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働きたくないので効率化していたら、いつの間にか文明ができていました  作者: 猫野ひかる
第9章「大陸に響く噂」

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第168話「深夜の文書作業は危険がいっぱい」

 あの夜、俺は致命的な判断ミスをした。


 ルナの返事を手伝うのはいい。深夜まで付き合うのも、まあ仕方ない。だが、こいつを隣に座らせたまま夜更かしするのは——間違いだった。


***


 作業場の机に蝋燭を一本立てて、紙と墨を広げた。


 獣人の書状は革に書くのが本式らしいが、ルナは「紙でいい」と言った。匂いさえ残せば、兄にはちゃんと届く。獣人にとって匂いは文字以上の情報だ。


「で、何て書くんだ」


「んー……」


 ルナが頬杖をついて考えている。蝋燭の炎が揺れて、銀色の髪に橙色の影を落としていた。


「まず、元気ですって書きたい」


「それはいい。次は」


「えっと……こっちの町は楽しいよって」


「それもいい」


「あと——兄さんに会いたいって」


 ルナの声が小さくなった。耳がほんの少しだけ伏せた。


「……それも書け」


「うん」


 ルナがペンを取った。墨をつけて、紙の上に文字を綴り始めた。


 獣人の文字は丸っこい。人族の言語とは違う字体で、一文字が大きい。ルナの字は——お世辞にも上手とは言えなかった。一文字ごとに大きさがバラバラで、行が右に傾いている。


「こういうとき、何て書けばいいのかな。『話し合い』って言われても、あたし、正式な場で話すの苦手で——」


「堅い言い回しがいるなら、スキルで見てやろうか」


 スキルを起動した。頭の奥にかすかな振動。ルナが書いた文面が視界に浮かんだ。


 『文書表現の整理——主旨は明確。ただし、正式な場に対する敬意の表現が不足している。獣人の慣習に即した定型句の挿入を推奨。なお、感情表現の効率化として、「兄さん大好き」と一言添えるのが最も伝達効率が高い』


「……うるさい。最後の余計だ」


「え? 何か言った?」


「いや。スキルが余計なことを言った。気にするな」


 ルナが首を傾げたが、深くは聞かなかった。


「お前の言葉で書けばいい。ただ、冒頭に『部族の長老の皆さまへ、改めてご挨拶申し上げます』みたいな一文を入れておけ。正式な場への敬意が伝わる」


「そういうのは得意じゃないんだけどなぁ」


「だから俺がいるんだろ。めんどいけど」


 嬉しそうだ。こいつの感情は全部反応に出る。隠す気がないのか、隠せないのか。


 虫の声が聞こえていた。深夜の静けさの中、蝋燭の炎が小さく揺れている。紙と墨の匂い。ルナの隣から漂う、甘い花のような香り——いや、これはルナの匂いだ。獣人には固有の匂いがある。ルナの匂いは花に似ている。甘い。


 集中しろ。文書だ。文書に集中しろ。


***


 一刻ほどかけて、返事の下書きが完成した。


 冒頭の定型句。近況報告。町の説明。そして——「話し合いに応じます」という一文。


「これでいいか」


「うん。……でも、最後にもう一つだけ」


 ルナがペンを取って、最後の一行を書き足した。


 ——兄さんに会いたいです。


 丸っこい、大きな文字。行が右に傾いている。でも、一番気持ちが伝わる一行だった。


「よし。あとは清書だな。明日でいいだろ」


「うん……」


 ルナが頷いた。目を擦っている。眠そうだ。蝋燭の残りが短くなっていた。窓の外は真っ暗で、虫の声だけが響いている。


「もう寝ろ。清書は明日——」


 ことん。


 ルナの頭が、俺の肩に落ちた。


「……おい」


 返事がない。


 寝た。こいつ、今この瞬間に寝やがった。


 銀色の髪が肩にかかっている。耳がぴこりと動いた。寝ていても動くのか、あの耳は。ルナの寝息が首筋にかかった。温かい。規則正しい吐息。安心しきった呼吸だ。


 起こすべきだ。部屋に帰せ。俺は寝たい。ここで寝落ちされたら、俺が動けなくなる。非効率の極みだ。


 だが——ルナの耳の先が、俺の首筋に触れていた。ふわふわの、柔らかい耳。体温がある。


 スキルが何か言いかけた。


 『密着時の体温効率——対象者の安眠を維持するには——』


 黙れ。


 即座にスキルを叩き落とした。体温効率とか、そういう話じゃない。断じて違う。


 ルナの耳がぴこっと動いた。


 首筋を撫でるように。


 ……けしからん。


 起こせない。起こしたら——いや、起こしても泣きはしないだろうが、今日は兄からの手紙を受け取って、返事を書いて、色々と疲れているはずだ。ここで起こすのは効率が悪い。寝かせておくほうが、明日の清書の質が上がる。


 蝋燭の火が、ちりちりと音を立てて短くなっていく。


 ルナの銀色の髪が、蝋燭の残り火に透けている。睫毛が長い。寝顔は——穏やかだった。さっきまで兄の手紙に揺れていた顔が、今は安心しきって眠っている。


 俺の肩で。


 ……動けない。


 首が痛くなりそうな予感がした。間違いなく、明日は首が回らない。それでも——起こす気にならなかった。


***


 朝日が差し込んだ。


 窓から白い光が射して、作業場を照らした。蝋燭はとっくに消えていた。机の上には完成した下書き。墨壺。ペン。そして——俺の肩で寝ているルナ。


 一晩中、この体勢だった。首が——痛い。尋常じゃなく痛い。


「んぅ……」


 ルナが目を開けた。金色の瞳が寝ぼけてぼんやりしている。


「……あ」


 状況を理解するのに三秒かかった。俺の肩。自分の頭。密着した距離。


「あたし、寝ちゃった?」


「ああ。一晩中」


「ご、ごめんなさい!」


 ルナが飛び上がるように離れた。耳がぺたんと伏せて、尻尾がぶんぶん揺れている。照れと謝罪が混ざった動き。顔が真っ赤だ。


「ユウトさん、首大丈夫?」


「回らない」


「ごめん、ごめんなさい……! あたしが寝ちゃったせいで——」


「まあ、文書は完成した」


 首をぐるぐる回した。ごきごきと嫌な音がした。痛い。だが、まあ、仕方ない。


 ルナが申し訳なさそうに俺の首を心配している。耳がしょんぼり伏せたままだ。尻尾も元気がない。


「……お前、自分の匂い、書状に付けるんだろ。獣人の慣習で」


「あ、うん。兄さんにはこれでわかるから」


 ルナが下書きの紙を手に取って、両手で包み込んだ。目を閉じて、深く息を吐く。匂いを移しているのだろう。獣人の文通は、文字と匂いの両方で伝える。


「これで兄さん、あたしが元気なのわかるよ」


「便利だな」


「便利って言わないで。気持ちだもん」


 ルナが頬を膨らませた。だが、すぐに笑った。


 清書を終えて、返事を革袋に入れた。


 町の入り口で、使者が待っていた。ルナが革袋を手渡した。


「届けてください。兄さんに」


 使者が頷いて、南の草原へ走り去った。ルナの尻尾が、ゆっくりと揺れている。


「あとは待つだけだ」


「うん。……ユウトさん、ありがとう」


 その声が妙に温かくて、俺は目を逸らした。


 朝日が眩しい。昨夜からろくに寝ていない。首は痛い。でも——まあ、悪くない夜だった。悪くないだけで、それ以上のものは何もない。ないと思いたい。

お読みいただきありがとうございました!


本人はやる気ゼロですが、周りの環境がどんどん激変していきます。


【毎日 朝7時・夕方17時】の2回更新で投稿していきます!


もし『この怠惰な主人公、面白いな』と思っていただけたら、下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援いただけると、執筆の励みになります!

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