『西の森を抜けるルート──大狼の縄張りを三つ横切る。食料の確保はできなくはないが、遭遇を避けきるのは難しい。生き延びられる見込み、およそ三割』
三割。
『北の山越えルート──気温の低下が厳しく、体力の消耗が早い。食料も乏しい。生き延びられる見込み、二割に届かない』
……二割以下。
足が止まった。
集落の外れ、堀の手前。背後には、俺が作った土塁と逆茂木の輪郭が月明かりに浮かんでいる。
三割と、二割以下。どっちに転んでも、楽には死ねない。
いや──楽に死ねないどころか、楽に生きられない。一人で森を彷徨い、魔物に怯え、飢えに苛まれる日々。それのどこが「合理的な撤退」だ。
逃げるのが正しいと思っていた。でもあの声は、冷たく正確に、その前提を否定してきた。
じゃあ──どうすればいい。
留まっても地獄。逃げても地獄。
前世と同じだ。どこにも逃げ場がない。
荷物を背負ったまま、俺は立ち尽くしていた。
三十二パーセント。十八パーセント。どっちに転んでも、楽には死ねない。
──後ろで、枯れ枝を踏む音がした。
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