第169話「ドワーフの外交は酒で決まる」
ガロンが酒樽を三つ抱えて広場に現れた時点で、今日の外交は酒で決まると確信した。
「おい人間、グラスじゃ足りん。桶を持ってこい」
桶。……桶で飲むのか。
いや、飲むのだろう。ドワーフは桶で飲む。知ってた。知ってたけど、改めて目の前で見ると引く。
***
ことの発端は、朝のカイの報告だった。
「来訪者のドワーフ鍛冶団が、フィーネの交渉に不満を持ってる」
「不満? フィーネの交渉に?」
「書面が多すぎるんだと。『紙っぺらで信頼が測れるか』って」
ドワーフは書面を嫌う。信頼は酒で量る。杯を交わして、飲みっぷりと語りっぷりで相手を判断する。三百年の知識を持つフィーネでも、酒を飲む交渉だけは担当外だ。エルフは酒に弱い。
「つまり、誰かがドワーフの連中と飲まなきゃならない」
「ああ。それで——」
カイが言い終わる前に、ガロンが割り込んできた。酒樽三つを抱えて。
「ワシに任せろ」
任せたくなくても、もう酒を持ってきている。止められない。こいつは準備が速い。鍛冶場で鉄を打つ速さと、酒の準備の速さだけは、町一番だ。
***
広場に宴席が設けられた。
長机を並べて、上にどんと酒樽を据えた。ガロンの指示だ。ドワーフの外交は、まず酒を囲むところから始まる。
来訪者のドワーフ鍛冶団の代表は、トルンという名の中年ドワーフだった。背が低く、横に広く、赤ら顔。まだ飲んでいないのに赤い。生まれつきだろう。
「ワシと飲めん者に、交渉の資格はない」
ガロンが宣言した。杯——いや、椀だ。木の椀に琥珀色の酒を注いでいる。ドワーフ酒だ。マナを含む鉱水で仕込んだ、独特の輝きを持つ酒。光が当たると、液面が微かに青く光る。
トルンが目を細めた。
「ほう。マナ鉱水仕込みか。わかっているじゃないか」
「当然だ。ワシが仕込んだ」
二人のドワーフが杯を合わせた。がちん、と硬い音が響いた。
「師匠、酒の量が多すぎます! 準備した分じゃ足りなくなりますよ!」
ニーナが横から声を上げた。ガロンの弟子で、ドワーフの女鍛冶だ。まだ若い。ガロンの半分くらいの体格だが、声の大きさは負けていない。
「計算なんかするな、酒は心で注ぐもんだ!」
「心で注いだら溢れてます! 机が!」
机の上に酒が溢れていた。ガロンの注ぎ方が豪快すぎるのだ。
俺は広場の隅の木陰から眺めていた。離れた場所。安全圏。酒の席に巻き込まれたら最後、朝まで帰れなくなる。サボっているのではない。観察だ——いや、サボっている。
スキルが何か分析しようとしたが、止めた。酒の席でスキルを使うのは無粋だ。ここは計算じゃなく、酒で決まる場所だ。
焼いた肉の匂いが漂ってきた。宴席には酒だけでなく肴も並んでいる。ドワーフ式の焦がし肉。表面を真っ黒になるまで炙って、中はまだ赤い。肉の脂が炭火に落ちて、じゅうっと音を立てた。煙が立ち上る。香ばしい。
来訪者のドワーフたちが持ち込んだ珍味もあった。山岳地帯の干し茸だ。肉厚で、噛むと汁が出るという。トルンが自慢げにガロンに勧めている。
「これを酒と合わせると、最高だぞ」
「ほう……ワシに教えるか。生意気な」
ドワーフ同士は酒と食いものの話で盛り上がると止まらない。交渉の話が出る前に、三杯が空いた。
***
カイが動いたのは、四杯目のあたりだった。
「俺も飲む」
カイが宴席に腰を下ろした。革鎧を脱いで、腕まくりをしている。
「交渉の席で相手と同じ杯を干せないやつは信用されない。……そうだろ」
「おう」ガロンが笑った。「お前、酒は飲めるのか」
「飲める。たぶん」
たぶん。不安しかない。だが、カイの目は本気だった。声の調子が変わっている。腹の底から出る、あの真っ直ぐな声だ。
ガロンがカイの椀に酒を注いだ。なみなみと。椀から溢れそうだ。
カイが一息で飲んだ。
——三秒後。顔が真っ赤になった。
「つっ……強い……!」
「当たり前だ。ドワーフ酒を人間が一気飲みすれば、そうなる」
トルンが笑った。来訪者のドワーフたちも笑った。カイの飲みっぷりが面白かったらしい。場の空気が一気に和んだ。
カイは止まらなかった。二杯目。三杯目。顔がどんどん赤くなっていく。目が据わってきた。
五杯目あたりで、カイが語り始めた。
「俺はなぁ——この町が好きなんだ」
酔っている。完全に酔っている。
「最初は何もなかった。本当に何も。森と、ユウトのぼろい小屋と、それだけだった」
ぼろい小屋とか言うな。あれは効率的な住居だった。
「でも今は違う。鍛冶場があって、食堂があって、窓口があって——人がいる。みんないる。ドワーフも、エルフも、獣人も、人族も。全員、ここにいる」
カイの声が熱を帯びていた。酔いのせいか、本音のせいか。
「あんたらも、来てくれればいい。ここは——いい町だ。断言する」
来訪者たちが顔を見合わせた。だが——目は笑っていない。カイの言葉に、何かが刺さったのだ。
トルンが杯を置いた。
「……お前、酒は弱いな」
「うるせえ」
「だが、嘘はついていない」
トルンの声が、少し柔らかくなっていた。
「酒を飲めばわかる。相手の腹の底が見える。……お前の底は、悪くない」
カイが酔った顔で笑った。鼻の頭が真っ赤だ。
——計算も戦略もない。フィーネの緻密な外交とは正反対だ。
俺は木陰から眺めながら、そう思った。酒を浴びるほど飲んで、酔い潰れて、本音を吐く。回りくどさのかけらもない。
だが——結果は出ている。来訪者のドワーフたちの表情が、さっきまでとはまるで違う。警戒が解けている。カイの不器用な本音が、書面よりも先に信頼を作った。
***
宴が終わったのは、月が高く昇った頃だった。
カイは酔い潰れていた。長机に突っ伏して、大いびきをかいている。
「おい、起きろ」
「……zzz」
駄目だ。完全に落ちている。
俺はカイの腕を肩に回して、引きずるようにして宿舎に向かった。重い。筋肉の塊だ。効率化もクソもない。物理的に重い。
「……こいつ、酔って本音を吐いたら逆に信頼された。非効率の極みだが」
星空を見上げた。澄んだ空だ。酒の残り香が夜風に混じって漂っている。
「……結果は出てるから、まあいいか」
ガロンが横に並んだ。樽を片付けた帰りだろう。額に汗が光っているが、酔っている様子はない。ドワーフの肝臓は化け物だ。
「酒を飲めばわかる。あいつらは悪いやつじゃない。うちの町とやっていける」
「お前がそう言うなら、そうなんだろうな」
「おい人間。お前も少しは働け」
「やだ」
「……まあいい。お前が作った仕組みが動いてるんだ。今はそれでいい」
珍しく、褒められた気がした。
酔い潰れたカイを宿舎に放り込んで、俺は自分の部屋に戻った。
明日は——頭が痛い朝になるな。カイの頭が。俺は飲んでいないから平気だ。
楽をするのが俺の仕事だ。飲まずに成果だけ受け取る。最高の効率じゃないか。
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